デジカメぶらりぶらり

デジカメのほやほやの写真をご覧下さい。

原発

2009-11-29 07:59:36 | Weblog
原発は、巨大な釜でわかしたお湯の蒸気でタービンを回す、単純にいえばそんな装置だが、周辺は数ミリ単位の精密機器で囲まれている。

巨大さと精密さが完璧に一体となったのが原発であり、それをコンピューターが制御するのだから人間のつけ入る隙がないように見えた。

が、ある原発で相次ぐトラブルは余にも人間臭い。初歩的で単純ミスともいう、布きれの糸くずがあったとか、配管弁の閉め忘れとか、溜めます許容水量を作業手順に書いてなかったので必要以上に入れた等々。

「見れば分るだろう」という常識が欠けている。これは何を意味しているのだろう、どんな最新機器も、神ならぬ人間の作ったものであり完璧はあり得ないということか。

あるいは、マニュアル以上のことはしないしできない作業員が増えたということか。防止策は、工学面と同時に精神文化的な人間学も必要かもしれない。

便利な車も事故を起こすと凶器となる。だからといって車を廃止する選択肢はない。原発もそうといえるか。これからの「安全運転」次第である。

長寿社会

2009-11-27 07:26:38 | Weblog
即位20年記念式典で皇后さまは、節目の時の会見には、重い内容がある。「高齢化が常に『問題』としてのみ取り扱われることは、少し残念に思います」というお言葉があった。

わが国は、還暦や古希を祝い、長寿社会を目指していたはずでした。長寿をことほぐ気持ちを失いたくないと思います。と、「少し残念」は、お心遣いが働いた表現だろう。

医療やら年金やら、高齢者を巡っては「問題」の大合唱である。新型インフルのワクチン接種は1回でいいのか、2回なのか。高齢者を惑わせる「政治主導」も、長寿を祝うより問題視する風潮を映している。

近くの美術館で、意外なことがあった。65歳以上は入館料割引、と案内されて「あら、そう。でも結構です」と、割引を拒んだ老婦人たち。時には、すねて見せないとやりきれない長寿社会なのだろう。



Yナンバー

2009-11-25 07:38:14 | Weblog
沖縄でひき逃げ死亡事故が起き、Yナンバー車が見つかった。普通は「ね」とか「わ」とある部分に「Y」とある車で、米国関係者の所有であることを示す。

逃亡者は米兵の可能性もある。米兵の犯罪は時に基地問題に火をつける。普天間基地移転問題も13年前の米兵による少女暴行事件が発端だった。

今この時期に、米兵のひき逃げ死亡事故があれば単なる事故処理では終わらない可能性がある。Yナンバーは横浜のYから来ている。

国内で米軍基地のある所ではたまに見るというが、沖縄ではいくらでも走っている。それだけ米軍基地は切実で身近な問題であることをYナンバーは示している。

先日、広島に中国海軍の練習船が入港して兵士らが平和記念公園を訪れた。冷戦崩壊で日米安保条約は変化している。沖縄の基地も変質している。国際情勢、環境、地域経済や治安など住民感情も複雑に絡み合っているのが基地問題である。

海水浴でも物見遊山でもいい。まず、自分の目で沖縄を見てほしい。

ロマン

2009-11-23 07:48:25 | Weblog
東西の壁崩壊からこの9日で20年、先日「統一の父たち」と呼ばれる当時の米独ソ3首脳がベルリンにそろった。

ブッシュ元米国大統領(85)。コール西ドイツ元首相(79)。ゴルバチョフ元ソ連大統領(78)の3氏である。

20年前、一気に押し寄せた冷戦の壁崩壊は大きな驚きだったが、この3巨頭が20年の歳月を経て、無事に顔をそろえられることにも驚く。

勝手の革命は多くの血を流した。冷戦崩壊後は、新たな民族対立とテロの時代を招いてはいるが、歴史に名を刻んだ3首脳が穏やかな老後の姿を見せた。

これも人類の進歩であり、国際政治前進の一つではなかろうか、政治家とは、大なり小なり歴史に名を残したいものだという。

それを野望と見るかロマンとするかは結果を見るしかない。

ソロバン

2009-11-21 07:30:58 | Weblog
総勢2000人にも及んだという加賀藩の大名行列も、わらじが何足、飯は何食、宿は何軒、総額いくらか計算できる者がいなければ成立しなかった。

日清・日露戦争の「坂の上の雲」の時代も同じだった。陸海軍の戦費を算出できなくて明治国家はなかった。

幕末から維新へ。その大切な役に就いたのが、映画かされる「武士の家計簿」(磯田道史作)の主人公、加賀藩の猪山家がソロバンを携帯しながら戦場を駆けめぐったことはよく知られている。

藩祖以来の伝統が猪山家に伝わったわけでもなかろうが、大藩百万石の会計を経験したからこそ新国家のソロバンもはじけたに違いない。

いつの世も新時代は旧体制お土壌から芽を出す。維新は封建の世で育った世代が成し遂げ、昭和の戦後復興は大正世代が支えたという。

明治新政府にも古い加賀藩士がいて「国家の家計」を支えていった。壮大なホームドラムと言われるゆえんであり、ヒットの予感がする。

おすそ分け

2009-11-19 07:28:50 | Weblog
紫綬褒章を受章する歌手・中島みゆきさんの喜びの言葉が楽しい。棚からぼたもちでなく、「棚から本マグロ」とテレビで放映された。

ぼたもちと違って、本マグロはとても一人で食べきれない。近くの店でさばいてもらい、近所や知り合いにたっぷりおすそ分けができる。

「周囲と喜びを共に」といった紋切り型の言葉より、気持ちが伝わる。思わず「うまい」と手をたたきたくなる。

勲章を下げて、孫たちは得意げに笑う。その笑顔が、新たな励みの力になってくれる。栄誉とは、特に窮屈で肩の凝るものらしいが、自分も周囲も喜ばせるおすそ分けの役目も果たしてくれる。

鍋料理

2009-11-17 08:12:10 | Weblog
おでんや鍋料理は「エコライフ」になるという。鍋ものは体を温め暖房費が減る。家族が集まると無駄な電気代が要らない。

そこで二酸化炭素が減るというわけだ、だが、母屋でおかゆをすすっているのに、離れですき焼きを食べていると言われたこともあった。

国家の台所事情からみると、鍋の代表であるすき焼きが、エコライフどころか無駄遣いの象徴になる。

視点を変えれば、善人と悪役が入れ替わる一例だ。こんなエコの勧めもあった。「ペットポトル飲料を買わずに水筒を持って出かける」。

エコにはなるだろうが飲料水業界はやせ細る。「コンクリートから人へ」と、コンクリーを悪者にする政治の掛け声と似ている。

これでは、セメント産業や土木建設業界は飢えて倒れる。どんな環境下にもそこに生きる人々がいる。何でも減らせばいいのではない。地球に優しくする心があるなら、人にも優しくして欲しい。

分り易いPR文句は、妙薬にもなるが、劇薬にもなる。ひとりを善人にするために、だれかを悪役にする二者択一論は、エゴが過ぎてとても食えたものではない。

裁判

2009-11-14 07:27:42 | Weblog
殺人事件で懲役17年の判決を出し富山の裁判員裁判で意外なことが分った。「通常の裁判は偶数年の判決が多いが、奇数年の判決には市民感覚が反映せれていると感じた」との弁護士のコメントである。

担当記者の解説によるとこういうことだ。判決は求刑の8掛けで、偶数年の事例が多くなるとの常識であった。

今回の求刑は20年だった。弁護側は10年が相当と主張した。弁護側が刑期を示すこと事態異例だが、目安として出された。

そこで、20年の8掛けになる16年の判決が予想された・20年と10年の中間にも近い。が、判決は求刑の8賭け6年に1年プラスされた。

その1年こそ、裁判員が既成概念に流されず罪と罰のバランスを熟慮した結果だったと言うわけだ。たかが1年、されど1年。

8掛けだとか偶数年だとか、過去を踏襲してきた司法界のプロにアマチュアが突きつけた大きな「1年」だったと記者たちにも感じられたのだった。



ネット

2009-11-12 07:39:19 | Weblog
自殺を装った殺人事件はよくある。他殺を装った自殺もないではないが、これは難しいという。例えば自分で自分の首を絞めても死ねない。死ぬ前に気絶してしまうからだ。

問題の34歳の女の事件とどこか似ている。交際していた男性の死亡は、自殺を装った他殺の疑いが強まっている。

女が練炭を購入したり、睡眠薬の成分が被害者の体内から検出されるなど状況証拠は真っ黒だ。一方で矛盾だらけ。練炭購入跡がネット画面に残り、ブログにわざわざ私生活を伝えている。

現金を引き出す姿は防犯カメラに映っているという。自分で自分の首を絞めているようにしか見えない。

ネット絡みの事件が多発している。便利なネットは、犯罪を誘発し、悪の意識を薄める麻薬のようにも思える。

その一見甘味な「薬」の常用者があふれ、残忍な事件を次々引き起こす。今やネット画面は仮想でも虚像でもない。現代社会の実像だ。

とりあえず

2009-11-10 06:17:57 | Weblog
おしぼりを使いながら、「とりあえず、ビール」と声を掛ける。居酒屋の流儀である。この「とりあえず」が、くせものかもしれない。

そのままジョッキを重ねるビール党もいるが、のどをしめらせて後で焼酎や日本酒に切り替える姿が目立つ。

乾杯用飲料になったようなビールである。夏目漱石の小説「吾輩は猫である」は、主人公の猫がビールで酔っぱらい、水がめに落ちて終わる。

酔って愉快な気分になりたいと、盗み酒をした。悪酔いは困るが、猫だって憂さを晴らしたくなるのだから、ビールは人生の良き友なのである。

もっとも、ビールに盗み酒や独酌は似合わない。仲間と愉快にやってこそ、さわやかな味が楽しめる。

ビールの消費量が落ちたのは、そんな酒飲みの流儀が薄れてきたからだろうか。そうだとしたら、まことに味気ない。

一仕事を終えてから飲む「とりあえず」ビールは、実においしい。