デジカメぶらりぶらり

デジカメのほやほやの写真をご覧下さい。

怖いもの

2008-08-31 06:12:02 | Weblog
怖いもの、と、言えば、昔は相場が決まっていた。<地震、雷、火事、親父>である。最近、この言葉をあまり耳にしない理由があるとするなら、要因は<父親>にあろう。

「父親の権威は常に尊重されるべきか」との問いに、中国、韓国、台湾では80%超が「賛成」と答えたのに、日本は53%と最低だったらしい。

そこへいくと、ほか3つの怖さは増すばかりだ。地震は今年も大被害をもたらした、火事はさらに身近な脅威である。

そして、この夏はとりわけ雷の被害が目立つ気がする。怖いのは落雷より、むしろ局地的な豪雨。雷雨で急増水した川に流されるといった被害が相次いだ。

それにしても、あの光と音だ。正体が分らぬころはよほど恐ろしい現象だったに違いないB・フランクリンが凧を使った実験で雷は電気だと突き止めてから3世紀ほど、科学の進歩だろう。


ジョギング

2008-08-29 06:53:42 | Weblog
50歳以上で日常的にジョギングをしている人は、運動の習慣がない人に比べ、19年後の死亡率が半分以下で、健康的な生活を送ることが、米スタンフォード大の研究チームが行った長期調査で分った。

調査を始めた1984年当時、高齢者のジョギングは関節などの故障が起きやすくなると考えられたが、そういった心配はなかった。

80代でも運動効果がはっきりしていたという。調査対象は84年時点で50歳以上の人で、全米のランニングクラブに所属する538人と、運動習慣がない423人を比較した。

その結果、2003年時点の死亡率はそれぞれ15%、34%だった。ジョギング時間は当初、週に平均4時間だったが、21年後05年に同1時間16分にとどまった。

それでも運動習慣がない人に比べ、さまざまな障害の出始めが遅く、体格が引き締まり、記憶・学習能力も相対的に良いことが年1回のアンケートで分った。

大移動

2008-08-28 06:08:40 | Weblog
例年なら今年もお盆の大移動があったことだろうが。北京五輪に甲子園の高校野球が重なった。

こうしたイベントに加えて帰省ラッシュともなれば交通機関や高速道路の混雑が当然予想されたが。

ところが海外旅行客はかなりの減少を見せたらしい。国内各社の国際線は8%以上も前年を下回った(8月8~17日)。

とりわけ中国便が少なかったようで、ちょっと意外な気がする。地上では高速道路もやや減少傾向だったとか。

JR各社の一人勝ちみたいな様相になった。むろん原因は燃料高だろう。値上げに人々はかくも敏感に反応する。

綱引き

2008-08-26 07:51:28 | Weblog
五輪ではふだんあまり見ない競技を応援したりする。女子のクレー・トラップで中山由起枝選手の健闘に思わず声援を送った。

それにつけてもずいぶんいろいろな種目がある。ちょうど百年前、1908(明治41)年の第4回ロンドン大会では陸上競技に綱引きがあった。

1チーム8人で争う人気競技だったがルールなどをめぐり米英選手がことごとく対立した。もっともこうしたモメごとがなければあの名言は生まれなかったかもしれない。

見かねた聖職者が「参加することが大事」と選手を論じた・それをクーベルタンIOC会長が引用したという。

俳句

2008-08-24 08:03:53 | Weblog
もろもろのスポーツからちょっと目を離して、8月19日は「俳句の日」であった。819の語呂合わせ、1991(平成3)年、正岡子規研究の坪内稔典さんらによって制定された。

俳句甲子園という催しでもある。正式には全国高校俳句選手権大会。愛媛県松山市で高校生が句を競う。

3年ほど前に「恋は五・七・五」の題で映画化もされている。ご記憶の方は多いだろう。高校生だから詠むことのできる句がある。サラリーマンや主婦も同様だろう。そこが面白い。

甲子園の土

2008-08-22 06:47:37 | Weblog
考えたら4年に一度はそうなるのだが今年は時期的に甲子園の全国高校野球と北京五輪が重なった。

例年なく長い夏のような気がする。ただごとならぬ暑さが続くせいばかりではあるまい。高校野球では試合後に甲子園の土を持ち帰る選手がいる。

この風習はだれが始めたのか。諸説あるが通説では1949(昭和24)年、福岡・小倉北高校の福島カズオ投手らしい。

それ以前の昭和12年、熊本工の川上哲治投手が愛知・中京商に敗れた時とする説などもある。

たかが土、だが球児たちは汗と涙を思い出す。人生のピンチに勇気づけられた人は多いという。

一敗

2008-08-20 05:43:50 | Weblog
何であれ、成功がいつまでも続くとは限らない。いつかは、失敗も経験しなければならない。

レスリング女子55キロ級の吉田沙保里選手の場合は、ことし1月に味わった。ワールドカップ団体戦で米国の選手に敗れたのである。

ただの一敗も、彼女の場合は大ごとだ、それまでに119連勝。その記録がストップした。号泣したという。

だが、もしその一敗が北京五輪の最中に巡ってきていたら、アテネに続く連覇の偉業はフイになっていた。

「失敗のタイミングをつかむ」のも強さなのかもしれない。あの一敗を一面で報じたスポーツ紙を額に入れ、しばらく部屋に飾っていたという。

その時、手にした屈辱の銅メダルも一緒に、もう一つ、強さの秘密を付け加えるべきだろう。


地理学者

2008-08-18 09:37:46 | Weblog
江戸時代きっての地理学者といえば伊能忠敬だろう。その労作は本格的な日本沿海実測地図。

幕府に献上されたのは1821(文政4)年の、7月27日だった。その時、忠敬は世を去っていた。

小説やドラマでも伊能忠敬は幅広く紹介されている。あらためて驚くのは測量を始めたのが55歳ごろからということである。

江戸時代の50代といえば隠居生活に入ってもおかしくない。それから17年をかけて日本全国の測量を続けた。

没後、地図は弟子が編纂し献上したが忠敬のエネルギーには恐れいる。世代を問わず目標にひたむきな人はたくましい。現代でも同様である。



大舞台

2008-08-16 06:24:56 | Weblog
「僕もオリンピックに出たい」。練習に取り組む姿勢が一変したという、北島康介選手(25)のことである。

中学2年の時に、いまも指導を受ける平井伯昌コーチに見いだされた。記録的に上の選手は何人もいたが、「眼差しの強さ」が魅力だった。

ことわざには<目は口ほどに物を言う>とある。眼差しの強さが、重圧のかかる大舞台でも実力を発揮できる選手に育つと予感させたのだ。

アテネ五輪での2冠に続き、北京五輪でもまず100メートル平泳ぎで連続の金メダル。しかも世界新記録だった。

眼差しの強さは増しているようだ。アテネで勝った後は「チョー気持ちいい」と言って、流行語大賞に選ばれた。

昨日は涙がなかなか止まらず「なんも言えない」とも。この4年間、口では言えない苦労があったに違いない。

革命的

2008-08-13 06:55:43 | Weblog
はて、あれはどうなったのだろう。などとふと思い出したりすることがある。もう5,6年前に話題になった謎の乗り物があった。

セグウェイと呼ばれたのをご記憶の方も多いだろう。結局は高度な電動二輪車だった。当初のうわさでは今世紀の革命的な乗り物とされた。

“インターネットを越える発明”とも言われた。話題にはなったがさすがに革命とまではゆかなかった。

そのセグウェイが米国で注目されだしたという、むろんガソリンの高騰も一因、公道での走行が認められていない州も多いが原油高を見越していたなら、したたかな発明である。