デジカメぶらりぶらり

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同窓会

2012-01-30 11:16:05 | Weblog
「同窓会ブーム」だという。震災以来の現象で、新年会と合同開催も目立っている。人のつながりが恋しい季節。「同窓会、出ねば死んだと 噂され」全国老人福祉施設協から恒例の「60歳からの主張」の川柳入選である。

作者は65歳。年々参加者が減っていく年配者の同窓会の哀歓がにじんでいる。中高年の同窓会は「孫・年金・病気」が三題ばなしで、参加するのがいやになるとの声もある。

選挙目当ての仕掛けにしらけることもある。懐かしさにつけいる根性が憎たらしい。一方で、住民のUターンを狙って同窓会に助成金を出す自治体もある。過疎地の同窓会は切実だ。

「みんな同じ人やけど、なんか少し違う人になっとるから、なんか照れる」若い人の感覚だろう。これが中高年になると「同総会 片思いですみ 大正解」となる。初恋の人も形なしだ。

老いていく友は自分の鏡、向こうもそう思ってみている。同じ時代を無事に生きてきたと思うだけで満足ではないか。

玉虫色

2012-01-28 09:24:47 | Weblog
ミスが重なり、大学入試センターが一部科目の再試験をした。「近ごろの大人はたるんどる」と受験生の怒りが聞こえてきそうである。

そんなお粗末があったとも知らず、試験翌日に新聞に載った問題を眺めた。中身はほとんどチンプンカンプンで、ただページをめくるだけ。国語の問題に「たま虫を見る」という文書があり、やっと手が止まった。

やさしい文書で、言葉の注釈もある。「尺―長さの単位」「坪―面積単位」と親切なこと。「たま虫―光沢を持つ甲虫の一種・・・」ともある。そんな説明がいる時代なのか。

ショックを受けた、あの虫と出合わずに成長した人は気の毒である。鮮やかな色と輝きは、絵具やパソコンでは出せまい。神がつくった美しい生き物の代表が立派に務まる。

光のぐあいが生む色の変化も、目を奪う。「たま虫」が珍しくなっても、「玉虫色」に説明はいらないだろう。政治家や役人が大切に使う。今度のミスで、首相が試験の改善を指示したという。

どう責任をとり、どうやり方を改めるのか。やるともやらないとも読める玉虫色の「答案」が、出てこないとも限らない。

芥川賞

2012-01-24 07:48:21 | Weblog
今回の芥川賞は二人受賞で個性も際だち、学歴も東大大学院と工業高校と対照的だった。昨年の西村賢太氏は中卒の芥川賞作家として特筆された。

小説家を学歴で評価するのはまったくナンセンスだが、文学のひとつの頂点に立つまでの人生を考えると、学歴の違いは興味深い項目である。

小説には反社会的な要素が欠かせない。怠惰や嫉妬や好色を描いて傑作と呼ばれるものが多い。清く正しく美しく勇気や希望を描いた作品はむしろ少ない。両方をひっくるめて文学だ。

学歴や教養は創造性とは直接結びつかず、時にはじゃまになるという。「文学とは社会を変えるような、そんなものではない。同時にまちおこしの道具でもない」と、五木寛之氏が語っている。文学賞のある方について述べたものだ。

文学賞を設けても廃止しても、自治体の文化度が問われるだけとも聞こえた。賞のために文学があるのではない。賞が消えても何の影響もない。多様な学歴の芸術家は次々と登場し、逆境の中からこそ名作は生まれる。

作家を励ます自治体応援団の、誇りと限界を考えさせられる。

船長

2012-01-20 08:05:55 | Weblog
イタリアの豪華客船が座礁して事故原因の追及以上に話題を呼んでいるのは、船長が乗客より先に避難したことである。「船長は最後まで残る」。世界中の船乗りの常識は通用しなかった。

陸にいる船長を見つけた沿岸警備隊が「舟に戻れ」と促したのに船長は戻らなかったという。この一点で、船長は海難史に汚名を残すことになるのではないか。能登鵜川出身の伝説的な船長「久田佐助」の名を思い出す人もいるだろう。

1903年、濃霧の津軽海峡でロシア船に衝突されて沈没した連絡船の船長だった。乗客をボートにのせ救難汽笛を鳴らし続けるため船橋に体を縛り、船と運命をともにした人だ。

明治の船員法も、船長は最後に退船するように求めていた。船とともに死ねというのではない。乗客や積み荷の安全に万全を期することを求めているだけだ。その伝統があるからか、戦後1955年の紫雲丸事故でも船長が退船を拒否して船とともに沈んだ。

各界に船長がいる。トップの責任は重く、過失はだれにもある。その時どうするか。胸に手をあてて考えてみたい海の向こうの教訓である。

夫婦

2012-01-18 07:47:10 | Weblog
ヒラリー・クリントン米国務長官は「元大統領夫人」だが、今や大変な存在だ。もう「元大統領の妻」と呼ぶ人はいない。

日本で「夫婦とも議員」といえば、田中真紀子・直紀夫婦が知られた。妻の方は説明のいらないほどの有名人で、夫はいささか影が薄かった。が、初入閣で防衛相に就任。

これで「真紀子議員の夫」から、晴れて「田中防衛相」と呼ばれるだろう。本人にすれば「○○の妻」や「○○の夫」と呼ばれるのは不本意なことだが、これは夫婦のどちらが著名かの問題であり、評価は社会が決める。

夫婦で問題がなくて家庭の平和が保たれているなら、それはそれでいい、かつて、高名な作家の夫人が「○○の妻」との肩書きの名刺をつくったという。ある女性作家が言った話が「○○の妻という名刺はおかしい」と笑ったという。

自立した女性作家の誇りが言わせたのだろう。夫婦間に従属関係はない。が、現実には力関係が等しい夫婦もまた珍しい。どちらが上か下か、他人がかまうことではないのだろう。
夫婦で同じ仕事につくのは難しいということか。



2012-01-16 11:01:14 | Weblog
「歌会始」の日になると、歌が詠めたらいいなと思う。作品に接し、無理な相談だとすぐに悟る。

大震災の津波被害に思いを寄せた両陛下のお作りを、心に深くかみしめる。最年少の入選者の作は「岸辺から手を振る君に振りかへすれど夕日で君が見えない」。

何度逆立ちしても、こんな歌は出てこない。若い才能がうらやましい、詠むのは無理でも、歌は幾つか覚えている。教科書よりもドラマや小説で知った。

太閤秀吉の辞世もその一つ。大阪城の展示室に短冊があり、感心して眺めていたら、横から「代作だよ」と声をかけられた。近年の研究成果だそうな。「露と落ち露と消えにしわが身かな浪速のことも夢のまた夢」。

言われてみれば、うますぎる。やりたい放題をして「夢のまた夢」は、あんまりだろう。今も昔も為政者のきれいごとはどこか怪しい。「関心はカネではなく天下国家」を素直に信じるほど、おめでたくはない。

厚化粧をし、飾り立てた言葉が相変わらず流行する。そうではなく、飾らぬ「素顔」の言葉こそ本物であり、心を打つ。歌会始の作品がそう教えてくれる。

松の木

2012-01-14 07:03:42 | Weblog
河岸線を守る防風林が各地にある。黒々した巨大な松林も一本一本は、心もとないほどに細く、強い海風のため幹はそろって陸側に倒れかかっている。松の木は一本では弱く、集団で強さを発揮する樹木なのだという。

東北の被災地で津波にも負けなかった一本の松が希望の象徴になっている。本来ひとりでは生きていけない細長い松が、あの大津波に耐えてひとり立ちしていることに勇気づけられるのだ。

正月、松の内が開けたばかりに「成人の日」がやってきた。松にあやかって言えば、人間もひとりで生きてはいけない。集団の中で互いに助け合って力が発揮される。

だが、大人になることは、あの一本松のように、ひとりで生きていくことでもある。家族・職場・地域などさまざまな集団から離れ、自分ひとりの力を見つめる時が必要だろう。

ひょろ長い若松が、育ててくれた大きな松や林から一人旅に出て、青年の樹になって故郷に帰る。伴侶を得て新しい自分の集団を築いていく、20歳の年齢を刻んだ日のことはだれも忘れない。ふるさとの温もりと、ひとり立ちの厳しさを思うからだ。

火消し

2012-01-12 09:05:23 | Weblog
明治から昭和にかけて活躍した日本画家の巨匠・小林古径(こばやしこけい)の代表作に「加賀鳶(かがとび)」(1909作)がある。江戸加賀藩邸のお抱え火消しの姿が生き生きと描かれている。

炎に包まれる屋根の上でまといを振る男、ハシゴを持って駆けつける男たち。万国博覧会にも出展され、加賀鳶は海外にまで知られた存在だった。宮城県の地方紙「河北新報(かほくしんぽう)」が出した「東日本大震災全記録」には、津波で孤立した仙台空港に最初に到着したのは高岡市消防本部の救助隊だったと記されている。

瓦礫(がれき)が阻む海水の中を果敢に進む姿は胸を熱くする。被災地に北陸各地の消防組織の活躍があったことを忘れない。加賀鳶の本場、金沢の出初め式は呼び物のハシゴ登りが、命綱を付けるか付けないかで意見がわかれた。

命綱などいらないというのも消防団の心意気だし、綱をつけてでも伝統の姿を見せるのも心意気であろう。火消しの心意気とは、いつ何時、何があっても市民を守るために自分の命を張る心構えのことだと思う。

身を切る寒風の中で、その姿を披露してくれることに、市民は敬意をあらわし、感謝するのである。

地デジ

2012-01-10 08:11:16 | Weblog
頼みもしないのに地デジ放送となり、買い替えるなら美しい大画面にという宣伝に乗せられた。わが家もそうで、狭い部屋に殿様みたいにふんぞり返っている。

もう慣れたが、鮮やかな画面である。見たくもない大女優のしわまで映す。政治家の表情も同様で、落ち目になるにつれ、目の輝きが薄れるのがよく分かる。前首相がそうだった、現首相も、そろそろ怪しい。

昨年は大型画面からは美しい自然以上に、痛ましい災害の光景が多く流れた。明るい笑顔に交じって、為政者たちの卑屈に映る作り笑いも多く見せつけられた。心弾む地デジ放送では決してなかった。

湯上がりのくつろぎの時には、明るいニュースや番組がふさわしい。地デジ元年、出直せないものか。

ネバー

2012-01-08 08:40:59 | Weblog
ネバーギブアップ。野田首相は年頭会見で「ネバー」を4度も繰り返し消費税への決意を示した。だが、ことしの首相の仕事は何と言っても東北の復興と日本の再生だ。

北陸の首長やトップの訓示でも「安全安心」や「エネルギー」が仕事始めのキーワードとなった。地域や職域をこえて日本全体の復興をめざし、地域ができることの決意表明だった。

ことしはトップだけでなく、各自の決意も必要だろう。復興と再生へ、自分の役割は何なのか、全体の中でどんな役にたっているのかを考えてみたい。小さな歯車にも、それがないと全体がうまく回らない役割がある。

昨年末に出された政府の原発事故調査の中間報告でも感じたことである。報告では、原発内の各部門が対応を誤った具体例が示された。個々の失敗が浮き彫りにしたのは、各自が全体のどこに位置しているかを理解していないために起きたことだった。

全体の中で自分の役割を考えること。責任感と誇りがそこから生まれる。今年の仕事は昨年の教訓から始まっている。難題にもあきらめず、後世に語り継がれる復興元年にしたい。