デジカメぶらりぶらり

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望遠鏡

2013-05-10 06:52:58 | Weblog
とてつもない難題にぶち当たった時、どうするか。うつむき足元をじっと見るか、天を仰ぐか。われわれはどこから来たのか。

生命はどこで生まれたのかーという究極の問いにも二つの迫り方がある。下を見るか、上を見るか。下を見ているのが、世界一周中の潜水調査船「しんかい6500」だ。

暗黒の海底には原始の地球と同じような環境がある。メタンなどが高温高圧の条件で反応し、命の素となったのではないか。深海の闇で謎に迫る。天文学者たちは、天空の闇に答えを追う。

宇宙空間を漂うメタンなどに放射線や特殊な光が当たってアミノ酸ができ、それが彗星や隕石によって地球に運ばれのではないか。そんな壮大な謎解きのための「人類の新しい目」がまた一つ、開かれた。

南米チリで本格稼働したアルマ望遠鏡だ。宇宙からの電波をとらえる66ものパラボラアンテナの動きを合わせることで、一つの巨大な望遠鏡として天の果てまで見通す。

いくつものアンテナを組み合わせ使う高度な技の達人として、この一大プロジェクトを引っ張ったのが、森田耕一郎博士だった。だが森田さんはチリで強盗に襲われ命を落とした。一周忌の7日、その功績をしのび、アルマの心臓部にある観測装置にその名が冠せられた。

天を見つめる「モリタの眼」はどんな宇宙と生命の神秘を見せてくれだろうか。


褒めない

2013-05-08 08:07:36 | Weblog
<やってみせる/言って聞かせて/やらせてみて/ほめてやらねば/人は動かじ>。山本五十六の言葉だ。連合艦隊司令長官として知られる軍人が、褒めて育てる重要性を語ったところに意外感がある。

巨人の監督だった長嶋茂雄さんも選手をほめる指導者だった。ただし、例外がいた。松井秀喜さんだ。引退するまでほめられたことは一度もなかったという。
1992年、ドラフト一位で甲子園のスターを引き当てた長嶋さんは、徹底的に素振りをさせて鍛えた。

スランプに陥った時は現役時代に長嶋さんが自宅地下につくった練習部屋でバットを振らせた。師弟の鍛錬の日々は松井さんが本塁打王を獲得した後も続いた。なぜ、褒めなかったのか。

その答えは昨年暮れ、松井さんが引退を表明した際に、長嶋さんが寄せたコメントの中にあった。「これまでは飛躍を妨げないよう、あえて称賛することを控えてきたつもりだがユニホームを脱いだ今は、『現代で最高のホームランバッターだった』という言葉を送りたい」。

弟子をさらなる高みに押し上げようとした師の心だ。長嶋さんと松井さんに先日国民栄誉賞が授与された。9年前、脳梗塞で倒れた長嶋さんは始球式で、松井さんの投げた球を左手一本で振り切った。「いい球だったら打っていた」と長島さん。政治的な思惑もかすんでしまう存在感だった。

マイナンバー

2013-05-06 06:35:28 | Weblog
今から50年前、「背番号候補事件」という珍事が起きた。高度経済成長の真っただ中、1963年の衆院選でのことだ。

東京都内の7選挙区の候補者名簿を見ると、1区に藤田一郎がいて、2区に笠原二郎と続き、7区に鶴岡七郎。再び一区に戻って木村八郎、2区に下田九郎という具合に「数字名前」が27人もそろった。

偶然ではない。選挙屋として暗躍し、詐欺師で逮捕された肥後亨なる人物の選挙戦術だ。彼は候補者名を数字でそろえた理由をこう語った。「名前を番号にしたのは、軍隊でも刑務所でも人間に番号をつけるのと同じで、候補者が多いので隊内の規律のために番号をつけただけの話」。

確かに、多くの人を管理するのに通し番号は便利だ。学生番号や社員番号などさまざまな番号で私たちは管理されている。だが、生まれた時から番号を付けられ、何をするにもそれがついて回るとなると、話は別だ。

集約された膨大な個人情報はサイバー犯罪の格好の標的となる。社会保障番号なしでは社会生活がままならぬ米国では、他人の番号を悪用する「なりすまし犯罪」の被害が年数兆円にもなるという。

国会で法案を審議中の「マイナンバー」が同じ轍を踏まぬ保証はない。「背番号詐欺事件」の犠牲になるのは、管理する側ではなく、される側だ。

国民栄誉賞

2013-05-05 07:47:15 | Weblog
長嶋茂雄さん、松井秀喜さんという二人のヒーローに国民栄誉賞が贈られるというニュース速報に接し、一瞬「これはひょっとして」と疑った人もいるのではなかろうか。

無論、賞にふさわしいお二人だが、4月1日の吉報は何ともまぎらわしい。いや、いかにも長嶋さんにふさわしいと思えぬでもない。この人ほど、嘘かと思うようなユーモラスな逸話に彩られたヒーローはいないだろう。

例えば・・・川上哲治監督が長嶋選手にノックを浴びせようとしたが、モジモジしている。呆れたことに、グラブを忘れてきたのだが、コーチ陣はニンマリ。長嶋さんが忘れ物をするのは、試合に向け集中している証拠。

そんな日は活躍間違いなしだったらしい。そんな長嶋さんがあの笑顔を封印し、手ずから鍛え上げたのが、松井選手だ。

リョウコウバト

2013-05-03 07:33:34 | Weblog
リョコウバトは、とても美しく、しかもなかなか美味な鳥らしい。しかし、もう見ることも味わうこともできない。今から99年前に、最後の一羽がこの世を去ったのだ。

北米大陸にすむリョウコウバトは、鳥の歴史が始まって以来、最も数多くいたといわれる。一説に、50億羽。渡りの季節となれば、空が真っ黒になるほどだった。

だが、19世紀以降、味がよく羽毛も良質なリョコウバトは、年に数十万羽が殺されていた。19世紀後半になると、保護する動きも出始めたが、気を逸し、わずか百年で世界から消えた。

いや正確には、抹殺されたのだ。インド洋のマスカリン諸島にすむ飛べない鳥ドードーは、もっとあっけなく絶滅した。島に上陸した西欧の船乗りたちは、肉を食料にしただけでなく、人を恐れないこの鳥を娯楽として殴り殺したという。

人類が登場する前には、50年から300年に一種の鳥が絶滅したとされる。それが今や絶滅の速度は2年半に一種にまで速まっているらしい。英語でドードー鳥という言葉には、「時勢に疎い人」「まぬけ」といった意味がある。

そんな不名誉な比喩として名を残すドードーの骨が、ロンドンで競売に掛けられる。人間の傲慢と愚行を象徴するようなその骨に、さていくらの値がつくか。

チェチェン

2013-05-01 06:52:27 | Weblog
青い空に白い雲の線を引きながら飛んでいく飛行機は、爽快だ。見つめていると、こちらの心まで青空に吸い込まれそうだ。だが世界には、機影を見ただけで震える子どもたちがいる。

ロシア南部のチェチェンにも、そんな子どもたちが大勢いる。1994年から断続的に続いた戦争が終わったのは、4年前。かの地で飛行機とは、空から爆弾を降らすものだ。

十数年前に難民収容所で会った医師アタエワさんが、嘆いていた。「うちの孫も前は飛行機が大好きだったのに、今は音を聞いただけで震える。絶えずおびえ、キョロキョロしてばかりだ」。

アタエワさんの少女時代も過酷だった。チェチェン人は、スターリンの手で民族ごとく強制移住させられた。10才のころ、彼女は強烈な爆風を浴びたことがある。

それが核爆発の風だと知ったのは、ずっと後のこと。一家の移住先は、ソ連の核実験場の近くだった。そんな時代を生き抜いたアタエワさんは難民収容所の診察室で静かに、同胞たちの痛みや苦しみと向き合っていた。

怒りをかみ殺し、背筋を伸ばし、目の前の命を救おうとしている。ボストンの爆弾テロ犯とされる兄弟は、チェチェン難民の家に生まれたという。なぜテロに走ったかは不明だ。

ただ本当に民族の苦難の歩みを理解していたら、問答無用の暴力で人々の命を奪うようなことは、できなかっただろう。