デジカメぶらりぶらり

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アサリ

2013-11-30 07:14:43 | Weblog
アサリは、すごい。たった一つで、一日に10リットル以上の水をきれいにする力があるという。そんな貝が無数にいる干潟の浄化能力は、どんなものか、千ヘクタールの干潟なら、10万人規模の下水処理場にも匹敵する能力があるのとの試算がある。

この規模の処理場を造るには、建設費だけで2百億円くらいはかかるらしい。土地の取得費も含めれば、どこまで費用は膨らむか、しかも干潟は下水処理場と違い、豊かな魚介類を授けてくれる。

しかし、それは猛烈な勢いで姿を消してきた。終戦時には琵琶湖の1・2倍近い広さの干潟があったが、既に4割が失われた。今この国に残る干潟の半分近くが有明海にある。そんな有明の干潟の一部をつぶし農地や農業用水の池にしたのが、国営諫早湾干拓事業だ。

この事業で失われた干潟の浄化力は、30万人規模の下水処理場に匹敵するという。何より水の流れが断ち切られ、有明の海の恵みは大きく損なわれた。生活苦で自殺した漁民は50人は下らないと聞く。

諫早湾に造られた巨大な堤防は有明をいさかいの海に変え、事業をめぐり訴訟合戦も繰り広げられている。この事業に投じられた税金は、2千5百億円。失った豊かさと命の重みはいかほどか。

事業に反対し裁判を闘ってきた馬奈木昭雄弁護士は「被害者は漁民らだけではない。日本中の国民が被害者なのです」と言っている。

靴、

2013-11-28 10:41:50 | Weblog
そこは「くつ塚」と呼ばれるようになった。1959年の9月に5千人以上の命を奪った伊勢湾台風が襲った時、名古屋市南区浜田町も濁流にのまれ、この一帯だけで3百人あまりが命を落とした。

2週間ほどして水が引くと、主なき靴がひとところに集められるようになった。靴の小山は、亡き人をしのぶための「くつ塚」となった。15歳の一人息子を目の前で高波にさらわれた遺族は、ベニヤ板にこんな言葉を書き付け、塚に立てたという。

<ここは冷たい海でした/胸までつかる水の中/よろめく足を踏みしめて/あらしの中に手を取って/頑張り続けたところです>台風30号に襲われた南の島々でも、あらしの中で愛する人を濁流に失い、それでもよろめく足をふみしめ、頑張り続けている人が大勢いるはずだ。行方が知れぬ人の靴を抱きしめている人もいるだろう。

最大瞬間風速が90メートルにも達し、死者が1万人を超すのではないかともいわれる。「5メートルの高潮で家が壊れた」「まるで津波のような波が何度も襲ってきた」・・・。

フィリピンからの断片的な被害情報を追い、現地の映像を見れば、遠い伊勢湾台風の記憶や東日本震災の惨事がよみがえり、遠い国の出来事とはとても思えない。日本赤十字社では近く、海外救援金の募集を始めるという。日本の心が、少しでも被災者をあたためられればと願ってやまない。

宇宙の水

2013-11-23 08:45:20 | Weblog
酔いざめの水千両と値が決まりーとはよく言ったもので、お酒を飲み過ぎた時に、ぐっと飲む水のうまいこと。まさに値千金だが、国際宇宙ステーション(ISS)で飲む水は、コップ1杯3,40万円にも値するらしい。

それはそうだろう。地上から運ぶには、数十億円以上ものロケットが必要だ。尿を蒸留・浄化して飲料水に変える装置が備わり、水の現地調達ができるようになったらしいが、その開発に150億円ほどかかったというから、やはり宇宙の水は値千金である。

当然ながら、ISSではとてつもなく高い費用をかけ、酸素を供給し、二酸化炭素を処理し、汚れた水を浄化している。地球では森林などが当然のようにやっているそんな営みが、どれがけ貴重なものか、そのありがたさが、宇宙から地球を眺めればほんとうによく分かると、先日4回目の宇宙の旅に出発した若田光一さん(50)だ。

コロッケ

2013-11-21 08:24:52 | Weblog
晩秋の夕方、精肉店前。野球帰りの子どもたちが自転車にまたがったままで熱いコロッケをほおばっている。温かく安価な庶民の味はだれをも懐かしい気持ちにさせる。藤子不二雄さんも「まんが道」で苦労の新人時代に食べたコロッケサンドの記憶を描いている。

コロッケは明治・大正期に大衆的な西洋料理として急速に広まった。小沢昭一さんのお母さんが昭和初めの思い出にコロッケを語っている。「肉なんか買えないからコロッケばっかり。肉屋も知っててね。あたしが入ってゆくとあの人はコロッケだよって。あの唄のとおり」。

浅草オペラの「コロッケの唄」のことだ。1917(大正6)年に大流行した。<いつも出てくるおかずはコロッケ きょうもコロッケ 明日もコロッケ>。毎日毎日、コロッケと嘆く歌詞に庶民の味というイメージができていった。

おもしろいことに貧しい人の歌ではない。7番までの歌詞を読むと、あの時代に英語を習ったとか、自動車を運転したと出てくる。自慢げなのである。コロッケもまだ自慢の食べ物だったが、歌い継がれる間、安なって、庶民の味を歌っているという解釈に変化したのだろう。

3日、全国初のコロッケ大会で富山県高岡市の「高岡コロッケ」が一位になった。イカスミ入りという。懐かしい味とは違うが高岡育ちの二人の藤子さんもうれしいだろう。

来年こそは

2013-11-19 09:48:24 | Weblog
「最初、二人のさびしい男がいた」。野球のことを劇作家の寺山修司さんが書いている。「さびしい二人」の投手と捕手はボールによって会話している。二人の友情に嫉妬してこん棒で」戦おうとするのが「打者」だ。

そこに心やさしい7人の「殺し屋」が現れ二人を守る。圧巻の日本シリーズだった。「さびしい二人」も「打者」も「やさしい殺し屋」も立派な戦いだった。ひいきチームとは関係なく熱くなった人は大勢いただろう。

両チームとも何かを背負っていた。楽天の背中の後ろからは被災地に住む人々の声が聞こえた。巨人には圧倒的な戦力に恵まれた「意地」が見えた。背負うもののために選手はただただプレーしていた。

楽天エースの田中は大リーグを目の前にしても、故障を恐れることなく力投を続けた。死球を受けて満足に走れないのに試合にとどまりたくて泣いていた楽天の藤田。第5戦、巨人高橋由の代打2塁打に故障の苦労を超えた輝きを見た。

投げて打って守る。あの寺山さんの世界が、カネも打算もない純粋な野球の世界があった。神様は楽天をほんの少しひいきしたようだが、野球の季節が過ぎれば木枯らし一号も近い。野球のいいところは、今年もうまくいかなかったチームも来年一からやりなおせることだ。

今年のことは忘れよう。来年また新しいシーズンがやってくる。来年こそは。

子別れ

2013-11-16 07:16:18 | Weblog
落語の「子別れ」に出てくるおっかさんは怖い。子どもが50銭を隠し持っていた。どこかから盗んできたに違いない。そう思い込んだおっかさんは、かなずちを持ち出し、白状しないのなら「頭をたたき割ってやるから」と大声を上げる。

あの場面を聞けば、大抵の男は震え上がるのではないか。男には悪さをして、鬼の形相の母親にこっぴどく怒られた記憶が一つや二つはある。怖いけれど懐かしい記憶がある。何日の間違いだろう、間違いであってほしいと何度も読み返してしまう記憶がある。

「子どもに万引きさせる」。母親(26)と同居の男(25)が小学3年生の長男と5歳の長女に量販店で電化製品を万引きさせていた、おなかおすかせた子どものため親が思わず人のものに手を付ける。

悪いこととはいえ、まだ分かる。自分は安全な場所にいて、子どもに盗みを働かせる。分からない。胸が痛い。兄妹は、どんな気持ちで品物を運んでいたか。ブルーレイディスクレコーダーは幼い二人には重かっただろう。

見つかったどうしょうと心細かっただろう。兄は小さな妹を守ったのだろうか。手をつないでいたのだろうか。早い七五三か。背広にネクタイの男の子が電車の中で大声で泣いている。

母親が「悪いのはあんたでしょ」と、叱っている。何があったか知らない。でも、君の記憶はまだ幸せだ。 

2013-11-14 08:11:03 | Weblog
中国語で「頑張れ」は「加油」と書いて、ジャーヨウと読む。世知辛い世にあっては、牛肉ですら無理な頑張りを強いられているようだ。外国産の牛肉に、加油ならぬ和牛の油を注射し加え、あたかも霜降り肉のようにする。

世間で一流で通るホテルのレストランが、そんな「牛脂注入加工肉」を何の注意書きもなしに供していたという。牛肉だけではではない。ブラックタイガーがクルマエビとされ、ロブスターが伊勢エビと称され出していた。

それがメニューの「記載漏れ」「誤表示」と釈明される。そんな例が、それこそ毎日げっぷが出るほど報じられる。中国には「加油加醋」という言葉もあるという。醋は酢。話に尾ひれを付けて、大仰に表現するという意味らしい。

どうもこの国には、メニューを書くのに、油と酢を思う存分使っている店が少なからぬようだ。牛脂注入加工肉をステーキとして出していたあるホテルは、ホームページに<「加工肉」とは、その材料肉の食感を高め、お客様においしく召し上がっていただくための一定の加工処理がなされた牛肉>との釈明を掲載している。

これを読んで、「ここまで、客のためを考えてくれているのか。あそこでステーキを食べてよかった」と感心するお客がいるのか。そういえば「人の為」と書けば、「偽」になる。「客の為」と書いても同じ意味でよさそうだ。

魚雷

2013-11-12 08:48:17 | Weblog
中央アジアのキルギスには、海はない。当然ながら海軍もない。だがソ連からキルギスが独立した時、引き継いだ一大産業は、魚雷生産であった。キルギスが誇るイスイククル湖は琵琶湖の9倍もある、天山山脈に囲まれた美しい湖だ。

そこに、ソ連は魚雷発射試験場を造った。「海軍もない国の魚雷など、どの国が買ってくれるだろう」悪い冗談のような話だが、ソ連という超大国は事程左様に、各共和国・民族の自立を許さぬような経済開発を進めた。

ソ連崩壊直後に各共和国で経済改革が軒並み失敗し、中央アジアでは混乱と貧困を土壌に、イスラム原理主義が台頭した。どうも天山山脈の東の方でも似たようなことが起きているうだ。

中国政府が新疆ウイグル自治区などで進める西部大開発もウイグルの人々にとっては「山中の魚雷工場」に見えるのかもしれない。地元の豊かな天然資源を開発しても、利権を握るのは中央政府の息がかかった漢族の企業ばかり。

ウイグル族は貧困から抜け出せず、汚染など悪しき副産物に苦しむばかり。そんな構図になっているのではないか。天安門前に車が突入した事件を、中国当局は、ウイグル族の恐怖主義者(テロリスト)の犯行とみているようだ。

本当に恐ろしいのは、テロを生む土壌に目を向けないことなのだが。


2013-11-08 08:24:21 | Weblog
川上哲治さんがプロ入りしたころ、つまり1938年ごろの巨人には妙な不文律があったという。「選手同士で教え合うってはいけない」というもので、かといって専任のコーチもいない。

新人は誰に教わればいいのか、ひたすら先輩のプレーぶり練習ぶりを見て、盗めということだ。そういう空気の中で、川上さんの観測眼は鍛えられていったのだろう。30歳になった時に、日本のプロ野球史上に残る名言を吐く。

「ボールが止まって見えた」負けん気の強さと粘り強さ。野球はもちろん、ゴルフでも何でも徹底してのめり込む。戦後すぐ食糧難をしのぐため故郷・熊本に帰り、農業をしていた時は、肥料の具合を調べるため、口に含んだという。

当時の肥料とは人ぷんだったが、本職の農業にも負けたくない一心だったというから、脱帽するしかない。打って打って勝って勝って。選手としては球界初の2千本安打を放ち、監督としては9連覇を達成。

職人技の世界に緻密な組織運営の手法を持込み、11回も日本シリーズを制した。訃報に接し業績を振り返れば、足跡の大きさに圧倒される。美濃の禅師に贈られた「窮して変じ、変じて通ず」を座右の銘にしていた。

必ず壁に当たる。それでも向き合っていれば、何かが変わり道は開ける。おそらく人一倍壁に当たった人生だったのだろう。



幸せ

2013-11-05 07:44:03 | Weblog
♪ふたりを夕やみが、つつむこの窓辺に・・・。加山雄三さんは『君といつまでも』を
レコーディングした時、自ら作ったメロディーに付けられた歌詞と編曲の見事さに興奮したそうだ。

あまりに素晴らしいので、録音の最中にもかかわらず思わず口からこぼれたひと言が「幸せだなぁ」。スタジオ中が「それで行きましょう」と大騒ぎになって、あの間奏の名ぜりふが生まれた。

「しあわせだなあ 僕は君といる時が一番しあわせなんだ・・・」(田家秀樹著『歌に恋して』)加山さんを幸福感に包み込んだ歌詞の生みの親が、97歳で逝去した岩谷時子さんだ。フランク永井さんの『おまえに』、ピンキーとキラーズの『恋の季節』、郷ひろみさんの『男の子女子』・・・。

岩谷さんが生んだヒット曲の名をたどるだけで、その時代の記憶がよみがえり、歌が流れ出てくるうようだ。岩谷さんは宝塚歌劇団時代から深い絆で結ばれていた越路吹雪さんを、マネジャーとして支え続けたが、報酬は受け取らなかった。

作詞家として稼ぎ、越路さんを舞台に専念させようとしたという。越路さんが1980年に亡くなってからも、岩谷さんはミュージカル『レ・ミゼラブル』などで、見事な訳詞を生み出してきた。

♪恋に酔いしれてた 世界は歌 歌にときめいた・・・。今ごろ天国で、越路さんが歌う『夢やぶれて』を聞いているだろうか。