デジカメぶらりぶらり

デジカメのほやほやの写真をご覧下さい。

水掛け論

2011-05-30 07:23:20 | Weblog
「言った、言わない」の水掛け論ほど空しいものはない。この重用時期に「再臨界」をめぐって政府と原子力安全委員長との泥仕合だった。

双方とも突っ張るなら、真相が明らかになるかもしれないから、まだ救いがある。ところが「そんなこと私が言うわけがない」と強弁していた安全委員長が一転「水に流す」と丸く収まった。

真相はヤブの中。とんだ手打ちだ、先日の衆院委でも海水注入中断指示を疑われた菅首相が「そんなこと私が言うわけがない」と弁明した。首相も安全委員長も「指導者」として誇りが高いようだが、信頼をなくした専門家やトップほど危ないものはない。

「K首相をどう思いますか」と問われて「賢い人」と答えた知者がいた。その心は「自分は本当はバカな男やということを、うまいこと言うて、バレんように隠し通しとる」(一海知義氏『帰林閑話』)との皮肉話がある。

首相は、サミットへ出発した。屋内では指導力のなさへの批判をかわしも、世界の首脳陣に隠し通せるものではない。首相を代える、代えないの論争が帰国後にどう収束するか、予断を許さない。

異常

2011-05-28 06:54:31 | Weblog
過熱した鍋に水を入れて冷やしているつもりが、底に穴があいて一種の「ザル」状態だったのが分かったのに似た、お粗末さだ。

福島原発の収束に向けた工程表をみた。いくら水を注いでもいっぱいにならないから冠水方式を断念して、循環注入で原子炉を冷やす計画に変えたのが特徴だ。

鍋の穴に気付くのに2カ月かかった事実は、お粗末どころか怖い。循環する水は浄化装置でろ過するという。そんな立派な装置があるなら、なぜ汚染水海中投棄の時に考えなかったのか。

装置の能力や浄化フィルターの後始末も不明だが、この「机上の空論」と揶揄(やゆ)される工程表で進むしかない現実がある。震災直後に全炉心溶融(メルトダウン)が分かったら、パニックが起きたかもしれない。

しかし2カ月後に、その重大事が明らかになってもパニックにはならなかった。ろ過装置があると聞けばそうかと思い、冠水をやめて循環注水に変更すると聞けばなるほどと受け入れる。

東電の無責任さを追及しても最後は任すしかない現実は恐ろしい。異常さに慣れ、異常が異常でなくなっていく日々ほど怖いものはない。

先人

2011-05-26 05:38:35 | Weblog
日差しが強くなって、当地の名産イナダ作りが最盛期を迎えた。ブリを塩漬けにし、天日に干した美味。

今年は脂の少ないブリに恵まれなかったという。「脂がのった」がブリの褒め言葉だから、事情を知らない人は首をかしげるだろうが、脂ののらないブリが重宝される。

それが発酵の風味を豊かにし、将軍家献上という由来ある品になる。季節外れを逆手にとった知恵と工夫の産物。偉い先人を持って幸せである。フグの子のぬか漬けもそうである。猛毒の卵巣を食べたいという命知らずの先人がいた。

そうではない。飛びっ切り命が惜しいから、懸命になって毒抜きの方法を探り、突き止めた。知恵を絞って美味を生む。そんな食の風土が根付く土地である。

だから、ユッケの集団食中毒が降って湧き、今も尾を引くのが悲しい。知恵や工夫とは正反対。手抜きと責任のなすり合いを見せられる日々である。食生活が豊かになったというが、随分怪しい。

イナダやフグの子を残してくれた先人の方が、よほど舌が肥え、食の安全を知っていたのではなかろうか。高い授業料を払い、そのことを思い知る。

あすはなろう

2011-05-24 07:00:12 | Weblog
3年前、岩手県の中尊寺は世界遺産になるはずだった。地元ではポスターを作り、駅や繁華街に祝福ムードが漂っていた。それが一転、選考漏れとなった。

宮城北部と岩手県南部を襲った大地震の直後だった。「世界遺産はだめ、地震は起きる。踏んだりけったり」と、地元の人はばやいた。そして再びこの大震災だ。

踏んだりけったりどころではないが、一筋の光が差し込んだ。平泉の世界遺産登録が確実になったのだ。震災被害の大きさに比べれば何とも小さな光だが、千年近い輝きを保っている金色堂の存在は大きい。

気の遠くなるような歳月と幾多の災害に耐えた遺産を多くの人に見てもらいたい。その訪問時、中尊寺の参道脇に「能登」の二文字を見た。輪島に「アテの元祖」とされる巨木がある。

能登アテの元祖は平泉から運ばれたとの伝説がある。1991(平成3)年、そのあての苗木が里帰りして中尊寺境内に植樹され成長していたのだった。アテはアスナロの一種で「あすはなろう」という希望のこもった木だ。世界遺産が大木に育つ日を信じている。

大相撲

2011-05-22 09:25:12 | Weblog
大相撲の八百長が「過去にもあった」と報じられた。特別調査委員会の見解に、衝撃を受けたファンはどれだけいるだろう。うすうす分かっていた話ではなかったか。

「片八百長」というのがある。相手の窮地を察して片方の力士が勝手に手を抜く相撲。敢闘精神に欠けるが、目の肥えたファンは仕方がないな、と見過ごすという。別名「人情相撲」忌まわしい八百長のウミには片八百長も含まれるのだろうか。

物事には、きっちり白黒のつくこともあれば、そうでない場合もある。大相撲には、ほかの格闘技とは違う楽しみがある。八百長問題は厄介なのである。厄介だが、勉強になった。

力士の本文は心・技・体の充実で、それに反する八百長は許せぬ、という正論が渦巻いた。が、やんちゃ盛りの若者が大半の世界にはなかなか難しい注文ではなかろうか。

松任の高僧・暁烏敏(あけがらすはや)に逸話がある。正直者がバカを見る。と嘆く人々に向かって「この中に正直者がいるなら名乗り出よ」と一喝した。

建前と本音、白黒と玉虫色の決着。いろんな人間模様を映す八百長問題は、外国人ばかり強い土俵より、よほど面白い。

根拠

2011-05-20 06:14:08 | Weblog
政府が浜岡原発の停止を要請した根拠は「科学的データ」だった。30年以内に震度6強以上の揺れに襲われる確率が84%あるという。

北電の志賀原発にいたっては「0、0から0、1%。」。島根や佐賀県の玄海原発にいたっては「0,0%」だ。数字は発生しないことになるが、この数字を見ても安心できないのが震災というものだ。

「明日来てもおかしくない」と、東海地震への警戒は40年間以上続いている。その間に阪神、中越、能登と、すべて予想外の場所で大地震は起きた。だから、厄介なことに東海地震の84%も能登の0,1%も、そう違いはない。

阪神大震災発生3日前の新聞にこんな記事があった。「このところ地震が多い。首都圏で防災用品売れる」。関西でこれを警告と受けとめる人はなかった。今回の大震災も2日前に前兆ともいえる震度5弱の地震が三陸沖で起きている。

自然が警告を発しても人間は理解できない。かといって科学を無視すればその直後にも災いは来るかもしれない。科学に頼ることは宗教的な強迫観念に似ている。恐ろしい迷路に入り込んでいるのを自覚せねばなるまい。

酒の肴

2011-05-18 06:20:23 | Weblog
究極の酒の肴がある。小皿にご飯7粒を盛り、つまようじでつついて、しゅうゆうにつけて食べる。みそや塩をひとなめする流儀に加え、左党の友が一つ増えた。

ただし、慣れ親しむしょうゆでないと、具合が悪かろう。土地が変わると、しょうゆも変わる。旅をすると、すぐに分かる。大概、口に合わずに閉口する。

会津の人から「三泣き」という言葉を聞いた。気位に満ち、他国の人には敷居の高い土地だという。だから、移り住んだ当初は、なじめずに一泣きする。ほどなく温かな人情に触れ、うれしさに二泣き。やがて土地を離れる時は、去りがたくてまた涙を流す。

白虎隊を生んだ土地だから会津の情の深さには敬意を表する。が、北陸も「三泣き」のタネには事欠くまい。人情も、酒の肴も、しょうゆうも自慢できる。慣れぬうちは戸惑っても、やがて魅せられる。

外食産業化盛り。ありがたいが、全国均一のような味である。だから伝統のしょうゆうの健闘には、土地の者も「泣かされる」。無論、幸せをかみしめるうれし泣きである。

勧進帳

2011-05-16 05:59:02 | Weblog
小松の「お旅まつり」が始まった。何度見ても、華やかな曳山と子供役者の熱演に目を奪われる。あいにく、何度聞いても芝居のせりふが頭に入らない。

美しい日本語だろうが、古めかしい言葉が独特の抑揚で語られる。また「勧進帳」も上演される。これは芝居の筋はよく知られているから退屈はしない。

指名手配中の源義経主従が安宅の関で疑いを掛けられ、弁慶の活躍で逃げおおせる。芝居には、いい人ばかり登場する。弁慶は涙をのんで義経をぶつ。

正体を察していながら、関守の富樫は捕まえない。人々の善意のかたまりが、義経の窮地を救う。主従は、東大寺再建のため寄付を募る山伏姿である。弁慶が読み上げた勧進帳は、大仏殿再建を願う趣意書。そう称するが実は白紙の巻物だった、というのが芝居の見せ所。

苦難の時に発揮される一行の情愛と大胆な機略。敵の富樫の深い思慮。「勧進帳」を支える善意や思いやりが、芝居でない現実にもあふれ出てほしい、と思う。

2カ月を過ぎたというのに、被災地の窮地を救う復興基本法という「勧進帳」は、まだできあがっていない。



働き蜂

2011-05-14 07:07:29 | Weblog
働き蜂と同じ条件で生まれるのに、ロイヤルゼリーを食べたのだけが女王蜂になる。体格から寿命まで大違い。ミツバチの生態は不思議だ。

今風に言えば、同じDNAを持ちながら、食べ物と環境が違うと、まるで別の「生」を得ることになる。先月、富山県立大の鎌倉教師がその秘密の一端を明らかににして話題になっている。

100歳を超えてなお元気な「女王蜂」のような人がいる一方で、生きたいと願う命が若くして絶たれる人生もある。生まれる前から源が違うのならあきらめもする。

が、同じだと聞けば「自分も何とか」と欲が出る。若葉がまぶしく命が芽吹く季節に、たくさんの生と死を目の当たりにした。先ごろは京都の114歳男性が男で世界一の長寿者になった。

DNAの違いなのか。食べ物や暮らしぶりなど環境の違いなのか。日本人の男として生まれ明治・昭和・平成を生き抜いて、ついに世界一である。

災害は人を運命論者にするともいう。100歳までとは言わない。今しばらくは元気に仕事をして、税金を納め続け、ささやかな被災地支援にしたいと「働き蜂」は考えている。


記念館

2011-05-12 07:50:33 | Weblog
八田興一技師のことを大きな声で教えてくれたのは、周知のように元台湾総統の李登輝さんと作家の司馬遼太郎さんである。

忘れてはいけない日本人だ、と繰り返し叫んでくれる。司馬さんは、終戦の年に夫の後を追って自死した外代樹(とよき)夫人にも敬意を抱いた。彼女は・・・身辺を整理し、遺児たちに簡潔な遺書を残し、衣服をあらためて、烏山頭(うさんとう)ダムの放水口にむかって身を投じた(街道をゆく 台湾紀行)感情を抑えた筆が、明治の魂の気高さを伝える。

それだけに、「遺児」長男晃夫(てるお)さんから「死んだ母を何度も恨んだ」と聞かされた時は正直、驚いた。戦後の混乱期、若い大黒柱として弟妹たちを支えてきた人である。

子にとっては賢妻ではなく早くに消えた母である。悲しみは恨みに変わったという。晃夫さんは5年前に他界した。母の年齢を超えて「ようやく母の苦悩が分かった」と述懐し、恨みを捨てた。

長く生きることで初めて知る親の姿や愛もある。「母の日」に、台湾に夫婦の記念館が完成し、墓前祭が営まれる。夫婦の死から長い時が過ぎたが、教わることはまだ多くある