デジカメぶらりぶらり

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ガバチョ

2013-10-28 07:16:21 | Weblog
「ドン・ガバチョの未来を信じる歌」がある。1964(昭和39)年放送開始の人形劇「ひょっこりひょうたん島」の中でガバチョ大統領が歌っている。

<今日がダメなら明日にしまチョ/ 明日がダメならあさってにしまチョ/ あさってがダメならしあさってにしまチョ/ どこまでいっても明日がある>。「ひょうたん島」の原作者、井上ひさしさんと山本護久さんが作詞した。

なんとかなる。人生は楽しい。そう聞こえる。歌を聴いて一家心中を思いとどまった家族がいたと井上さんが語っている。がっかりするかもしれないが、実は井上さん、そんなつもりで歌詞を書いていない。

嫌なことは「どんどん先延ばしにしちゃえとガバチョが言い訳している歌」(井上さん)だったという。オバマ米大統領の一般教書演説に日本人として初めて招待された後藤浩之さん(47)と話した人が言う。

米国で医療機器メーカーを起業し、成功を収めた。「道なき道を行け」(小学館)でその苦心を語っている。幼い時、お母さんに「やれることは、今すぐやれ」と教えられ、現在もやり残したことが気持ち悪くて、眠れないという。

見習いたい、見習いたいが、あの歌が離れない。先延ばしを勧めているのではない。でも、それぞれのベースで進めばいい。井上さんの意図は別として人生の応援歌に聞こえる。

正直

2013-10-26 07:49:10 | Weblog
子どもに「正直」と名付けたとする。その子が正直な大人になるかは分からないが、自分の名前である以上、正直かどうかを気にする人間にはなるだろう。

劇作家マキノノゾミさんの「東京原子核クラブ」は物理学者の朝永振一郎さんをモデルにした人物の若き日を描く。舞台は1932(昭和7)年7月の東京・本郷の下宿屋だ。

朝永さんの『量子力学と私』でも弱気な性格がうかがえるが、主人公の「友田晋一郎だ。朝永さんの『量子力学と私』でも弱気な性格がうかがえるが、主人公の「友田晋一郎」は実に愚痴っぽい。

勤務する研究所のレベルに「ついていけそうもない」歯が立ちそうにもありませんわ」と、しばしば嘆く。それを慰める下宿仲間が楽しい。65年10月21日、朝永さんのノーベル物理学賞受賞が、決定した。

12013年の同じ日(現地時間)、国連が核兵器の非人道性と不使用に関する共同声明を発表する見通しになっている。日本もやっと署名する。21日の署名はまだ確定していないが、同じ日に重なれば、うれしい偶然となる。

署名で、朝永さんが訴えた核兵器使用の永久、無条件放棄に日本政府もやっと歩調を合わせる。表現が弱そうなことや、過去の日本の対応には不満も残るが、署名で政府も向かうべき道を強く意識する。

「正直」の名をもらった子のようになる。実在の下宿屋は「平和館」という。思い出の名は朝永さんの頭の中にずっと残っていたに違いない。

非国民

2013-10-24 07:15:50 | Weblog
あの時、父に正確に何と言ったか覚えていない。だが、その時の気持は覚えている。「この非国民・・・」だ。安田純治さん(82)は、軍国少年だった。一刻も早くお国の役に立とうと1944年に12歳で航空機乗員養成所に入った。

硬骨の弁護士だった父ははっきり口にこそしないが、戦争に否定的だった。純治少年が飛行士を目指すと言った時も、父は「そうあせるな」と引き留めた。少年は心の中で父を非国民とののしりつつ、「それでは間に合わない」と志を貫いた。

戦争が終わって大人たちは突然、民主主義者になった。故郷の福島に帰り、途方に暮れていた安田さんは終戦の年の秋、新聞を読んでいて衝撃を受けた。軍国主義にあらがって獄につながれて政治犯が、釈放されたとの記事だった。

「絶望的は状況の中で反戦を唱えていた人がいた。時流に抗した人がこの国には存在したのだ」。その時の思いが安田弁護士の背骨だ。30年前には「故郷への反逆者」と罵られながら、福島原発の設置認可取り消し訴訟の弁護団長を努めた。

難しい裁判とは分かっていたが、福島にも原発に反対する人がいたという証を残したかったからだ。その時の裁判で指摘した原子炉の水素爆発が、現実に起きた。いま安田さんは、原発事故で故郷や仕事を失った人が起こした訴訟の弁護団長を努める。元軍国少年の戦いは続く。

地球防衛

2013-10-22 06:55:08 | Weblog
今こそ地球防衛を考えよう。と言えば、SF映画の見過ぎだろうと笑われるだろうか、さすがに地球防衛軍は実在しないが、「日本スペースガード協会」ならある。

スペースガードを訳せば、宇宙防衛、地球防衛。「それだと宇宙人と戦うようなので、英語のままにしました」と。宇宙航空研究開発機構の吉川真准教授は、笑う。

協会の使命は「小惑星など地球に接近する天体との衝突から、いかに地球を守るか」だ。2月にロシア・チャリャビンクス州を襲った直径17メートルの隕石は衝撃的だった。

割れたガラスなどで1500人余が負傷した。それでも専門家は「幸運が重なった」という。もろい石質で大気圏への突入角度も浅かったから、上空20キロで爆発し砕けた。あれが大地を直撃していたら、広島型原爆の25倍の力が放たれ、最悪の場合、数十キロもの範囲が壊滅的な被害を受けたそうだ。

ここ20年ほどスペースガードの国際協力が進み、地球に接近する天体が1万個も確認されたが、直径150メートル以下のものは1割ほどしか見つかっていない。

危機は、知らぬ間に近づいているかもしれない。危険な天体の発見は、比較的低予算で、確実に成果が上がるそうだ。ロシアの出来事を受けて国際的に観測強化が図られ、欧米では政府も後押ししているという。日本も、国防費ならぬ地球防衛予算を増やしてはどうだろう。

下手

2013-10-20 07:01:22 | Weblog
「千代、下手すぎる」。新人女優が初舞台の迫る中でこんなメモを演出家からもらった。書かれていたのは役名とその一行だけ。助言や指導があれば納得もできる。

「下手すぎる」だけでは女優にとっては「やめてしまえ」と言われたのと同じ。相当なショックだろう、ベテラン女優、吉行和子さんの若い時の話。

メモを見て「貧血を起こして鏡台の前にうずくまった。色々な思いがぐるぐる周り、溶けて白くなって気が遠くなっていった」と、『浮かれ上手のはなし下手』で書いている。そりゃそうだ、メモは誤解だと分かる。

「下手」は「へた」ではなく「しもて」と読む。舞台の左右を区別する上手、下手のことで、吉行さんの立ち位置が客から見て左に寄りすぎていると演出家は指摘していたのだ。国会敷地内に牛丼の吉野家が開店した。

文句はない。もやもやするのは、1200円の「牛重」をこの店限定で売ることだ。国会には通行証がなければ入れない。口にできるのは国会議員、官僚の国会関係者ということになる。

「普通の人」はなかなか味わえない。国会側が特別メニューを求めたと聞く。議員特権や格差問題まで持ち出す気はないが、写真の「牛重」がうまそうな分、国会や吉野家も感覚が分からぬ。やり方が下手すぎる。もちろん、「しもて」ではなく「へた」と読む。

運動会

2013-10-18 06:34:46 | Weblog
子どもの通う小学校の運動会で、涙腺が緩んでしまい困ることがあった。よーいドンの徒競走。低学年の子どもたちが懸命に走る。走る。足がもるれて転んだり、一位になれず悔しそうだったり。

自分の子供でなくてもけなげな姿を見ると涙をこらえるのが難しい。そんな自分は変わり者かな。と少し気になっていたが、運動会観賞を趣味とするおじさんたちがかなり前から存在していたことを知り、少しほっとした。

エッセイストの故三國一郎さんが、先輩から聞いた話をエッセーに書いている。1、2年生の「かけっこ」を見学して涙を流すために、縁もゆかりもない小学校の運動会に潜り込む中高生の話である。

「遠目で見ると、白い豆粒のようにスタートラインに並んだ学童。それが、『ドン!』の合図で、いっせいに駆け出す。・・・子どもたちの中の一人が、足がもつれるかしてコロリところんだりすると、そのころび方の一段の可憐さに、観賞家は、もう手放しの号泣であるという」(『思いがけない涙』)。

肥満児だった三国さん自身は徒競走はいつもビリ。運動の苦手な子どもが心を痛めていることを思うと、とても運動会の観賞に出かける気になれなかったそうだ。秋の運動会シーズンだ。校庭の隅で号泣しているおじさんがいるかもしれない。

今の時代、不審者扱いされてしまいそうなのは少しさびしい。

平和賞

2013-10-16 08:05:20 | Weblog
ノーベル化学賞が、ドイツのハーバー博士に送られると発表されたのは、アンモニアの合成法開発が認められての栄誉だったが、国際的な非難の声が巻き起こった。ハーバー博士は「化学兵器の父」でもあったからだ。

毒ガス兵器は第1次世界大戦で9万人もの兵士の命を奪った。1928年にはジュネーブ議定書で戦争での使用は禁止され、1997年には、製造や保有も禁じた条約も発効している。

にもかかわらず、化学兵器は今なお人々を苦しめ続けている。シリアのダマスカス近郊で千人以上もの命が奪われたのは、つい50日ほど前のことだ。化学兵器の父のノーベル賞に輝いてから95年。

今年のノーベル平和書が、化学兵器禁止機関(OPCW)に贈られることになった。受賞は、1世紀を経ても禁断の兵器に別れを告げられない現実の裏返しである。シリア政府軍が化学兵器を使ったとしてオバマ政権が武力行使に踏み切ろうとしていたころ、驚くべき事実が明らかにされた。

1980年代のイラン・イラク戦争では化学兵器で1万人が死亡したが、イラクが毒ガスを使用するのを、米国が秘密裏に支援していたと、米紙が暴露したのだ。その米国は今も大量の化学兵器を持っている。禁止条約が定めた破棄期限を守らなかったのだ。破棄を迫られているのは、シリアだけではない。

粒子

2013-10-14 06:48:47 | Weblog
宇宙が誕生して0.0000000000001秒後、つまり1兆分の1秒後の世界はどんな世界だろうか。タイムマシンはないが、それをのぞくことはできる。

陽子を光速に近い速度で飛ばし衝突させる加速器は、宇宙創成の謎に挑む装置だ。素粒子はあるものの、まだ陽子や中性子もない。原子にいたっては、そこから38万年も立たないと誕生しない・・・そんな極限の世界をうかがわせてくれる。

素粒子はかつて光速で飛び回っていたが、そこに質量が生まれることで、モノを形作ることができるようになった。その質量を生み出す粒子を理論的に予言していたヒッグス博士らが、ノーベル物理学賞に選ばれた。

受賞は、ヒッグス粒子が発見されてのこと。陽子を毎秒2千万回衝突させる加速器でも数十億回に一度しか生成しない粒子を、日本を含む各国の科学者が気が遠くなるような実験を続け、捕まえた。

加速器をめぐっては、こんな話がある。1969年、米国のフェルミ国立加速器研究所の計画を審議する議会でウィルソン所長がただされた。「加速器は国防に寄与するのかね?」所長は答えた。

「加速器は、人間の尊厳と文化への愛に関わるものです・・・それは国防に直接寄与するものではありませんが、国を守るに値するものにすることには役立ちます」。新粒子発見に尽くしたすべての科学者に喝采を送ろう。

伊勢参り

2013-10-12 08:11:37 | Weblog
犬も歩けば棒に当たる。江戸いろはカルタの「い」でおなじみだが、江戸の昔は歩きも歩いたり、遠方から伊勢参りを果たし、大金を授けられた犬がいたそうだが、実話というから驚きだ。

元毎日映画社社長の仁科邦男さんの労作「『犬の伊勢参り』(平凡社新書)によると、その珍事は、明和6年(1769年)の式年遷宮に触発され始まったおかげ参りの最中に起きた。

上方から来たという犬外宮の手水場で水を飲み、宮前で平伏した。犬は不浄として出入りを禁じられているが、宮入がその姿に感じ入り、首に御祓(おはらい)をくくりつけてやると、内宮にもお参りしたそうだ。

この犬だけではない。伊勢参りの犬を記録する宿場間の引き継ぎ書が、かなり残されている。文書には道中で授けられた銭の額まで記され、それが増え続け、犬の首に付けられぬほどの大金になったという。

今は犬がかってに歩くのもままならぬが、江戸の犬は、自由だった。そして犬は実に人の気持ちに敏感だ。伊勢へという人々の思いと流れに乗った犬が「お参りの犬」と大切に扱われるうちに、ついに参拝を果たしたのではないかと仁科さんはみる。

2日は内宮の遷御の儀、5日は外宮の遷御。式年遷宮をことほぐ参拝の列に、さすがに犬の姿は見えぬだろうが、かつて犬までを伊勢に導いた信仰の熱は今も昔も変わらない。

いじめ

2013-10-10 07:17:39 | Weblog
人気時代小説シリーズ『みをつくし料理帖』の作者・高田郁(かおる)さんは中学時代にいじめを受けた。教師の「一番気にくわんのはお前や」という暴言がきっかけだった。

いじめで負傷し入院しても、学校は知らんふり。死の誘惑から逃れえたのは、病院で子を失った親の姿を目にしたからだ。いじめの体験は、自己否定の念として高田さんをさいなみ続けた。

だが、十年ほど前に偶然、かって暴言を吐いた教師が無銭飲食などで逮捕されたという記事を目にする。自分を苦しめたのはその程度の人物だった・・・そんな思いとともに、いじめの呪縛が解けたという(『晴れときどき涙雨』集英社)

愛知県一宮市の中学で受けたいじめの傷に苦しむ23歳の女性は、市を相手に裁判を闘うことで呪縛を断ち切ろうとした。被害を訴えても、妄想だと言われた。見捨てられたと感じ続け、自殺未遂を繰り返した。

先日ようやく、裁判所がいじめがあったと認めた。電話で結果を聞いた女性は声を詰まらせつつ、言ったという。「いじめられて苦しんでいる個がいればどうか死なないでほしい。生きていれば認めてもらえるチャンスもある」。

高田さんもこう呼び掛けている。<どうか死を選ぶ前に、あなたを苦しめた相手を見返す道を歩いてほしい。いじめた相手への一番の復讐は、あなたが真っ当な人生を歩いて、幸せになることだ>。