今年も25日まで年賀状を書き終えようと決めて、守れた。賀状もらうのは楽しいが、出すのはいささか面倒である。
そんな身勝手な気分が改まるときがある。今年届いた賀状を読み返すうちに、亡くなった知人からのはがきを目にする。
もう届くことのない「最後の一通」である。天国から賀状が届くことはない。が、未来に届く便りというのはある。愛知・犬山の明治村に移築された郵便局は、預かった封書を10年間保管した後、配達するという面白いことをしている。
好奇心あふれる若者が、10年先の自分あてに夢や希望をつづっているという、あの流儀はまねできる。数日先の「謹賀新年」を書くついでに、数年先の賀状も書く。下らぬことに他人を巻き込むわけにはいかないから、自分あての賀状がいい。
「相変わらずビンボーか」「まだ生きてるか」などと、無礼な添え書きもできるし、引出しにしまっておくだけでいい。来る年を思う賀状書きである。が、出したくても届かぬ人の顔も浮かび、ゆく年のことも心をよぎる。
来年こそ、もっと腰を据えて書こうと思う。
そんな身勝手な気分が改まるときがある。今年届いた賀状を読み返すうちに、亡くなった知人からのはがきを目にする。
もう届くことのない「最後の一通」である。天国から賀状が届くことはない。が、未来に届く便りというのはある。愛知・犬山の明治村に移築された郵便局は、預かった封書を10年間保管した後、配達するという面白いことをしている。
好奇心あふれる若者が、10年先の自分あてに夢や希望をつづっているという、あの流儀はまねできる。数日先の「謹賀新年」を書くついでに、数年先の賀状も書く。下らぬことに他人を巻き込むわけにはいかないから、自分あての賀状がいい。
「相変わらずビンボーか」「まだ生きてるか」などと、無礼な添え書きもできるし、引出しにしまっておくだけでいい。来る年を思う賀状書きである。が、出したくても届かぬ人の顔も浮かび、ゆく年のことも心をよぎる。
来年こそ、もっと腰を据えて書こうと思う。