デジカメぶらりぶらり

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賀状

2010-12-30 06:57:33 | Weblog
今年も25日まで年賀状を書き終えようと決めて、守れた。賀状もらうのは楽しいが、出すのはいささか面倒である。

そんな身勝手な気分が改まるときがある。今年届いた賀状を読み返すうちに、亡くなった知人からのはがきを目にする。

もう届くことのない「最後の一通」である。天国から賀状が届くことはない。が、未来に届く便りというのはある。愛知・犬山の明治村に移築された郵便局は、預かった封書を10年間保管した後、配達するという面白いことをしている。

好奇心あふれる若者が、10年先の自分あてに夢や希望をつづっているという、あの流儀はまねできる。数日先の「謹賀新年」を書くついでに、数年先の賀状も書く。下らぬことに他人を巻き込むわけにはいかないから、自分あての賀状がいい。

「相変わらずビンボーか」「まだ生きてるか」などと、無礼な添え書きもできるし、引出しにしまっておくだけでいい。来る年を思う賀状書きである。が、出したくても届かぬ人の顔も浮かび、ゆく年のことも心をよぎる。

来年こそ、もっと腰を据えて書こうと思う。

日誌

2010-12-28 07:57:57 | Weblog
ここ数日の「首相日誌」は、目まぐるしく舞台が変わった。11日は、朝から都内のコンビニ、ネットカフェ、ハローワークを次々視察。

若者たちの実態を目のあたりにしたいと言いたいが、わずか数分では足元がすけて見えた。翌12日は山形が舞台だ。分厚いアノラックを着こんで寒風の中を水田に入り、お茶の試食場面もあった。

14日は硫黄島へ。遺骨収集の場で合掌した、諫早湾水門訴訟で首相が上告を断念した。漁民は歓迎したが、反対の農民は「支持率目当てのパフォーマンスだ」と切り捨てたという。

思い出すのは、カイワレ大根の試食や、坊主頭で巡礼に出る「菅流パフォーマンス」である。元々、なりふり構わぬ演技ができる役者だったのだ。

歌舞伎の坂東玉三郎さんが、酩酊役者の穴埋め公演を依頼されて「声をかけてもらう内が花」と快諾したが、あの大スターにしてこの言葉である。

菅首相も「騒がれている内が花」と、自ら見せ場をこしらえ、諫早湾を舞台に「大みえ」を切ってみせた、北へ南への視察をビシッと決めたつもりの主役の影で、混乱必至の農水省や地元の「黒子」たちが哀れだ。

三振

2010-12-26 08:10:52 | Weblog
1年ごとに職場が変わる。プロ野球に移籍はつきものだが、気心の知れぬ上司と同僚の中に入るのだから、松井秀喜選手も大変だろう。

来季で日米通算19年目となる。安打が通算2499本、本塁打493本。すごい数字だが、まだ記録には上もある。熱心なファンにはけげんな顔をされるだろうが、三振の数にも注目している。

通算1517個。広島で活躍した衣笠祥雄さんの1587三振に迫ってきた。衣笠さんは2215試合連続出場という当時の世界記録を作り、国民栄誉賞を受けた人である。

が、1番の自慢は「三振の数だ」と言われて驚いたことがある。歴代6位の不名誉な記録。「違う。それだけ失敗を重ねても、信頼されたという名誉な数字だ」。言われてみればその通りで、試合に出なければ三振はできない。

三振すれば、評価は下がる。失敗をはね返す力を何度も発揮しなければ、「三振王」になれるものではない。力いっぱいの失敗の後で、胸のすく殊勲打が出る。

だから来季も松井選手を応援しょう。失敗や失言ばかりでも、ベンチに下がらない連中が増えているから、なおさらである。

冬至

2010-12-24 07:52:33 | Weblog
22日は冬至であった。1年で最も夜が長い日で、この日を境に昼が長くなるのだが、気ぜわしい師走の日々に、そんな実感は乏しい。

日脚が延びるといっても、「一日に畳目一つ」とお年寄りは言う。面白い表現だが、これでは春が来るのに何年もかかる。能登の人は「犬のくるぶしほど日が長くなる」という言い回しがあるという。

人や牛のくるぶしほど目立ちはしないが、猫やネズミほど頼りなくもない。春に向かう歩みを、犬のくるぶしの大きさに例えるのは、雪国に暮らす実感を上手に言い当てている。

昔は日本語遣いの天才が大勢いた、冬至には、カボチャ(ナンキン)を食べる。「ん」が「運」に通じ、春に向かって幸いを祈る習わしだと教わった。

語呂合わせも言葉遊びの一つだが、近ごろはレンコン、ニンジン、ギンナンなどもと冬至が用達と悪ノリ気味である。世を騒がせる「政倫審」にも「ん」が付くが、こちらは好き嫌いの争いのタネ。

けんかのトバッチリは、国民は迷惑である。

誕生日

2010-12-22 07:55:35 | Weblog
就職試験の面接で「お母さんの誕生日知っていますか」と聞く会社が、かってあった。これひとつで家庭の姿が推測できるというのだった。

福井県がワースト1になった「家族力」調査にも「親の誕生日を知っているか」の項目があった。今回の民間機関の調査では福井県が最下位、富山県46位、石川県32位と北陸の評価が低かった。

かつて、「住みやすさ」調査で日本一になった福井や、上位常連の富山や石川の「家族力」が弱いと決めつけられている。

これに福井県知事が猛然と反論した。3世代家庭が多い地域は、孫と祖父母の会話の時間があり、親子の会話はその分だけ減るのだ。家族力が弱いのではなく、強くて多彩なのだといい、同調査は「家族力」ではなく、都市型発想の「核家族」調査だとの趣旨である。

「住みやすさ」と「家族力」の二つの調査には大きなギャップがあった。都合のよいのから悪いのまで、様々な統計が出る。自分の長所と欠点を知る機会にしたいと、おうように構えていたい。

だが、仮に「妻の誕生日を覚えているか」に答えられなければ、これはもう大変なことになる。

身長

2010-12-20 08:07:39 | Weblog
八十八歳の瀬戸内寂聴さんが、体力の限界がきて、バッタリたおれてしまった。病知らず、老いも知らずの人だった。

長寿社会だ、まだまだ大丈夫だろう。「わたし死ぬ気がしないのよ」と言って98歳まで生きた女流作家の先輩、宇野千代さんの上を行くと思う。

一方、時代差が大きいのが身長などの体格である。50年前と現在の日本人は、とても同じ人種とは思えない。先日の、終戦直後の1948年以来初めて前年齢で平均身長が伸びなかったとの調査は、歴史的な節目のニュースだった。

何千年か後、今の日本人の骨が発掘されたとする。後世の人は日本列島に2種類の人間がいたと思うだろう。平均身長160センチで寿命が50歳程度の旧人類と、約170センチで80歳まで生きた新人類。

そのふたつが共存していたと日本人が戦後60年に体験した変化は何事も急激に過ぎた。身長、寿命の伸び、そうして経済。「頭打ち」は成長の停止ではなく、安定成長へ移行したと思えるのである。

2010-12-18 08:21:36 | Weblog
今年を象徴する漢字一文字は、猛暑の「暑」になったが、時鐘子が勝手に決めたこんなのはどうだろう。

「低」である。最低の低。低、蹄、体、定の「てい」ともつながる。菅内閣の支持率は低下を続け、就任時の人気はとっくに底をついた。

国民は民主党の低迷ぶりに諦観し、雇用不安が進むばかり若者は定職につけない。金利は低いが収入も低くて、底辺に不満が渦巻く政治の体たらく、尖閣諸島では中国漁船が巡視船に体当たり、政府は検察に外交判断を押しつけて知らん顔だ。

中国に首脳会談を要請するも体よく断られ、続いて閣僚の相次ぐ脱線発言。「何とかの二つ覚え」では大臣の体裁も整わず。口蹄疫で宮崎の酪農家は壊滅的な打撃をこうむった。

初夏のころ前評判は低かったサッカーワールドカップが突如の人気。本田選手が火付け役で、サポータは「岡ちゃんごめん」と平身低頭。

春先までの低温が一転、真夏の猛暑。その間に低気圧の来襲で各地に豪雨。歌舞伎役者が迷酊して、腰をエビのように曲げて神妙顔。

首相も海老様も、かつての人気がゲゲゲの下と相成って、師走の風寒し。

2010-12-16 07:58:39 | Weblog
雷鳴と窓をたたくあられの音に起こされた。寝床から抜け出るのに、いささかの根性がいる。ユウウツな冬の目覚めである。

イヤになるほど雪と付き合った信州の俳人・小林一茶の句が幾つかある。「はつ雪が降るとや腹の虫が鳴る」「はつ雪をいまいましいと夕(ゆうべ)かな」。

雪を待つ人もいるから、八つ当たりが過ぎるようだが、そんな気分が分からぬでもない。
「はつ雪やそれは世にある人の事」。世の人は、初雪をもてはやす。が、そうでない暮らしもあるぞ。一茶の言うつ通りである。

雷や雪で騒いでいる場合ではない。石川県野々町で身代金目当ての連れ去り事件が起きた。目撃者の素早い通報が、被害者の無事と容疑者の逮捕につながった。

異変を見逃さぬ目と耳は、まだ地域に根付いている。心強いが、それで気が晴れるわけではない。粗暴で卑劣な悪巧みは、やすやすと県境を越えてくる。いまいましいが、そう覚悟しなければならないだろう。



金星

2010-12-15 07:58:26 | Weblog
見えるはずもないが、夜空の金星の辺りが気になる。探査機「あかつき」は周回軌道に入れず、遠くに去るのだという。

米国に遊学した人に愉快な話がある。名月の夜に「月見をしょう」と声を掛け、「いいね」と返事があった。日本なら酒、ここでは上等のウイスキーでも出るか、と思っていたら、米国人は天体望遠鏡を携えてきた。

いくらも例外はあるが、私たちは月のクレーター観察より風流に浸るのが好きである。奇跡の生還の最後を火の玉になって終えた「はやぶさ」の映像に、多くの人が心を揺さぶられた。

望遠鏡で月見をする人たちには、わが身を捨てて役目を果たす「潔さ」を見る思い入れは、理解できないに違いない。最近まで、漫画や、小説の世界では火星人も金星人も活躍していた。

天体望遠鏡による研究は、そんな夢を笑い話にした。おかげで利口になったが、無くしたものもある。よくしたもので、探査機は6年後に金星に再び近づき、やり直しの機会が来るという。

奇跡の夢はつながっている。大威張りするほどではないが、世界の果てではニッポンも頑張っている。

細菌

2010-12-14 07:48:18 | Weblog
米航空宇宙局(NASA)が、数日も前から発表を予告していた大ニュースは、特異な細菌の話だった。

有毒のヒ素を取り込んで生きるという。生物の概念を超え、生命の誕生や概念を超え、生命の誕生や進化の謎に迫り、地球外生物の存在につながる発見とされる。

だが、異例の予告に期待が膨らんだ分、評価の難しさにがっかりした人も多かったろう。マスコミの扱いもまちまちだった。

毒を栄養に変えてしまう話なら昔から日本にあったと言う人もいるに違いない。「毒を変じて薬と成す」という。毒を薬に変える科学実験の話ではない。自分の敵や逆境が自分を強くするというように使うことが多い。

「艱難汝(かんなんなんじ)を玉にす」と言うのもこれに近い。地球の常識は宇宙の非常識とまでは言わないが、宇宙の成り立ちに膳玉も悪玉もない。

人間を中心に考えるから毒だの薬だと言う。都合のいい薬や栄養ばかりで自然界は成り立たないことを、昔の人は感じ取っていたのではないか。

NASAの宇宙飛行士が地球に帰還後、宗教に目覚めるケースがあるという。生命誕生の謎は神か仏にしか分からないと言っているように思うのである。