デジカメぶらりぶらり

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青木ケ原

2012-11-30 07:45:16 | Weblog
映画館で近く上映される作品の予告編を長々と見せつけられるのは苦痛だ。騒動しい映像が続くと、本編が始まる前に疲れてしまう。

ただ、中にはこれは見逃せないと思わせる作品もある。山梨県の青木ケ原樹海を舞台に、男女の愛を描いた「青木ケ原」もそうだった。ミステリアスな展開を示唆する予告編の映像に引き込まれそうなになったが、一瞬だけ映った人物が気になった。

東京都知事の座を投げ出し、日本維新の会の代表に収まった石原慎太郎さんではないか。原作は石原さんの小説。作成の総指揮を執り、脚本も書いた。都知事役として出演もしている。

知事室の執務も、最後には1日か2日、それもわずかな時間しか登庁しなかった人だ。その分、映画作成に時間を割いていたのだから、さぞかし見応えのある映画に仕上がっているだろう。

その石原さんの辞任に伴う都知事選は、告示される。衆院選より一足先に本格的な舌戦がスタートする。猪瀬直樹副知事、宇都宮健児前日弁連会長、笹川尭元衆院議員、松沢成文前神奈川県知事の4氏が、日本記者クラブ主催の共同記者会見で主張をぶつけた。

衆院選をめぐる合従連衡の報道に埋もれがちだが、「首都の顔」を選ぶ極めて大事な選挙だ。電力の最大消費地に暮らす有権者が、どんな意見表示するのか、全国が注目している。

音楽

2012-11-28 07:47:55 | Weblog
行きたい、行かなくては。でも、行ってどうなるのか。何ができるのか。伊藤江理華(15)は、そんな迷いを抱きながら東北の被災地を訪れた。

三重の高校に通う伊藤さんは、指揮者の佐藤裕さん率いるスーパーキッズ・オーケストラでバイオリンを弾く。選り抜かれた逸材ぞろいのオケは昨年夏と今年の夏、被災地で演奏した。

目にした惨状に圧倒された。迷いを抱えたまま鎮魂の調べを奏でた。お礼を言われたが、「何もしていない」罪悪感でいっぱいになった。とても「頑張ってください」とは言えなかった。

しかし、ある女性が言ってくれた。悲しみは大きい。大きすぎる。でも生きていかなくてはならない。前に進む一歩、そのきっかけに、音楽が必要だったのだと、音楽ははかない。
空気を束の間震わせ、そうして消える。

けれど、時に言葉も入っていけないような心の奥にそっと入り、あたためる。不思議な力だ。伊藤さんは初めて、音楽とは何かを考えさせられたという。その時の体験をつづったエッセイーが、東北大文学部が主催するコンクールで、最優秀賞に選ばれた。

最後はこう結ばれている。<被災地に、出来上がりも、完成もないように思う。でもそれは音楽と同じだ。再生、消えてなくなる一音の次の音を奏でるように、生き続けること、前をすすみ続けること、被災地がそのような姿であってほしい>

新党

2012-11-26 07:46:32 | Weblog
新党が乱立する中、「太陽の党」は短命だった。旗揚げから4日しかたっていないのに、共同代表の石原慎太郎前東京都知事は「日本維新の会」の代表になり、太陽は昇らないまま沈んでしまった。

気の毒なのは「減税日本」代表の河村たかし名古屋市長だ。石原氏と共同会見して合流を発表しながら、一夜でほごされた。維新の会を率いる橋下徹大阪市長との一体化に懸ける石原氏には、河村氏との信義は取るに足らないことなのだろうか。

原発や消費税の増税、環太平洋連携協定(TTP)など、大きな隔たりがあった政策を石原氏は譲歩したとはいえ、合流ありきの野合批判は免れないし、若々しい維新の会のイメージからタカ派的部分が突出した。

橋下氏にとっても大きな賭けだ。第3局の核は長命か、短命か。長生きすれば、国会で憲法改正のけん引役的な存在になるだろう。

泥仕合

2012-11-24 08:52:10 | Weblog
16日解散された衆院は泥仕合続きだった。泥沼もたまっていよう。腐臭に耐えかね、もう政治劇など見たくないという人も多かろう。

だが原発に増税、若者が希望を持てぬ雇用。となるべき争点となるべき課題があまりに多い。原発事故で故郷を奪われた佐藤紫華子さん(84)の詩集『原発難民の詩』にこんな作品がある。

<いたずらにテレビで笑う/おかしくもないのに/タレント笑う/ 国会は自分の事に/無我夢/ドタバタ劇はもう沢山/いつまで避難させとけばいいの/家があるのに帰れない/この口惜しさ!/この惨めさ!/大人しくなんてしていられない/皆で津波のように/押し寄せようかしらー>。

奔流の一滴となる一票を使わないと、川はいつまでも淀んだままだ。

二期目

2012-11-22 07:44:58 | Weblog
2005年に公開された『ロード・オブ・ウォー』は、ウクライナから移民として米国に渡り、武器密輸商人としてのし上がっていった男を描いた米映画だ。

監督のニコル氏は、撮影用に自動小銃AK47の模造品を3千丁調達しようとして、驚いた。模造品よりも本物の方が安く、しかも電話一本で買えたのだ。

ニコル氏は大量の自動小銃を撮影に使った後、売却した。監督が映画の主人公さながら武器商人になってしまった。開発者の名前からカラシニコフと呼ばれるAK47は、1947年使われ始めて以来、優れた耐久性と射撃性能からベストセラーとなった。

その後、全世界で5千万丁から7千万丁ともいわれ、「世界一売れた人殺し機械」とも称される。一秒間に10発も連射できるこの銃が、米国で「ホットケーキのように売れている」らしい。

米メディアは「いつもは日に数丁だけど、今は25丁売れると景気のいい銃器店主の声を紹介している。AKに限らず銃の売れ行きは好調で、製造業者の株価も急上昇だ。米国は銃乱射事件に苦しみ続けている。

二期目を迎えるオバマ政権には、銃規制の期待がかかる。だが今、起きていることは、規制を見込んでの駆け込み特需だ。皮肉という言葉では片付けられない、銃社会米国の不気味な実相が、そこにはある。

散るか

2012-11-20 07:06:56 | Weblog
散るか、散らぬか。自ら散るのか、風に散らされるのか。寒風にひらひら舞う枯れ葉を見れば、訳もなく寂しくなる。植物の声を聞く超能力があれば、落ち葉のすすり泣きが聞こえてくるのだろうか。

どうしてもそうではなさそうだ。植物生理学者の田中修さんが書いている。<葉っぱたちは、寒さのために、枯れ葉とされるのではない。もし、葉っぱたちが話すことができれば、「寒い冬の訪れを予知し、自分から積極的に、枯れ落ちるのだ」と言うだろう>

田中さんの著書「ふしぎの植物学」によれば、葉には15分単位で夜の長さの違いを把握する驚くべき力がある。季節の流れを計り、自分の持っている大切な栄養を幹や根にしっかり送り返してから、散る。

芽吹きのために自分のやるべきことをやり尽くし、風に舞うのだ。やるべきことをやってとも思えぬが、野田首相が党首討論で、「散る覚悟」を口にした。解散と引き換えに、議員定数削減への決意表明を迫られた自民党の安倍総裁は、党首一騎打ちの場では、自らの覚悟を明言しなかった。

葉がもう散るといっているのに、阿吽の呼吸で決然と烈風を吹かせられない。何とも優柔不断な北風だ。民主党内では「まだ散りたくない」の大合唱だ。やるべきことをせず、愛想を尽かされているのに、枝にしがみつこうとしている。

落ち葉を煎じて飲んではどうか。

冤罪

2012-11-18 07:47:40 | Weblog
いくら意見を戦わせても、議論がかみ合わない。そういう時は、議論の鍵となる言葉の定義が、相手と違っている場合が多い。例えば、ラケットの使い方を論じるのに、こちらはテニスのラケットについて話しているのに、相手が卓球のラケットを論じていては、何ともならない。

まず「ラケットとは何か」の定義から始めないと、議論は空回りするだけだ。冤罪をどう防ぐか。法務省と議論をしようとしても話にならない。なぜなら法務省は「冤罪の定義」を持ち合わせないからだ。

厚労省の文書偽造事件で元局長の無罪が確定した時も、東電女性社員殺害事件でネパール人の無罪が確定した時も、政府の立場は「冤罪を厳密に定義していないので、事件が冤罪かどうか言えない」だった。

<株式会社岩波書店発行の広辞苑に冤罪は「無実の罪。ぬれぎぬ」とあるが、政府も同様の認識かと国会でただされて、「広辞苑第5版」において御指摘のような記載があることは承知している>と、人を喰った答弁書を出したこともある

先日陸山会事件控訴審で小沢一郎氏が無実を言い渡された。検察が検察審査会に、強制起訴を誘導するような虚偽の捜査報告書を出した挙げ句の無罪だ。法務省の辞書には「冤罪」だけでなく「反省」も載っていないようだ。

市民と同じ言葉で語ろうとしないなら、司法改革などできない。



フグ

2012-11-16 07:18:20 | Weblog
江戸の古川柳には、庶民のユーモラスと知恵が詰まっている。<鉄砲は命を的にうち食らい>。フグの異名が鉄砲だ。

ちり鍋を「てっちり」、刺し身を「てっさ」と呼ぶのもそこに由来している。なぜ、鉄砲というと、二説あるらしい、「当たると死ぬ」という説のほかに、昔の鉄砲はなかなか当たらなかったことに引っかけ、「うちのは安全です」という宣伝文句との説だ。

江戸時代の料理法はフグ汁だけだった。雪の日ともなれば、フグは大層なごちそうだったらしい。専門の調理師など存在せず、中毒の危険も多かった。<ふぐ汁を食わぬたわけに食うたわけ>。

うまいフグは食べたいけれど、中毒は怖いという機微を表現している。そのフグの70倍もの毒がある魚が今年、北海道から瀬戸内までの海で相次いで見つかっている。ハギの仲間のソウシハギだ。

顔が長いところはウマヅラハギと似ている。毒がどの部位にあるのか、はっきり分かっていないので、海釣りファンはどうかご注意を、日本では、沖縄や高知県沖など、暖かい海域にしか生息しない魚だった。

今年は、全国的に水温が高かったために、北上してきたとみられている。地球温暖化は、自然や生産系を大きく変えようとしている。当たったら怖い鉄砲はフグだけでいい。

国民栄誉賞

2012-11-15 08:19:06 | Weblog
吉田幸代さん(57)が、子宮がんになったのは29歳の時だった。娘はまだ1歳5ヶ月。祈るような思いで受けた手術はうまくいき、幸い再発もなかった。

そういう経験もあって、子どもたちに望むのは、ただ一つ。健康に育つことだった。その娘が、国民栄誉賞を授与されるレスリング女子の吉田沙保里さん(30)だ。五輪と世界選手権で13連覇という前人未到の偉業を成し遂げた。

心も体も人一倍どころか、世界一強い娘さんになった。沙保里さんが小学4年生だったころの話を、幸代さんはこう言った。大会で当たった相手は格下。マットに上がって試合開始を待つまでの間に、Vサインをした。

「楽勝だよ」と言うかのように、優勝した娘を、父の栄勝さんはひと目のつかぬ場所に連れて行った。こっぴどく叱りつけて、手まで出した。「あの時、私は見て見ないふりをしていました」と話す幸代さんの柔らかな笑顔は、包容力に満ちあふれていた。

沙保里さんの真っすぐな強さは、お父さんの厳しさ、お母さんの優しさの結晶だ、今年の母の日、沙保里さんは電話をして、「いつも、ありがとう」と伝えたという。「何もしてないわ。生んだだけやで」と答えた幸代さんに、沙保里さんが言ったひと言がすてきだ。

「産んでくれて、ありがとうやわ」この言葉こそ、子が母に贈る最高の栄誉賞だろう。

本屋

2012-11-13 07:51:19 | Weblog
東日本大震災では、多くの本屋さんも被災した。壊滅的な打撃を受け廃業した店もある。すぐ再建に立ち上がった店主らも疑念を抱えていた。

「こんな時にお客さんが来るのか。本は求められているのか」。彼らは、驚かされることになる。スーパーで行列をつくって食料品を買い求めた人たちが、棚にろくに本がない書店にも列を作った。

30分も歩いて来たお年寄りもいた。マンガを手に、久しぶりに笑った子どもたちの姿もあった。ノンフィクション作家、稲泉連さんの著書『復興の書店』は、被災地の書店を丹念に回り、店員らの思いを記録した労作だ。

稲泉さんは取材を続けるうち<書店にはある一つの町においてそこでしか担えない場としての役割、力がある>と実感したそうだ。ある店長は、震災特集の雑誌を買い求めるお客さんに「記録を抱きしめることは、同じ境遇にいる大勢の人たちのことを思うことでもある」と言われ、自分が扱う商品の重みを教わった。

店員と客が「ありがとう」と言い交わす光景が、そこにはあった。震災を経て「街の体温が上がった」と感じたという若い女性定員の言葉が、印象的だ。本を読むという行為の本質を、この上なくやさしく語っている。

「読書するときは一人。でも、それによって人と人とが繋がっていける」。9日まで読書週間だった。