デジカメぶらりぶらり

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食事

2012-05-30 08:01:10 | Weblog
昨年12月に亡くなった映画監督森田芳光さんの代表作は、やはり「家族ゲーム」かと思う。1980年代の作品だが、とりわけ印象深いのは、家族が横一列に並ぶ一種異様な食卓のシーンだ。

一緒に食事するが、テーブルを「囲む」ことはない。文字通り、正面から向き合うのを避け続ける、いびつな家族のありようを象徴して見事だった。人間の目にはサルやゴリラにはない白目があるため、向き合っていれば目の動きで相手の気持ちが分かる。

専門家によれば、それゆえ人間は、背を向け合って食べるサルなどとは違い、家族や仲間と楽しく食卓を囲むことができるのらしい。最近、農林中金が首都圏の高校生を対象に行った「食」に関するアンケート結果をまとめた。

それによると、家で食事の時にすることを複数回答で聞いた問いには、85%が「家族と話をする」と答えたが、これは7年前の前回調査より15%近くも多い。震災後1年での変化を聞いた問いにも、半数近くが「家族との食事時間を大切に思う気持ちが強くなった」と答えたそうだ。

あの経験を経て同じものが別の見え方をするようになったことは多い。食卓もその一つ、ということだろう。会話は料理をおいしくもしてくれるが、それにはやはり「向き合う」のが肝要だ。背を向き合ったり、横一列に並ぶのでは、話も弾みようがない。

大物

2012-05-28 08:59:01 | Weblog
以前、ある住宅会社にテレビCMに、こんなコピーが使われていた。<大物を育てる天井を高くすると良い>その真偽は知らぬが、どんな才能であれ、狭い空間よりは、広い場所を与えられる方が可能性を伸ばしやすいのは確かだろう。

その伝えでいけば、プロスポーツの領域も相当“大物”が育ちやすい状況になってきた。野球なら米メジャー、サッカーでいえば欧州各地の一部リーグで活躍する選手は当今、珍しくない。

サッカーの宮市亮、野球の田沢純一両選手のように国内プロを経ず直接、海外で勝負するプレーヤーさえいる。世界は、グローバル化の時代。無論、負の側面もあるが、プラス面もあり、スポーツに限らず広く文化の分野で、いわば“天井”が高くなったのは、その一つかと思う。

作家でも、村上春樹さんのように新刊翻訳が海外主要書店に並ぶようなケースが出てきた。運動選手であれ作家であれ、活躍の舞台、即ち、市場が「日本」に限られるのと、最初から「世界」に開かれているのとでは、おのずと芽を出す才能の育ち方にも違いは出てくるはず。つまり“大物”出現の可能性が高まってきているとは言えまいか。

バカンス

2012-05-26 08:34:57 | Weblog
V-A-C-A-I-O-N 楽しいな・・・待ち遠しいのは 夏休み。原曲はコニー・フランシスで、伊東ゆかりさんらが日本語で歌った往年のヒット曲「バケーション」である。

仏語ならバカンス。夏などにとる長期休暇のことだ。1936年に仏レオン・ブルム政権が「マチィニヨン協定」で決めたのがバカンス文化。以後、欧州に広がったのだという。

今や4週間もの連続休暇を法で定める国もあると聞く、さて、今夏は「節電の夏」になりそうな日本だが、以前の記事によれば、一番厳しい関西電力でも、昨年実績に基づく需給推計だと、電力不足が生じそうなのは、主に7,8月の12日間、計58時間にすぎないらしい。

「年間数十時間のピーク時にしかない需要に合わせ供給設備を整える(電力会社の)ビジネスモデルは非合理的」とはさる環境団体の人が語った言葉。電気はためておけぬからとはいえ、確かに何とも業腹である。

既存の祝日を集め、秋に5連休を設ける案が民主党内で議論されているそうだ。悪くないが、いっそ夏に電力需要のピーク日を“一網打尽”にする「超大型バカンス」を導入してはどうだろう。

消費が増え景気にもプラスだから一石二鳥。まあ、それは夢想としても、何かいい手はないものだろうか。電力不足という"敵“はたった数十時間なのだが。

上を向いて

2012-05-24 08:27:01 | Weblog
何かつらいことがあったり、落ち込んだりした時、人は、うつむきがちになる。震災に時、多くの日本人が坂本九さんの「上を向いて歩こう」に励まされたのも、だからだろう。

先日の朝は<上を向いた>人がずいぶん大勢いたのではあるまいか。太平洋岸などの各地で金環日食が観測された。石川達三は「金環蝕」で、周りは金色に輝くが中の方は真っ暗だと、カネに汚れた政界にたとえたが、日食メガネ越しに見ればやはり、なかなかの神々しさ。

これほど広い範囲で観測できるのは平安時代以来、などと聞くとありがたさも一入である。折も折、22日はタワーで世界一の高さを誇る東京スカイツリーの開業。また、たくさんの人が巨塔を仰ぎ見ることになる。

加えれば、先週末にも人々の目を天空高くへと惹きつける吉報が、国産ロケットH2Aが初めて商業衛星打ち上げに成功した。まだまだ困難の中にあるわが国だ。人々をして<上を向かせる>出来事が続くのは、喜ばしい。

「笑い」が体によいというのはもはや知られた知見だが、本物でなく「つくり笑い」でさえ脳は活性化するという。ならば、である<上を向く>行動が人の気持ちまで上向かせるとしても、おかしくはあるまい。

40年

2012-05-22 07:31:53 | Weblog
病床のおじいさんが、見舞いに来た孫に、子どものころのことから戦争や結婚を経て現在に至るまでの来し方を語る。

こんな風にーけんかもしたし、危ないこともした。もう少しでバスにひかれそうになったこともあるし、困った場面もあった。

だが、いつもうまくいったんだよ…。ユッタ・バウアー作・絵の絵本「いつも だれかが・・」の話。それぞれの出来事を描いたやさしい絵にはすべてうっすらと天使が描かれている。

それが<いつも>おじいさんを助けてくれていた<だれか>。天使でなくても、そうした、実は陰で支えてくれている<だれか>に気づかぬまま過ごしている面は、誰にでもあるのだろう。

電気を好きなだけ使う生活にも似たことは言えるかもしれぬ。それが、実は原発立地を受け入れた地域の「負担」の上に成り立っているということを、電気を消費するだけの側はあまり意識してこなかった。

あの事故が起きるまでは、そういう<だれか>でいえば、フクシマはオキナワにつながる。ふだんあまり意識していないが、日本の安全保障体制は間違いなく、米軍基地という「負担」の大半を沖縄に押し付けることで成立している。

その重さに思いを致したい。15日で沖縄返還からちょうど40年になった。



大ヒット

2012-05-20 07:11:56 | Weblog
1970年代前半ごろ、「仮面ライダースナック」というお菓子が、爆発的に売れた。大ヒットの要因は味でなく、おまけのカード。子どもたちは新しいカードの入手、多種を揃えるのに夢中になり、競って買った。

果てはカードだけ抜き取って、お菓子は捨ててしまう現象まで起き、社会問題になったものだ。携帯電話ゲームの運営会社6社が、有料のアイテムを次々集める通称「コンプガチャ」なる仕掛けの廃止を表明した。

消費者庁から「射幸心をあおる」と違法の可能性を指摘され、先回りして自主規制したらしい。利用者は一回数百円程度でアイテムを購入する。対戦で有利な希少アイテムがほしいが、種類は選べず、何が手に入るか分からないため、次々買うことになる。

さらに、希少アイテムを一定の組み合わせで揃えると、一層希少なアイテムが手に入る仕組み、月何十万円と使う子もいるとなれば、やはり規制は必要であろう。ずっと“誘惑”の手は込んでいるが、買ってみないと何が出てくるか分からない興奮と、種類を揃えたくなる真理を、同時に刺激するという点ではライダーカードとも通じる。

だから、今の子らが夢中になるのは「昔の子ども」にも理解できる。むしろ驚くのは、「はまる」利用者には大人も多いということだ。あのころ、ライダーカードに夢中な大人ねんていなかったのだが…。

メード・イン・ジャパン

2012-05-18 08:33:35 | Weblog
メード・イン・ジャパンといえば、戦後しばらくは安かろう悪かろうの代名刺だった。血のにじむ努力を重ねた企業が、世界に信頼される商品を製造した結果、「高品質」を意味する言葉になった。

ただ、品質の高い製品を大量生産する技術を持っていたとしても、不良品が交れば信頼は一気に崩れてしまう。国際競争に勝ち抜くこともできない。不良品すべてを台無しにするのは、製造業に限らない。

証拠の中に紛れ込んだ粗悪品が影響したと考えられるのが、小沢一郎民主党元代表の政治資金規正法違反事件だった。虚偽の捜査報告書を提出し検察審査会を惑わせ、自らが断念した元代表の刑事訴追を実現しようとしたー。

検察組織に今、持ち上がっているのはこんな疑惑だ。元代表の一番の無罪判決に対し、検察官役の指定弁護士は先日、控訴に踏み切った。無罪になった被告への控訴が許されるのか。

指定弁護士の一人は「朝まで悩んだ」と打ち明けた。苦渋の決断だったと思うが、強制起訴の前提となる証拠に粗悪品が含まれていたことが明らかになった以上、控訴は残念すべきではなかったか。

1審判決は虚偽報告書問題について、検察当局で十分に調査、対応すべきだと異例の言及をした。裁判所は特捜検察の体質に問題があるとみている。末端の検事を懲戒処分にして、幕引きを図ることは許されない


沖縄

2012-05-16 07:48:05 | Weblog
病床のおじいさんが、見舞いに来た孫に、子どものころのことから戦争や結婚を経て現在に至るまでの来し方を語る。

こんな風にーけんかもしたし、危ないこともした。もう少しでバスにひかれそうになったこともあるし、困った場面もあった。

だが、いつもうまくいったんだよ…。ユッタ・バウアー作・絵の絵本「いつも だれかが・・」の話。それぞれの出来事を描いたやさしい絵にはすべてうっすらと天使が描かれている。

それが<いつも>おじいさんを助けてくれていた<だれか>。天使でなくても、そうした、実は陰で支えてくれている<だれか>に気づかぬまま過ごしている面は、誰にでもあるのだろう。

電気を好きなだけ使う生活にも似たことは言えるかもしれぬ。すれが、実は原発立地を受け入れた地域の「負担」の上に成り立っているということを、電気を消費するだけの側はあまり意識してこなかった。

あの事故が起きるまでは、そういう<だれか>でいえば、フクシマはオキナワにつながる。ふだんあまり意識していないが、日本の安全保障体制は間違いなく、米軍基地という「負担」の大半を沖縄に押し付けることで成立している。

その重さに思いを致したい。15日で沖縄返還からちょうど40年になる。



価格

2012-05-14 07:46:12 | Weblog
市場における競争の激化は、一般に、商品の価格を下げる効果がある。その点では消費者にメリットがある。

怖い面もある、問題は、事業者が利益をぎりぎりまで削り、価格を下げてもなお値下げ競争を強いられる場合。原材料費に当たるものを抑えるなら例えば、ハンバーグのサイズを小さくするように、商品の量やサービスの内容を変える手がある。

だが、それでは顧客に一目瞭然。値下げになっていないと見抜かれる。だから、コストカッとの矛先は勢い消費者の目につかないところ、気づきにくいところへと向かいやすい。

報道によれば、高速ツアーバスの業界も規制緩和で新規参入が相次ぎ、大変な競争になっているようだ。群馬県の関越道で乗客7人が犠牲になった痛ましいバス事故も、そんな背景の中で起きている。

逮捕された運転手は「疲れていて居眠りした」。夜通し5百キロなどという長距離を走るのに、交代ドライバーもなしなど、十分な手当てをしていない業者が少なくないのも、旅行会社からの請負価格を迎えるためという。

行き先も所要時間も同じだが、低原価のため実は「安全」は疎かにしたと予め分かっていたら誰が利用しよう。ツアーバスに限らぬ。一見同じ商品、サービスの背後で何が犠牲にされたか消費者に見えない。

そこが低価格の、否、それを強いる競争万能主義の怖さである。

2012-05-12 08:14:56 | Weblog
彫刻では、手が最も苦労すると、昨年、98歳で亡くなった佐藤忠良(ちゅうりょう)さんが語っていた。手の位置一つで、作品がきざなってしまったり、甘ったれたりするからだという。

小指一本動かしても全体が動く。「バランスが変わるんです。それに、指だけがおしゃべりすると、彫刻全体がおかしくなる」と、画家の安藤光雅さんが話していた。

辞書を引くと、「手」に関係する言葉はとても多い。手がやける、手に負えない、手に付かない、手を貸す、手を汚す・・・。

手は心の動きと密接に結び付いていることに気付かされる。日本人で初めてパリ・ロダン美術館で個展を開催するなど、世界的な評価を受けていた佐藤さんは自らを「粘土職人」と呼んだ。

職人には勲章は要らないと、文化功労者などを辞退し、無名の人々の姿を削り続けた。「群馬の人」「木曾」など、庶民の力強さが伝わる作品の源泉は旧ソ連のシベリアに抑留された体験だった。

「収容所の中では、みんなただの男になって自分を見せ合っている。そうすると、つきあっていけそうだなと思う人たちは、地位も何もない、ただの人だった」。大家になっても、自らが手に振り回されていることを隠さない謙虚な芸術家は、手が「第二の顔」であることをよく分かっていたのだと思う。今年7月4日で生誕から百年を迎える。