デジカメぶらりぶらり

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プロ野球

2012-02-29 08:34:15 | Weblog
プロ野球のキャンプの話題が毎日、紙面に載る。アメリカからも届くようになると、やはり松井秀喜選手が気になる。ベテラン選手の行く先がまだ決まらないのは、よくあることだとか。

二つの国で事情は随分違う。あれだけの実績と評判を残す松井選手にして、問われるのはいまの力。日本の有名選手が向こうで「無名の新人」扱いされるのを、イヤというほど見てきた。

日米にそれぞれ流儀がある。その違いに挑む日本人選手は、時代劇に出てくる「他流試合」に挑む男のようにも思える。腕に自慢の一刀流の使い手が、二刀流の道場に「頼もう」と乗り込む。

見事、相手を倒せば、名は大いに広まる、松井選手を応援し続けて、向こうのこともだいぶ分かった。世界一といばるが、お粗末な監督や選手はいくらもいる。情にあついが計算高さも相当なもの。

ほめ言葉とお世辞の区別は、ややこしい。何事にも明と暗がある、大リーグ観戦は居ながらにして、そんな「国際理解」の勉強にもなる。ことしはどんな米球界の「顔」がのぞけるのか。松井選手の朗報を気長に持つことにする。

手術

2012-02-27 08:09:46 | Weblog
天皇陛下の手術が無事に終わったと聞いてほっとした。そうとしか言いようがない安堵感である。年間に1万数千件もあって成功率が高い一般的な手術だといわれても、78歳になる陛下の胸を開いての心臓手術である。

家族に、そうした手術の体験者をもつ人も、もたない人も一様に安堵したに違いない。順調なご回復を祈りたい。昭和天皇の例を思わざるを得ない。当時の侍従の中からは「玉体にメスをいれるな」とか「輸血はすべきではない」の声が公然と出され「天寿を全うしていただくのが自然」とのこえまであったという。

「人間 昭和天皇」(高橋 紘 著)。昭和の末までこのような認識だった。今回の天皇陛下の心臓手術に、そのような反対はなかった。当然のことだが、わずか二十数年でここまできたことに感慨深いものがある。

皇室と社会の壁を低くしてきた力は、国民の側のもあったし「平成流」の皇室を目指す天皇、皇后両陛下の努力にもあったと思う。3月11日の震災1年追悼式典にご出席の願いをもっているともいわれるが、無理をなさらず、これも国民多数の思いだろう。

ナポレオン

2012-02-25 08:21:15 | Weblog
同じ大きさのものでも、隣にあるもので違って見える。大きく見せたい時は隣に小さなものを置く。小さく見せたいならその逆にする。

ナポレオンがこの手法を使って有名だ。前脚を高くあげた馬に乗った肖像画がある。皇帝は馬がつぶれそうなほど立派な体だが、人間と馬のサイズはそんなに近くない。

馬を小さく描くことでナポレオンを大きく見せたのである。北朝鮮にこの故事を思い出させる銅像ができた。金日成(キムイルソン)主席と息子の金総書記の乗馬姿が並んでいる。

総書記の銅像は初めてだといい、立派な体格はナポレオン像を思わせる。偉大な祖父と父親の次に並ぶ孫の大きさを示すのも狙いだろう。だが、隣国のことは笑えない

笑って自国が大きく見えるなら、なおのこと危険だ。普通の人でも友人や部下を選ぶときに、知らず知らずのうちに自分より「小さいもの」を選ぶことはないだろうか。ありのままの自分を見せることは、むずかしい。

政治家で事をなす人は「自分よりかしこくて、自分にないものを持った人」を横に置く。簡単そうに見えて意外と勇気のいることかもしれない。

ブーツ

2012-02-23 07:56:10 | Weblog
国会中継を見ていたら、足を組んだ閣僚のズボンと靴下の間からすね毛が見えた。おじさんくさいが、ももひきが見えるよりいい。30年も前のこと、閣僚席で当時の福田赳夫首相が足を組んだところ、ブーツを履いているのが見えた。

すね毛とは無縁の男のブーツ姿は珍しい時代で話題になった。70歳を過ぎた首相の笑みを思い出す、高知の桂浜に立つ坂本竜馬の像はブーツを履いている。幕末の写真が基になっている。

盛岡にある新渡戸稲造の銅像もブーツを履いている。活躍したのは明治・大正期だが、幕末生まれまれで「武士道」の著者である。龍馬が刀をやめて短銃を持ち、それも捨てて国際的な書物を懐に入れたとの説がある。

自分の国を守るのは武器ではなく法律だと言う近代を目指すためのつくり話だろうが、古いわらじを脱いで新しいブーツを履いた青年の魂が感じられて好きな話だ。

大事な議論をよそに国会中継の何を見ているのかといわれそうだが、政治家の「足もと」を見ていると答えたい。大臣に必要なのは、法の知識より法の精神であり、自分の志を国民に伝える力だろう。

狂歌

2012-02-21 08:26:32 | Weblog
狂歌が紹介された。「老いぬれば連れが八人増しにけり」。年を重ねると仲間が8人増える。そのココロは「年がよったりしわがよったり」「よったり」には4人の意味もあるとタネあかしされても、分からぬ向きもあるのでは。

昔、近所のおばさんがそんな言葉を使っていた。一,二,三、四は「ひ、ふ、み、よ」。時代劇で小判を教える場面に出てくる。小判が人になると「ひとり、ふたり」だが、「みたり、よったり」でなく、今は「さんにん、よにん」時代が変われば、言葉の使い方も変わる。

当然のなりゆきだろうが、モノには限度も節度もある。何でも英語読みにするのが流行の折「GKB47宣言」なる標語まで登場し、案の定、国会でやり玉に挙がった。人気グループの名前の下手なもじり、とすぐに分かる。

自殺対策強化に何で「フォーティ・セブン」か月亭八方さんの創作落語「AKO47」は赤穂浪士のこと。冗談ではなく、税金を使ってそんな標語を広めようというオツムの程度には恐れ入る。

お粗末な標語はボツになった。国会もたまには役に立つ。

真相

2012-02-19 09:22:03 | Weblog
殺人事件の真相を追及する法廷が、ドラマのようだと言われることがある。証言が意外性に満ちれば満ちるほど、奪われた命の尊厳が失われていく。

金沢の女性殺害事件初公判で被告は犯行を全面否定したうえ、弁護側は「X」「Y」なる第三者にはめられたとした。「まるで推理小説だ」の声が聞こえた。犯人に仕立てられたり、だれかをかばうために自分が犯人になる筋はよくあるパターンだ。

超ベストセラー「容疑者Xの献身」がそうだ、現実の事件はロマンでなく悲惨だ。決定的な証拠がなく本人が否定している事件は、さいたま地裁でも進行中である。男性連続死の状況証拠は黒に近い。

かつての和歌山毒カレー事件は裁判員裁判の導入以前だったが、本人否認のまま死刑判決が確定した。真相はひとつしかない。その一方で「疑わしきは罰せず」との法の限界が市民裁判員らの頭をよぎる。

被告と遺族と裁判員の長くつらい日々が続くのである。人が人を裁く難しさを思う。

女王

2012-02-17 07:57:49 | Weblog
国のエリザベス女王が在位60年を迎えた。1952(昭和27)年に25歳で即位して現在85歳になる。今の天皇陛下が皇太子時代に戴冠式に列席。

昭和天皇も大正期の皇太子時代の訪英で、エリザベス女王の祖父ジョージ5世から、「君臨すれど統治せず」の立憲王政の在り方を学んだという。日本の皇室とも縁の深い英王室である。

今、日本では女性宮家や女性天皇の是非が論じられ、英女王の存在が注目されている。例外はあるが、洋の東西を問わず、男性の王国が多いのは、王が戦争の前面にたって戦う歴史があったからだ。

国王とはかって戦争の象徴でもあった。金沢に来たこともあるサッチャー元英首相の伝記映画「鉄の女の涙」が近く公開される。フォークランド紛争の際に「戦争の経験もないあなたが」と開戦を責められる場面があった。

サッチャー首相は答える。「私の人生に戦わなかった日など一日もない」家庭でも社会や政界でも、女性には男の何倍もの厚い壁がある。女王陛下の60年も、世界中の女性に共通する長く苦しい戦いの連続だったかもしれない。

チョコ

2012-02-15 08:59:26 | Weblog
チョコを食べて中毒を起こす犬が増えたという記事には驚いた。愛犬もチョコの贈り物やおすそ分けがきちんと行き渡る。バレンタイン恐るべし。

チョコには、いささかうらみがある。食べ過ぎると「鼻血が出る」と親に言われた世代である。鼻血をダラダラ流しても、もっと食べたいと思った。

子の体よりも、高価なおやつによる財布の「出血」を、親は心配したのだろう。いまの子に笑われそうな話である。暗くなるまで漫画を読んでいると「目を悪くする」と怒られた。

そんな暇があったら宿題をしろ、と決まって言われた。宿題は目を悪くしないのか。親はリクツの通らぬ説教を繰り返した。それが親心というもの、と納得できたのは、ずっと後になってできる。

「目がつぶれるほど本を読みたい」という戦地の兵士の手紙を、何かの本で読んだことがある。もうそんな時代ではない。チョコの日の心配は、子の鼻血などでなく、愛犬たちの体の具合なのである。

豊かになって暮らしに、何度も万歳を叫ぼう。同時に飢えや我慢という大事なものが薄れてはいないか、心配も頭をまたげる。

雪国

2012-02-13 07:59:54 | Weblog
雪という字を見るのは、もううんざりなのだが、魚へんに雪の「鱈」(たら)はべつだろう。「鱈」は日本で生まれた漢字と辞書にある。雪がおいしさを運ぶ魚。

風が止まる「凪」(なぎ)、木を吹きぬけて「凩」(こがらし)。センスの良さが光る和製漢字がいくつもある、外国生まれのものを上手に日本流に使う。あんパンやライスカレーを作った達人が、文字の世界にもいた。

やたら難しい外来語や和製英語を使って偉そうにしている。連中に、見習ってもらいたい。ドキッとする和製漢字もある。女に鼻を添えて「嬶」(かかあ)。妻でも娘でもなく、なぜ「かかあ」か。どうして鼻なのか。

ご想像にお任せとばかり、手元の辞書に理由は書かれていない。無礼に思える漢字もある「峠」(これも和製)を越えたドカ雪が、また来るという。鼻息荒く夫に除雪を促す妻、母や娘の鼻息をうかがうように、除雪に精出す男たち。

雪に鍛えられて、雪国の女性は強い。失礼ながら、鼻っ柱も丈夫で、雪の暮らしを支える。頼もしい限りである。

地下鉄

2012-02-11 08:17:17 | Weblog
地下鉄の階段下りてびっくりすることがある。延々と通路が延びている。改札口ははるか遠くて見えない。地方の都市なら途中にバス停があってもおかしくない距離だ。

東京の人はよく歩く。乗り換え先を目指して駅から駅へ黙々と歩いていく。大都会は便利だがら歩くことが少なく、地方は不便でよく歩くというのは思いこみに過ぎない。

現実はその反対だ。先日発表された「国民健康・栄養調査」が、そうした先人観の誤りを数字で証明した。一日あたりの歩数のベスト3は男女とも兵庫、東京、神奈川が占めた。

大都市の健脚を数字が物語っていた。逆に少ないのは鳥取、山梨、青森などの地方が並んだ。皇居の周囲をジョギングする人の多さにも感心する。休日には電車に乗ってやってきて駅近くの線と銭湯に入ってから帰る人までいるという。

わざわざ皇居に来なくても、走りたければ自宅の周辺を走っていればいい。都会人の健康志向に脱帽だ。都会暮らしは不健康で地方は健康という固定観念がいけない。足もとにある美しい自然や環境も、気付かなければ存在しないに等しいということか。