デジカメぶらりぶらり

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門松

2013-12-31 08:25:55 | Weblog
28日は門松を飾る人をよく見かけた。門松を立てるのは13日から28日までの間が望ましく、29日は、「苦を待つ」「苦立て」につながるので、見合わせ方がいいという。31日も一夜飾りで望ましくない。

30日も29日と31日の間で良くないそうで、となると、28日が門松を立てるのに適した最後の日ということになる。縁起が良いに越したことはないが、忙しい中、本寸法にはいかぬ。

<門松を30日(みそか)の夜にたてしかな>。高浜虚子の句もある。「私の家では正月の設けというものも、とかく大30日の晩ぐらいにする・・・」(『俳句の作り』)「紙の門松」。門松の絵を印刷した紙を玄関先に張る。全国共通ではない。

東京では見かけぬ。名古屋、大阪出身者も知らぬという。逆に千葉では「今もある」。高知や岡山では紙のほうが一般的と聞く。

不思議な分布である。高知のある印刷所は昭和29年から紙の門松を製作している。松林の保護が目的と説明するが、あの頃、本物はぜいたくだったのか。紙の門松に豊かになりたいと願う、かつての日本人の前向きな熱を思う。

しかもあの時の方が幸せだったような気さえする。破れやすい紙。気にしない。29日でも「苦を絶つ」と読めば、それほど後ろめたくないだろう。

賀状

2013-12-29 08:37:58 | Weblog
師走のあわただしい日々の中、旧知の顔を思い浮かべながら、賀状書く。今年も何とか1年が過ぎたという思いを抱きながら、一枚一枚書いていく。そんな時間を持てる自体、幸せなのだろう。

15日から年賀状を受け付け始めた真っ赤な郵便ポストには、珍妙な歴史があるらしい。明治になって郵便制度が築かれた時、飛脚便や駅逓便と言った案を退け、とにかく短く語感の良い言葉がいいからと郵便にしたのは、前島密だった。

だが、当時の多くの人は、もともと中国で辺境地帯に文書を届ける宿場を意味した「郵」の字を知らなかった。だから初めてポストに接したある人は、郵便の字を「タレ便」と読んでしまい、「使いにくい男性用トイレだ」と思い込んで・・・という笑い話だ。

それにしても、切手さえ貼ってポストに入れれば、日本はおろか世界中に届くというのは、大変な制度だ。インターネットで、瞬間に情報をやりとりする時代だからこそ、季節のあいさつを人から人へと手でつなぎ、どこまでも届けてくれる郵便のありがたさも、いや増す気がする。

とは言いつつ、どうにも筆無精の身。今年も大みそかになっても、まだまだ賀状を書いているような気がする。



忘れないで

2013-12-27 08:53:50 | Weblog
<忘れないでほしい。 /ここで多くの命が失われたことを/忘れないでほしい。/生きたかった命がここで絶たれたことを/・・・忘れないでほしい。/津波はまたくるのだということを>。

岩手県釜石市の鵜住居(うのすまい)地区防災センターの壁に書かれた言葉だ。大震災の日、センターには240人余が避難した。だが、津波は2階建ての建物の屋上近くまで達し、200人以上が犠牲になったとされる。

センターは海岸から1,2キロ、標高わずか4,3メートルの場所にあった。明治時代には津波に襲われ、多くの死者を出した地だ。だから「防災センター」と言いつつも、津波災害の一時避難場所にすら指定されていなかった。

であるのに、市は避難所であるかのような名を付けただけでなく、「避難訓練のみのための避難場所」として、ここで訓練を繰り返してきた。市の出張所や公民館などを統合・新築するにあたり、資金調達が容易な「防災目的」で地方債を出したためだ。

市民の感覚から離れた行政の論理がどんなに空虚で危険か。それを教えてくれる防災センターも震災から千日たち、撤去されつつある。冒頭の言葉は、妻を失った男性が解体が始まった今月2日朝に書いたと地元紙・河北新報は伝えている。

言葉は続く。<忘れないでほしい。/ここであった現実を/伝えてほしい。/生きるために 今自分がどうすべきか>

先入観

2013-12-22 09:27:28 | Weblog
一人の男の子が、虫歯の穴をつめてもらいに歯医者さんに出かけた。その男の子は、この歯科医の息子だったが、歯科医は男の子の父親ではない。

一体これはどういうことか?なぞなぞのような問題だが、答えはとても単純だ。米国の作家マリリン・バーンズさんは子供向けの著書『考える練習をしょう』(晶文社)でこの問を紹介しつつ、説いている。

<自分がどんな先入観を持っているか、ちゃんとわきまえていれば、落とし穴を避ける事もできる>どうもこの国は、深い穴にはまってしまっているかもしれない。ダボス会議開催で知られる国際機関・世界経済フォーラムが男女平等の度合いを調べた調査で、日本は136カ国中の日本の105位。

女性政治家の少なさが低順位の一因だという、先週、遺族年金の支給年齢に男女差を設けることは違憲だとする判決も出た。働き手は男で女は養われる身・・・そんな時代遅れの考え方に基づき、男か女かだけで社会保障にも差をつける。

そういう制度を国会が放置しているのだから、105位はやはり妥当なのかも知れない。冒頭の問題に戻れば、答えは「歯医者さんは男の子の母親」。それだけの話し。「医者は男性に決まっている」という先入観さえなければ、問題にもならない問題なのだ。

マンデラ

2013-12-17 08:37:06 | Weblog
双発プロペラ機のエンジンが一基止まっているのを見つけた時も、マンデラさんは落ち着き払っていたという。緊急着陸体勢には入っても、手にした新聞から目を上げもしない。地上は、大騒ぎだった。消防車と救急車が待機する中、飛行機は何とか着陸した。

空港のラウンジには日本人の観光客が大勢いあわせた。マンデラさんはいつもと変わらぬ様子で一人一人と握手を交わし、写真撮影に笑顔で応じた。だが、米国人記者R・ステンゲル氏がフライトの様子を尋ねると、マンデラさんは告白したという。

「怖かったよ! 空の上で身の縮む思いだった」ステンゲル氏は、『信念に生きる マンデラの行動哲学』で書いている。「どんなにおびえていても、勇敢なふりをすること」―これがマンデラさんの流儀。

恐れを感じないというのは愚かな証拠で、勇敢さとは、おそれに負けないことなのだと、肌の黒い人を人間扱いしない人種隔離政策に反対して、投獄されること27年。うち18年は180センチの体を丸めなくては眠れぬような独房に入れられた。

しかし牢獄でも畏縮せず、堂々とふるまって、白人の看守たちも深く敬服させた。その独房を訪れたオバマ大統領は「どんな足かせも、独房も、人間の精神にはかなわない」と記帳した。自由を求め、不屈の闘いを続けたマンデラさんの墓碑銘にふさわし言葉だ。

競争

2013-12-14 10:49:43 | Weblog
学校でこんな実験をしたとする。同じ問題を二つの班に与えて、違う指示を出す。一方には「班で話し合ってもいいですが、班ではなく個人の成績を見ます。
班の中で順番も決めます。他の子より良い点を取るように」と言う。

他方には「よく話しあい協力し、班として少しでも良い成果を出すようにしなさい。班の点数が一人一人の点数になります。

さて、どちらの班の得点が良くなるか。競争が働く前者のように思えるが、逆だそうだ。競争と協力をめぐっては多様な研究がなされてきたが、競争は強力ほど成果を生まず、かえって悪影響が出るとの結果が数多く得られているという(コーン著『競争社会をこえて』)考えてみれば、他者の敗北なしに自らの喜びが得られぬ競争より、ともに達成感を味わえる協力・協同の方が力強いというのは、当たり前のようでもある。

政府が学力テストをして、学校別の結果を公表する。新聞はその順位表を載せ、学校間の競争をあおる。学校はテスト対策に追われ、答案改ざんなど不正まで行われるようになる。

これは、教育現場に徹底した競争原理を持ち込んだ英国の話だ。日本でも学力テストの成績の学校別公表を始めるという。「成績の悪い子は、テストの日は休んでほしい」・・・そんな思いがチラッとでも先生たちの頭をかすめるようになったら、それこそ教育の敗北だ。

橋の下

2013-12-12 08:47:45 | Weblog
昔の親は、子どもに対し、ずいぶんひどい言い方をしたものだ。「お前は実は橋の下で拾われた子だ」。女の子はともかく、男の子は悪さをした時に、親からこんなことよく言われたものである。

事実ではないから、言える親の軽口なのだろうが、言われた方はそれなりに心配になる。自分はこの家の子どもではないのかもしれない・・・。なぜ親が「橋の下で拾ってきた」と言うのか。

由来ははっきりしない。生後間もない子を道や橋の下に捨てるふりをする由来の「子捨て」という儀式と関係があるという説もある。いったん捨てて、拾われることによって、丈夫で健康に育つという親の願いが込められているという。

心底驚き、お気の毒にと思った。60年前、病院で出生直後に別の新生児と取り違えられた男性(60)の話である。本来、育つはずだったが、誤って引き取られた先の家庭はそうとはいえず、苦しい生活を送ることになったという。

60年前といえば1953(昭和28)年生まれ。生活保護を受けて母親に女手ひとつで育てられたそうだが、ダッコちゃんやフラフープは買ってもらえただろうか、長嶋選手を見に後楽園球場に連れて行ってもらえただろうか。

男性の60年を考えてしまう。もちろん、橋の下で拾われた人ではないが、丈夫で健康に暮らしてほしいと願うばかりである。

人民のため

2013-12-09 08:05:02 | Weblog
ちょうど150年前の11月19日、演説に立ったリンカーン大統領は、言った。「私たちがここで述べていることに、世界は大して注意を払わず、記憶に長くとどめることもないであろう」。

南北戦争の激戦地ゲティズパークでの演説は、2,3分ほどのごく短いものだったが、最後の一節によって世界史に刻まれた。「人民の人民による人民のための政治を、地上から絶滅させないために・・・」。

しかし、演説の5日後に地元紙が載せた論評は痛烈だった。「我々は、大統領のばかげた発言を黙殺する。忘却のベールがこの発言を覆い隠し、繰り返されたり、思い出されたりせぬよう、国民の名誉のために望む」。

この地元紙の流れをくむ新聞が先日、歴史的酷評を訂正し撤回する記事を載せた。曰く「私たちの訂正に世界は大して注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろうが、良心の求めるところをなさなくてはならない」。

冗談まじりの記事ではあるが、それでも歴史の審判を重んじる姿勢はにじむ。翻って日本では、閣議の議事録すらもともに作られてこず、外交・国防の中枢・国家安全保障会議での発言が記録されるかも定かではない。

大事は忘却のベールで覆い隠そうとの姿勢だ、どうもこの国の政治家らには、あらためて復唱してもらった方がよさそうだ。「人民の人民による人民のための政治を・・・」

トイレ

2013-12-06 08:53:45 | Weblog
トイレはまさに文明の大問題だ。国連よれば、世界70億人のうち3人に1人は、トイレも使えない劣悪な衛生環境での生活を強いられている。そのために毎日2千人近くの子どもたちが、ちょっとした薬さえあれば治せる下痢で命を落としている。

ちなみに携帯電話の契約数は、世界で60億以上。文明の利器がこれほどが発達しながら、生活の中で最も基本的なトイレの復旧もままならぬ矛盾。そんな状況を打開しょうと、国連は11月19日を「世界トイレの日」とした。

実は日本もトイレをめぐって大変な問題を抱えている。福島第1原発の4号機で、使用済み核燃料プールから燃料棒を抜き取る作業が始まったが、その燃料を最終的にどう処分するかは、当てがない。

原発から出る危険極まりない排せつ物のトイレすらない。そういう矛盾を、どう解消していくのか。納得できる答えもないのに、原発をこれからも動かし続けようというのが、政権の方針だ。

この際、脱原発へと一歩前に踏み出すことが、文明の大きな一歩だが。