デジカメぶらりぶらり

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バナナ

2014-03-14 07:59:12 | Weblog
人はなぜ笑うのか。諸説ある。プラトンさんは「他人への優越感」、カントさんは常識からの予期せぬズレと考えたそうである。予期せぬズレ。わかりやすい例は立派な紳士がバナナの皮で、すってんと滑って転ぶ伝統的なギャグだろう。

すまし顔の紳士。ヘマしないような人物が転ぶから笑いが起きる。黒木夏美さんが書いた『バナナの皮はなぜ滑るのか?』によるとバナナの皮で滑るギャグは誰かが突然、思いついたものではないという。

19世紀後半、米国ではバナナの皮を平気で路上に捨てていた。滑って転び、場合によっては死亡する事故が続出していた。冗談ではなく、1870年にはニューヨークで「反オレンジの皮・反バナナの皮教会」なる団体が結成されている。

バナナで滑って転ぶという現実。その中でバナナのギャグがいつしか生まれ、やがて定着していった。「バナナの皮」は英語では政治用語でもある。政権を悩ませることになる災いや落とし穴などを意味する。

安部首相。立憲主義を軽視した発言は有に及ばず、意見を異にするものへの憎悪むき出しの国会答弁を見るとバナナの皮が敷き詰められた道を目隠しで歩いているようである。滑っても笑えない。

報酬

2014-03-09 07:11:05 | Weblog
「勝者には何もやるな」。米国作家ヘミングウェーが1933年に書いた、短編集の題名である。「勝者に報酬がない」という訳もあるが、「何もやるな」の方が心に切り込む鋭さがある。

ソチ五輪のフィギュアスケート男子で羽生結弦選手が優勝した。快挙である。ヘミングウェーではないが、勝者の羽生選手には何もいらないだろう。彼は勝った。

その過程での努力、成長。それ以上の「報酬」はない。「勝者には何もやるな」は最大の賛辞である。未来にも勝利が待っていることだろう。6位の高橋大輔選手。これで引退とも聞く。

彼には「何か」をあげたい。男子フィギュアを長く引っ張った。2011年の震災以降の暗い空気。何となく心が晴れぬ一時期、ふと見た高橋選手のスケートに慰められた人もいるはずだ。

そういう時代と巡りあわせた選手である。14日のフリー。こんな明るい人だったか。心から笑っている。喜んでいる。ジャンプ後の着氷は乱れたかもしれないが、そんなことは、もうどうでもいい。精いっぱいやる。滑ることが楽しくてたまらない。気持ちが伝わる。

プログラムの曲はビートルズの「イエスタディ」から始まった。リンクに初めて立ったのは20年前の同じ日という。自身の20年間という「昨日」。震災という日本の「昨日」。そして明日へ。演技にそんな伝言を見た。