デジカメぶらりぶらり

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ギリシャ

2010-02-28 05:34:04 | Weblog
「文明と文化の違いを述べよ」と言われて「文明は腹の足しに、文化は心の足しになるもの」と分かり易く説いた学者がいる。

が、文明発祥の地で何千年もの間、国民の腹を満たした続けた国家はない。文明は衰退する。そのひとつ、ギリシャが今、深刻な経済危機にある。

昨年秋の政権交代後、前政権の巨額な借金が発覚して混乱が始まったという。諸悪の根源は前政権にある、という理論は日本と似ているが、ユーロ通貨を導入しているギリシャの財政が破たんすれば影響は全欧に及ぶ。

欧州文明発祥の地が欧州の繁栄から取り残され、ユーロ圏の重荷にまでになっている。残酷な歴史の教訓である。

管直人財務相の消費税率引き上げ論開始発言が波紋を広げている。これも、ギリシャが関係しているという。先日出席したG7で、ユーロの通貨危機に対する各国の厳しさを感じ取り、財政問題の重要さを学んだという。

今ごろ国際金融の大切さに気づくような財務相で大丈夫なのか。逆に心配になる。ギリシャの教訓を日本の「腹の足し」にするには、まず党利党略の税制改革論を捨てねばなるまい。


メダル

2010-02-26 07:38:29 | Weblog
100分の数秒差でメダルを逃がした、という五輪選手が続出するのを見ると、なんと非常な競技なのだろうと思う。

そんなわずかな差を実感することは、日々の暮らしではまずない。精密な時計が、差をはじき出す。人が作ったものだから、絶対に狂わないという保証はないだろうが、「今のタイムはおかしい」と文句をいう選手やコーチはいない。

計測は正しいと言う信頼がないと、競技はめちゃめちゃになる。水戸黄門の印ろうに似ている。劇中、ここぞという時にご老公一行が印ろうをかざす。

相手は悪知恵にたけた代官や商人なのに、それにニセモノの疑いをかけるワルはいない。そろってその威光にひれ伏し、退治される。悪人たちも素直なのである。

計測は正確であり、印ろうは断じて本物である。取り決めが守られてこそ、競技やドラマに夢中になれる。

そんな当たり前のことに思い至るのは、日々の紙面にルール違反や似た話が絶えないからか、五輪の会場にも、世間の風は吹く。禁止薬物のおきては大丈夫だろうか。

悲しいことに、世の中には印ろうの威光などハナにもかけぬ連中もいる。


2010-02-24 07:50:07 | Weblog
先の党首討論で鳩山党首が、「母とは年1度か2度会う」と述べたのが、いまだに引っかかっている。カネをもらった件とは別の次元になるが、同じ東京にいて年に1度か2度しか老母と会わないとは、辛い話である。

首相の多忙さは分かる。だが、プライベートに過ごす時間がしばしば紹介されている。母に会うのが少な過ぎないか、野党は「電話もしないのか」などと攻めたが、口裏合わせなどといわず「もう少し母親を訪ねたらいい」と心配すれば、退屈な党首討論にもっと耳を傾けた国民もいただろう。

公の政治と私生活を混同したくはないが、元はと言えば鳩山家の私的問題が政治問題になったのだ。以前、橋本龍太郎元首相が毎週のように入院の母を見舞っていたのを思い出す。

この見舞いにも見方は様々あった。が、多忙を理由に、首相がろくに母とも会えないとの理屈は通用しない一つの例ではある。

どんな家にも外からはうかがい知れない事情がある。差し出がましいが、せめて月に1度の訪問をすすめたい。

物忘れもなく、懐かしい会話ができるうちだ。老母への孝行は。

服装

2010-02-22 07:38:27 | Weblog
自分でまいたタネだから仕方ない。思わぬ騒ぎや好奇の目にされた。若者が五輪のメダル取りに失敗した。

服装の乱れは心の乱れ。だから実力が出なかった。説教好きの大人たちは、そう言うのだろうか。確かに、身だしみは大切である。が、それとは別に、大人の世界に訳もなく反抗す若者の姿も、今に始まったことではない。

みんな若気の至りを経験する。説教も、ほどほどにした方がいい。国会で取り上げられ、大臣が「極めて遺憾」と答えたのには笑ってしまった。

カネの疑惑に、「反省してまーす」といった軽々しいセリフが何度出たか。進退を問われて「うるせえな」という顔をする仲間もいるではないか。

若者の行儀の悪さの比ではない、海の向こうで、「トヨタたたき」が激しい。詳しい事情は知らないが、普天間問題の意趣返しとか選挙向けの芝居という憶測も流れる。

何かヘン、という気配はぬぐえない。尻馬に乗って騒ぐ米国のおかしさを言うのなら、よってたかって若気の至りを懲らしめるのはおかしくないのか。

まだ21歳。訳知り顔の大人たちを見返す再挑戦は、いくらもできる。

子分

2010-02-20 06:58:18 | Weblog
ヤクザ映画が紹介されて、「子分」などという言葉が21世紀の民主国家の議事堂に飛び交うのは困ったものだ。

鳩山首相と母親の間で「子分に配るお金がいる」との会話があったと伝わる。首相は否定しているから事実か否か不明だが、実弟の口から出た証言は重い。

政治家に師弟関係はあってもいい。だが「親分子分」では比喩を通り越している。はからずも政界の裏を見た思いである。

「一票の格差」がしばしば指摘される。選挙区によって有権者の一票の重みが違う現実を言う。が、親分クラスの議員を選ぶのも一票、子分も一票だ。

チルドレン、ガールズなどと呼ばれて一人前扱いされない議員がいるなら、それも一票「一票の格差」といえまいか。「議事堂と花ばかり。実は表決道である」とは憲政の神様と呼ばれた尾崎咢堂の言葉である。

時勢に流されず、大物議員にも臆せず議論できる議員が少ない。一票に格差のない採決時だけ存在意義のある議員には耳の痛い言葉である。

まして、カネをはさんで親分と子分がいて、その親分よりも強い本物の親分がいる政界など、もってのほかだ。

銀・銅

2010-02-18 07:05:42 | Weblog
スピードスケート男子500で銀と銅メダル。金に届かなかった悔しさはあるが、これで五輪の楽しみが増した。前回大会はメダルが金1こだけ。

事前に景気の良い皮算用を聞かされていただけに、落胆続きの日々であったこと思い出す。
予想が当てにならないことを、しみじみと知らされた。選手にとって、評論家の予想はさぞや耳障りだろうと思う。

体の調子や心の高ぶりを、アカの他人が十分に分かるはずがない。ある作家が話したが、挨拶を求められて席を立ったところ、隣の評論家がそっとささやいた。

「先生、ズボンの前が開いています」「おやおや、キミでも役に立つことがあるんだ」と、言葉を返したそうである。

評論家や予想とは、それくらい冷やかに接するほうが賢いのだろう。が、当人には迷惑千万でも、門外漢は訳知り顔の予想や解説につい耳を傾ける。

予想があるから、番狂わせには興奮する。五輪は、途方もない重圧が選手を襲う。評論家の言う実力通りの結果が出ないことも珍しくない。

前回に懲りてか、本大会のメダル予想は控えめのようだから、うれしい番狂わせの期待が高まる。

第3位

2010-02-15 07:03:22 | Weblog
米国の調査機関が今年注目すべき世界の指導者の3位に小沢一郎民主党幹事長を選んだ。えらく高い評価に本人も驚いているだろう。

小沢氏が尊敬する政治家に同じ岩手県出身で大正期の首相・原敬がいる「世界の公人中、君のような現実主義に徹底した君はいない」と評され、後輩への影響が小さくないようだ。

「近代日本の政治家」(岡義武著)によるとこんな案配だ、まず、敵と味方を峻別する人だった「個人としては寡欲清廉だったが、党首としては大胆に利権に近づき」「利権は取るためではなく与えるため」と言われた。

時に碁も楽しんだが「三度の飯より政治が好き」金のかからない政治を求められると「金を欲しがらない社会をこしらえてこい。そうしたら金のかからぬ政治をしてみせる」とうそぶいた。「過去もなく未来もない。ただ現在あるのみ」で今日主義とも言われた。

小沢氏と歴史に残る宰相との比較が妥当かどうか、世界3位に値するのか異論もあろう。が、寡欲で清廉か、真の指導者かを判断するのは検察庁でも外国機関でもなく、有権者であることをゆめゆめ忘れないでおきたい。

笑い

2010-02-13 08:43:48 | Weblog
もう2月だが、新年早々には「初」がついて回る。皆さんの初笑いは何だったのだろう。笑いすぎて思い出せない人は幸せであろう。

笑う門には福来たる
笑う顔に矢立たず
笑って損した者なし
笑いは人の薬

日本では、笑いの効果を説くことわざや格言には事欠かない。日常生活での実感から導き出された知恵に思える。

科学的に説明されている効用もある。例えば日本臨床リウマチ学会では、笑いが生体や精神の機能に良い影響を与え、リウマチに対しても有効だという研究が多数報告されている。

無理をしていると確かに人は不機嫌になる。老人だけなく、どの世代にも共通している。日本では、笑って暮らすも一生泣いて暮らすも一生。ともいう、同じ一生なら、笑って暮らして生きたい。

無理に「ワッワッハ」と大声を上げる必要はない。笑いはいろいろ。ほほ笑みもある。

相撲

2010-02-10 06:28:06 | Weblog
近年の大相撲は、土俵の外の方が耳目を集める。今度は、貴乃花親方が協会理事選挙で選出された。

詳しい事情は知るよしもないが、国技の伝統が時代の波に揺れていることが分る。番付上位に外国人が並ぶ「国際化」とう大きな荷物を背負ってもいる。

いつになったら日本人横綱が生まれるのだろう。弟子の育て方に問題がある、といわれている。かって「見習い」制度があった。有望な少年を部屋に引き取り、近くの中学や高校に通わせながら、体作りからじっくりと指導する。

そうして多くの横綱や名力士が生まれたよその競技では珍しくない英才教育である。お尻丸出しを嫌って、肝心の相撲少年が減っている。

それなら、相撲パンツを普及させればいい。その旗振りをし、少年たちを土俵に上げる熱意よりも、大卒力士をスカウトする促成栽培に走っているように映る。

「見習い募集」という張り紙を、見掛けない時代になった。師の背中を一心に見て習うことから、物事の会得が始まる。

そんな伝統のきずなは、相撲界からも薄れようとしているのだろう。