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2013-05-14 07:33:14 | Weblog
体の弱い、金持ち持ちのボンボンで、落ちこぼれの寝小便たれ。大学に入ってからも、友人から年賀状一枚も来ない。社会派弁護士として鳴らし、83歳で逝去した中坊公平さんは「弱虫」だったという。

父と同じ法曹の道を歩んでからも、後年の「平成の鬼平」というイメージには程遠かった。社会問題には興味はなく、ビジネス一辺倒。経済的には成功し、少年時代の劣等感も克服したと思っていた。

そんな中坊さんを変えたのが、森永ヒ素ミルク中毒事件だった。国や企業からは「解決済み」とされ、黙って後遺症に苦しむ被害者を救うために、裁判で闘う。

その弁護団長になるように頼まれた。国や企業相手に左派の弁護士たちと一緒に闘あえば、ビジネスに支障が出かねない。父も辞退を勧めるだろうと相談すると、一喝された。

「そもそも赤ちゃんに対する犯罪に右も左もあると思うのか。お前は昔から人様のお役に立つことがなかった人間やないか。引き受けるのが当たり前や」この訴訟で中坊さんが気づいたのは、何の救いの道も見いだせぬ人の絶望感だった。

母親たちは国や企業への恨み言を封印し、毒入りのミルクをわが子に与えた自分を、弱い人たちと向き合うことで、弱かった自分に向き合うことができた。と中坊さんは述懐していた。救われたのは彼らではなく、自分だったと。

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