首相になるとは、どういうことか。「油を塗った棒のてっぺんに登ったようだ」と語ったのは、英国の名宰相ディズレーリだ。明治元年にあたる1868年に首相になったが、1年弱で退陣し、再び政権を担ったのは5年余も後。
やはりようやく登った宰相の座からつるつると転落し、5年余をかけ登り直した安倍晋三首相は、いかに権力の棒が滑りやすいか、ご存じだろう。参院選が圧勝し、「首相の棒」に滑り止めがついたかのようだ。
民主が惨敗のねじれも消えた。が、ディズレーリは言っている。「手ごわい野党がなければ、政権は長期的に安全ではない」彼が向き合ったのは、貧富の差が危険なまでに拡大した社会だった。
だから「特権階級と庶民が(一国の中で)二つ国をつくっている」との危機感を持ち、選挙制度改革などに取り組んだ。今の日本は、どうだろうか。憲法や原発をめぐり世論は真っ二つだ。
安倍政権の改憲姿勢や原発政策には違和感を抱きつつ、景気回復への期待で自民に票を投じた人も多いのではないか。そのアベノミクスにしても、例えば百貨店で高級時計が売れに売れているということが、まるで別の国の出来事に思える。
「一つの国」のための政治を進めなければ、ディズレーリが指摘したように「両者の間に交わりも共感もない、二種類の国」が生まれかねない。
やはりようやく登った宰相の座からつるつると転落し、5年余をかけ登り直した安倍晋三首相は、いかに権力の棒が滑りやすいか、ご存じだろう。参院選が圧勝し、「首相の棒」に滑り止めがついたかのようだ。
民主が惨敗のねじれも消えた。が、ディズレーリは言っている。「手ごわい野党がなければ、政権は長期的に安全ではない」彼が向き合ったのは、貧富の差が危険なまでに拡大した社会だった。
だから「特権階級と庶民が(一国の中で)二つ国をつくっている」との危機感を持ち、選挙制度改革などに取り組んだ。今の日本は、どうだろうか。憲法や原発をめぐり世論は真っ二つだ。
安倍政権の改憲姿勢や原発政策には違和感を抱きつつ、景気回復への期待で自民に票を投じた人も多いのではないか。そのアベノミクスにしても、例えば百貨店で高級時計が売れに売れているということが、まるで別の国の出来事に思える。
「一つの国」のための政治を進めなければ、ディズレーリが指摘したように「両者の間に交わりも共感もない、二種類の国」が生まれかねない。