デジカメぶらりぶらり

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下駄の雪

2011-01-30 08:53:04 | Weblog
「踏まれてもついていきます下駄の雪」。かって、政権党に密着し続けた小政党をからかう言葉があった。今も連立政権の中で、対象の政党名を変えて使われている。

映画「武士の家計簿」で有名なった「ごっぽ石」は、下駄の歯にはさまった雪をコンコンとたたいて落とすための石である。雪国の、それも下駄を履いた記憶のある年配者でないと理解しにくい。

今でもたまに見かけることがある。雪と下駄の関係は政党だけではない。政治が下駄で、カネが雪になることがある。きれいな雪の庭先を歩く下駄の下に汚れた雪がこびりついている。

あるいは、政党が下駄で、しがみつく議員を雪に例えてもいいケースがある。下駄を履かずに、素足で雪の上に放り出されは死ぬと言うに等しい。政倫審や証人喚問という「ごっぽ石」でたたき落とされそうになっても、離党勧告があっても、党にしがみつくしかない。

だが、いかがわしい政治家の家計簿に見る汚れた雪はどこまでふるい落とせるか。転びそうで転ばない東北岩手の雪に慣れた強者である。刀の抜く場面のない「平成の時代劇」の幕開けが近い。

マスク

2011-01-28 08:26:09 | Weblog
おもしろいタクシー運転手に出会った。世間話をしていると、「お客さん、タイガーマスクの次に現れるマスクを知っていますか」インフエンザと花粉症のマスクだそうな。

別の客のネタの受け売りかもしれないが、うまい事を言う。マスクもいろいろ。もっとも、インフルのマスクは既に結構出没している。各地で学級閉鎖の学校が出ている。

受験生もいるだろうから、感染が広がらないことを願うが、子どものころ、とりわけ何でも周囲に逆らいたくなる反抗期には、逆のことを願った。

胸を張って学校をサボれるのが学級閉鎖である。冬には時折、そんな素敵なことが起こる。熱を出し、しばらく寝込むのも悪くなかった。普段は口やかましい家族が、優しい顔で気遣ってくれる。

食事も病人用の特別あつらえ。大人が「困った」と言うものの中には、まんざらではないものもある。そんなへそ曲がりの考え方を、少しばかり学んだ。

就職が決まらぬのは「困った」ことである。だからといって、ナイフで騒ぎを起こすのは、へそ曲がりに似て非なるものである。捨て鉢とへそを曲げるのとは違う。

日本史

2011-01-26 07:53:18 | Weblog
「奈良時代の役人は早朝出動で、明るいうちに仕事が終わったんだってね」。先の大学入試センター試験「日本史B」に出された問題の一部である。

「朝廷」とは朝早く仕事をしたので、その名がついたとされる。一説には、今の午前4時ごろにはもう家を出たという。古代中国から直輸入した制度だが、暁の出動は当時でも相当きつかったようだ。

センター試験には、次のような記述が続いていた、「中世にも経済発展があって生活が豊かになり」。照明用の油の開発が進んだ。明りをつけて夜の仕事もできるようになった。

というわけだ。試験の記述はそこまで追究してはいないが、経済発展のおかげで「残業」が増えたと見るのは、うがちすぎか、大寒に入った。寒さは厳しくなるが、早朝の空の明るさは春近しを思わせる。

心身ともに暗くなる冬至のころと違って、大寒から節分までの寒さは、前方に春の光が見える分だけ和らぐ、経済発展が生活の豊かさにつながるように、大寒には冬の閉そく感から抜け出すような、どん底からはい上がる力を感じる。

受験生と一緒に、もうひと踏ん張りだ。


幸せ

2011-01-24 08:31:41 | Weblog
「人間が幸せになるためにこの世にある」と山田洋次監督の言葉もある。「ああ生きてて良かった思う瞬間がある。そのために人間は生きているんじゃねえか」と寅さんのセリフを揚げ「でも、どちらかといえば嫌なことの方が多くて、クリアしていくのが人生」と阪神大震災から16年になる。

災害による犠牲者は、生きる意味や人生の喜びを振り返る時間もない。突然の揺れで奪われた6434人の命は、災害死ほど不条理なものはないとの無念の叫びのようにも思える。

阪神大震災以降、新潟、能登、東北各地で大地震が相次いだ。時間が遠ざかる分だけ記憶も薄れるが、教訓は弱めてはなるまい。残ったものができるのは、悔しくて無念で、納得のいかない死を防ぐことである。

防災の努力こそが犠牲者と向かいあうことであり次代の命を救うことになる。嫌なこと、避けたいことを避けられないのが地震列島に生きる者の宿命である。闇の先に光があるのも人生だ。それを繰り返し、強くなって進むしかない。

手の甲

2011-01-22 08:33:40 | Weblog
名作「東京物語」(昭和28年制作)が、リメークされるという。尾道から上京して寂しく帰郷する老夫婦の話である。

主役の笠智衆さんは40代で、この70代の老人役を演じていた。かと思えば、昨秋、92歳で亡くなった池部良さんは33歳で「青い山脈」(昭和24年作)の高校生役をやった。

役者は化けるといはいえ、よくも見事にごまかしたものだ。歌舞伎の中村富十郎さんが81歳で亡くなった。人間国宝の役者だが、74歳で長女が生まれたことでも知られる。
こちらは年齢をごまかしようがなく「快挙」といってもいい。歌舞伎界は重鎮を失ったが、元気な話題で盛り上がってほしい。

記者は色々な役者や女優と会う機会がある。年齢不詳の方々も少なくない。実年齢はどこに現れるのか話題になる。首筋、目元、いや口元だ、等々の体験談を出し合う中で最も感心したのは「手の甲」だった。

手の甲は年齢を正直に現すというわけだが、人をだます役者と違って普通の人が年齢を隠す必要はない。亀の甲より年の劫(こう)と言う。苦労のにじむ「手の甲」も自慢の一つに加えたい。

三姉妹

2011-01-20 07:48:31 | Weblog
物語には似たパターンがある。三姉妹を描くのもそのひとつ。チェーホフの「三人姉妹」やシェークスピアの「リア王」も三姉妹の話である。

44年前のNHK 大河ドラマにもずばり「三姉妹」があった。幕末を生きた三人の物語だった。三姉妹の話は、同じ親から生まれても別の道を歩まざるえない人間の宿命がシンプルに表われ、ドラマ性に富んでいるので描きやすいのだろう。

今年の大河「江姫たちの戦国」も三姉妹の話である。浅井長政の末っ子・江姫は織田信長の姪。豊臣秀吉は義兄で、徳川家康は義父になる。加賀前田家の側から見れば利常夫人・珠姫は徳川の血が強調されるが、信長の血も濃い。

江姫もヒロインとなれるのは将軍秀忠の奥方というより、革命児・信長の姪であり、そのために歴史に翻弄された要素が強い。ここでも信長が隠れた軸になっているともいえる。

信長の衣鉢を継ぐのは、秀吉でも家康でもなく、前田家三代だった痕跡が瑞龍寺に残っている。信長「ブランド」の発見もドラマの楽しみ方のひとつになるだろう。

新春の歌

2011-01-18 07:40:40 | Weblog
新春の「歌会始の儀」の作品から、美しい言葉を正しく、使う大切さを、あらためてかみしめた。高校生の入選作「駐輪場かごに紅葉をつけてゐるきみの隣に止める自転車」。

草食やら肉食という色恋の奇妙な流行語が恥ずかしくなる。歌に縁遠い暮らしだが、百人一首は幾つか知っている。

美しい言葉があり、今も意味の分からぬ歌もある。落語「千早振る(ちはやふる)」は、紅葉を読んだ名歌が実は失恋の歌だったという珍解釈の一席。紅葉の名所「竜田川」はモテない相撲取りのしこ名であり、「唐紅(からくれない)」という色の名は、おからを呉(く)れないケチをさす。という具合。

奇妙な解釈に感心するが、似た話は身近にもある。「挙党態勢」という内輪もめがあり、口だけ達者な「有言実行」がある。「国民の声」は、自分に都合のよい主張を指す。

落語の珍解釈だと思えば腹も立たなくなったが、美しい言葉に接すると、やはり恥じ入る。「『大丈夫』この言葉だけ言ふ君の不安を最初に気づいてあげたい」。最年少入選の中学生の作。

大人はよほど、しっかりしなければならぬ。こんなにも繊細で思いやりある心の歌がある。


大学入試

2011-01-16 06:33:08 | Weblog
大学入試センター試験が行われる週末も、天気予報欄には雪だるまが並ぶ。雪の入試は北日本では珍しくない。

ドカ雪は願い下げだが、闘志を胸に雪の中を歩み出すのは、悪くない光景である。大事に立ち向かうときに、雪の白さが心を引き締める。赤穂浪士の討ち入りみたいで、絵になる。

高倉健さん扮する映画の侠客もそうだった。見せ場の殴りこみに向かうとき、不思議と雪が降った。着流しで傘に雪が積もる。吹雪や嵐には絶対にならない。都合の良過ぎる雪の演出だと分かっていても、しびれた。

赤穂浪士の討ち入りは、いまの暦では今月末。極寒の夜、足場の悪い雪の上でチャンバラをする難儀は、この地に暮らす者なら想像できるドラマは格好良過ぎる。

実際は、雪に足をとられて負傷した浪士もいたという。播州赤穂の記念館で、そう説明がある。大願成就の門出を、雪が静かに彩る。そんな週末であることを祈りたい。武運つたなくスべる人が出るのも世の常。

善意

2011-01-14 08:15:21 | Weblog
「伊達直人」さんの善意が各地で届いている。年が明けて、不思議なタイガーマスク運動が広がっている。

漫画の主人公を名乗って話題になったが、善意の贈り物は珍しい話ではない。ある新聞社の編集局にほぼ毎月、「恵まれない子に」という手紙を添えて、5千円の寄付金が届く、筆跡から見て、贈り主は2人で、共に女性と思われるという。

匿名だから、確かなことは分からないが、「定期便」は10年以上も続く。継続は大きな実りを生む。タイガーマスクに負けぬ無名のヒロインが、身近にもいる。

そろそろオレの出番、別の漫画「あしたのジョー」の主人公も善意の輪に名乗り出た。やがて「巨人の星」の星飛雄馬も加わるのか、懐かしいヒーローたちである。「漫画ばっかりよむな」と親や教師にしかられたが、あこがれの主人公が時を経て思わぬ活躍をする。

大人の小言の中には、聞かない方がいいものもある。別の直人サンも、子どもたちに手当を振る舞う。が、あのカネには、何か魂胆がある。そんな気配が漂うから、人気は上がらない。

宗教観

2011-01-12 08:14:25 | Weblog
年末から年始は日本人の宗教観をさまざま見せてくれる。年末にクリスマスを祝い明ければ神社へ初詣。キリスト教会で結婚式を挙げ仏式で葬式をする。

よくいわれる日本人の不思議な感覚だ。巨大な原子力発電所のコンピューター室に立派な神棚が飾ってあるという。昨年の「はやぶさ」奇跡の帰還では、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の管制室に各地の神社寺院のお札が祭られたという。

宗教紙によると「飛行神社」「隼(はやぶさ)神社」「電電宮(でんでんぐう)」(以上京都)や「飛不動(とびふどう)」(東京)などのお札だったというから愉快だ。

「はやぶさ」が無事に帰還した後には、JAXAのスタッフが、お札をいただいた神社に正式参拝までした。人事を尽くして天命を待つ心境なのだろうが、科学と宗教が混在・融合する21世紀の風景として記憶しておきたい。

われわれの初詣も、願いが成就したあかつきにはお礼の参拝があってもいいのだろうが、あまり聞かない。日本的な現金さだと言えまいか。