デジカメぶらりぶらり

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バレエ

2014-02-27 09:15:46 | Weblog
驚くべき数字だ。日本には約5千のバレエ教室があって40万人が習っている。これほどバレエダンサーがいる国は珍しいという。ローザンヌ国際バレエコンクールで、二山治雄さんが優勝した。

2位、6位も日本人。バレエ大国といって差し支えない結果である。日本にバレエが伝わったのは、1912年。イタリア人指導者が帝劇歌劇部のバレエマスターに起用された。

「日本バレエの母」はロシア革命で日本に亡命したエリアナ・バブロワさん。27年に鎌倉で開いたスタジオが日本のバレエ学校1号である。西洋人と異なる体格の日本人には難しい芸術ということだろうが、克服し、およそ百年で世界でトップクラスにいる。

優勝の二山さんは男性だが、この道に入った理由にも「少女」がいる。「すきな女の子がバレエを習っていたので」。漫画みたいとはいわない。

重圧

2014-02-22 08:45:17 | Weblog
想像もつかぬ数字で実感出来なのである。むしろ米紙が報じている契約の一部の「引っ越し費用は約300億円」「住宅手当は年間1000億円」の方に驚いたりするものだ。

「24勝無敗」。米国報道を見ると、これが田中投手の枕詞になっている。「24勝無敗の田中」「直球はまあまあだが24勝無敗・・・」どんな小説や劇画にも「24勝無敗」の投手はまず登場しない。

非現実的だし、面白くないからだ。『巨人の星』の星飛雄馬でさえ公式戦通算成績は「47勝5敗3セーブ」という。漫画データー研究の豊福きこうさんの本にある。

「夢の数字」と巨額投資への期待はそのまま田中投手には重圧になる。「本拠地でビジターを応援すれば言葉の暴力を受ける。ヤンキースタジアムなら本物の暴力を受ける」。

こんな言い方があるそうだ。それほど熱狂的な声援の一方、期待外れだと容赦ないファンを思えば尻込みしたくもなるが、田中投手は逃げなかった。「(契約した田中投手の)覚悟と自信に敬意が払われるべきだ」。

こう言ったのはイチロー外野手。ヤンキスーの怖さと「神の子」の心の強さを「天才」はさすがに分かっているようだ。

テスト

2014-02-14 08:42:11 | Weblog
現代社会に生きていれば、数限りない試験、テストの類いを受けることになるが、いまに忘れえぬ問題がある。

大学時代に師事したH先生は、試験を前にした最後の授業で「何を出題するかいまから教えます」と言って、学生たちを大いに喜ばせた。

「いいですか。こんな 問題です。『今年1年の講義で学んだことの中から自分で問題を作り自ら解答せよ』・・・これですよ」。後日、先生は研究室でパイプをくゆらせながら、こう語ってくれた。

「結局いい研究ができるかどうかは、どれだけいい問題を自分で見つけられるかなのです。何をどう問うのか。それに尽きるのです」。ことは学術研究に限らない。何が問題かを見つける。他人から与えられた問を解くのではなく、自ら問うべきテーマを考える。

H先生はテストを通じ、その大切さを教えようとしたのだ。究極の試験問題ではなかろうか。いよいよ都知事選が始まった。原発とどう向き合うか?そもそもこの選挙でなぜ原発を問うのか?活かすべき東日本大震災の教訓は?福祉や雇用問題にどう取り組むか?・・・。

16人の立候補者の問題意識を見極める「試験」の始まりである。試されるのは、候補者だけではない。いま首都東京の政治に、何を求めるか。有権者1082万人の「問題設定力」を日本中が見つめている。


天才

2014-02-12 08:17:14 | Weblog
「頭のいい子がいるもんだねえ」。テレビを見ていた母親が言った。天才少年が現れたという。言いたいのは「それに引き換えおまえは」「宿題しろ」である。

年が近いとはいえ「天才」と比べられても子どもは困る。将棋の谷川浩司九段は同じ世代の平凡な人間にとっては、比べられてちょっと「迷惑」な存在でもあった。1976年、14歳でプロ。

中学生棋士は当時二人目だった。83年、21歳の最年少で名人になった谷川さんは「天才と呼ばれると、それまでの努力がかわいそうだ」と嫌がるが、やはり天才と呼ぶしかない。

その谷川さんがトップ棋士が10人の順位戦A級から陥落した。イチローが成績不振で解雇されるようなものだろう。大山康晴永世名人に次ぐ32期の連続在籍の方をほめるべきだが、どうも寂しい。

引退はしないそうだが、集中力、記憶力、創造力、体力を総動員する棋士の年齢的なピークは40歳前後という。しかも、来期挑むB級1組には「鬼の棲家(すみか)」の異名がある。

かってのタイトルホルダーがひしめくからで50歳を超えた天才はどんな戦いを見せるか。将棋用語で「暴れる」とは困難の中でも攻め続けることをいう。暴れてほしい。もがいてほしい。

「50歳を過ぎているのにえらいねえ。それに引き換え・・・」。そんな言葉を家人から聞きたい。今度は喜んで悔しがるだろう。

家族

2014-02-06 08:54:17 | Weblog
今なら「家庭内暴力を容認している」と苦情が出るかもしれぬ。それほど向田邦子さん脚本のドラマ「寺内貫太郎一家」にはおやじがせがれを殴る場面がひんぱんに出てくる。

放送開始は1974年(昭和49年)年1月16日。東京・谷中の石材店の三世代同居家族を描いた。小林亜星さんが演じた無骨で口下手な貫太郎は向田さんの父親がモデルだという。

ホームドラマのコツとして向田さんは登場人物が集まる茶の間を「狭くて小汚い日本式の畳の部屋にする」と書いている。モダンな洋室では人物が泣いても笑っても絵空事になってしまうという。

貫太郎一家の茶の間も汚い。「ホームドラマ」を書きにくい時代になっている。大家族という設定自体、三世代世帯が一割もない現代では成立しにくい。ドラマから40年。

日本人は清潔で広めのリビングルームを手に入れたかもしれぬが、引き換え狭い茶の間にひしめく家族の「温かみ」を失いつつある。昔は良かったという気はない。

それでも独居世帯が三割という今の日本の家族の光景は寒い。うちは違うという人は恵まれている。「欠点はあるが、気のおけないだけいいや、と言った家族。
小汚い茶の間は気楽な人生の休息時として一番ふさわしい」。

向田さんはそう言ったが、そこにいるのは年老いた母親一人というのは珍しくないのだ。これでは喜劇は書けない。

遺産

2014-02-03 08:45:50 | Weblog
ダイナマイトを発明して巨万の富を築いたアルフレッド・ノーベルは晩年も、新兵器の開発にいそしんだ。彼は、その発明が悲劇を生もうとも科学者には責任はないと考えていたが、科学の進歩と平和に貢献した人たちに賞を送るべし遺言した。

先月、94歳で死去したロシアのミハイル・カラシニコフ氏も語っていたという。「私もすぐ世を去るが、遺産は人類に貢献する未来の優秀な発明家のために使ってくれ」などと言えたらどんなに幸せだろう、と(『カラシニコフ自伝』)その名を冠した自動小銃は高性能なのに安価で頑丈な銃として世界を席巻し、「人類史上、最も多くの人を殺した武器」とも呼ばれる。

今日もシリアなどでは、その銃弾で散っていく命があるだろう。カラシニコフ氏は、自分の発明品が悲劇を生み続けることについて繰り返していた。「責められるべきは、平和的に問題を解決できない政治家。私はぐっすり眠れる」。

しかし安眠はできなかったようだ。ロシア紙によると、彼は昨年の4月、教会にざんげの手紙を書いていた。「私の魂の痛みは耐え難い。私の銃が人々の命を奪ったことは、それがたとえ敵の死であっても、私の罪なのか」。

彼に銃の特許料は支払われず、賞を創設するような巨万の遺産もない。だが、その最期の告白は、平和のための遺言として記憶されるはずだ。