デジカメぶらりぶらり

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漢字

2010-11-30 07:48:18 | Weblog
漢字が幾つもある。「傀儡」(かいらい)という文字も久しぶりで目にした。

背筋が寒くなる砲撃事件で、北朝鮮が韓国政府を非難するのに使った。美人だがコワモテの「北」のおばさんがテレビ画面で何やら叫び、字幕に「傀儡」の文字が何度も流れた。

操り人形のこと、と辞書にある。人の手先となって使われる人、ともある。あのおばさんが出てくると、ろくなことはない。彼女こそ、自由な言論を封じられた独裁政治の哀れな傀儡役の一人である。暮らしで使う目安となる常用漢字が増えることになった。新聞でも「憂うつ」が晴れて「憂欝」となる。好んで使いたい字ではないから、さほどめでたくもない。

自慢じゃないが、「鬱」とちゃんと書けたためしがない。書けないが、なんとか読める。そんな微妙な

「傀」も「儡」も常用漢字ではない。冷戦時代によく使われたが、とうにお蔵入りだと思っていた。そんな言葉にまだすがり付く危険な時代錯誤を、また見せつけられた。

常用漢字の改訂で、「北」に投げつける言葉も増える。眉唾(まゆつば)、軽蔑(けいべつ)、嘲笑(ちょうしょう)、罵倒(ばとう)、破綻(はたん)。

おかげさまで、品の良くない漢字がたくさん見につく。

お好み焼き

2010-11-28 07:46:51 | Weblog
関西の人気お好み焼き店チェーン「ゆかり」(大阪市)は24日、新レシビのコンテスト「てこわんコンテスト」は同市で開催された。

大阪府枚方市の主婦池田由紀子さん(51)が考案した肉みそ味のお好み焼き「それがミソやねん!」が優勝した。

優賞作品は12月から「ゆかり」の11店舗で販売、池田さんには今後5年間、この商品の売り上げの5%が、“印税”として支払われる。副賞として100万円相当の「純金製テコ」も贈られた。

コンテストは2003年に次いで2回目。前回の優勝作品は22万枚売れ、発案者は1千万円を得たという。今回は全国から1707通の応募があり、書類審査や試食で5作品が選ばれ、発案者が会場で実際に作って頂点を競った。

「それがミソやねん!」は、トウバンジャンで味付けした肉みそと、豚バラ肉、ちくわを生地に加えて焼き、ネギを盛り付けした物だそうで食べてみたい。



使節団

2010-11-26 07:38:51 | Weblog
1860(万延元)年、勝海舟が艦長の咸臨丸で渡米した幕府の使節団には困ったことがあったという。食事の際に和服の袖が邪魔になったのである。

テーブル上に腕を伸ばすと袖が垂れ下がってしまう。船上でも和服は風をはらんで不便だったと記録にある。が、帰国後わずか数年で筒袖(つつそで)、股引(ももひき)と呼ばれた洋装軍服が生まれた。

それから150年、咸臨丸が入港したサンフランシスコで日米交流事業が計画され8団体144人が日本祭のフィナーレを飾る予定である。和装文化協会の十二単の着付け披露もある。

「こんなたいそい民族衣装は世界中探してもない」と担当者が言うほどの古式和装だ。米国の人々も驚くに違いない。サムライを歓迎してくれた19世紀の人たちも見せかった「和」のたたずまいである。

今回の文化使節は合唱、吟剣詩舞道、民謡、洋舞、リズムダンス、太鼓、生け花など多彩である。いつの時代も新しいものを積極的に受け入れる一方で、古式を守り通してきた日本文化の神髄を存分に伝えてきてほしい。

いい夫婦

2010-11-24 06:12:31 | Weblog
1月22日は「いい、ふうふう」(いい夫婦)の日であった。4月22日も「よい、ふうふうの日」と呼ばれ「よい」と「いい」には大きな差はない。

仲のよい夫婦の日はいくつもあってもいいということだろうが、夫婦がよい関係を保つには付かず離れずがいい。ふうふ、と発音すると上下の唇がくっつくようでくっつかない。
この微妙な呼吸が大切だ、というわけ。

絵に描いたようなよい関係をオシドリ(鴛鴦えんおう)夫婦と言い、二羽が並んで泳ぐ日本画も多い。陶芸家の松田権六さんに有名な鴛鴦棗(えんおうなつめ)の話がある。

昭和30年代、展覧会に昭和天皇が来られたて権六さんの一羽しか描かれていない鴛鴦棗を見た。普通は雄雌は二羽描かれるものだが?とのおたずねに権六さんは、求愛行動の際の雄は雌が近づくと頭の毛を逆立てると説明をした上で「棗の雄は近くに雌がいるので毛が逆立っています。一羽しか描かなくても二羽描いていることになるのです」とお答えしたという。

夫婦の微妙な距離を示す話である。「ふうふ」。上と下の唇がかすかに触れ合うまでには、それなりの年季が必要のようである。

クマ手

2010-11-22 07:59:07 | Weblog
クマをくま手で退治したという。富山・上市での出来事。まさかと思うが、見慣れぬ道具を、クマが文字通り仲間の手だと思って恐れたのか。

意外なものが時に役立つ、クマ退治の記事の近くに、NHK[週間こどもニュース]が来月で終了という小さな記事があった。

家族の会話という形で、紙の模型などを使ってやさしくニュースを解説する。「主な視聴者が高年齢になったから」看板を下ろす、とある。惜しいことである。

難しい事をやさしく説き、厄介な話を上手にほぐすのは、とても難しい。「なぜ」と言う子供の疑問に、根気よく答えるのも骨が折れる。が、それを貫かないと、「こどもニュース」にはならない。

生煮えの知識や、片仮名語だらけの番組は、分かったようで時に分からない。そんな報道に長年接してきた人たちのひいき番組というのは、大きな自慢のタネではないか。

報道番組が並んでいても、年齢を重ねた人たちはちゃんと品定めができるのだろう。もちろん、くま手をクマの手と見誤ったりはしない。

判決

2010-11-20 07:13:13 | Weblog
裁判員裁判による初の死刑判決を出した横浜地裁の裁判長が被告に控訴を進めた。真意をつかみかねる発言である。

裁判員の精神的負担を和らげるためとか、意見が割れたことへの配慮だとも推測されている。うがち過ぎかもしれないが、死刑判決は裁判員に引きずられたものだと言う裁判長の責任逃れや、一審の軽さを象徴するようにも思える。

下級審で出された大胆な判決が、上級審で覆されて常識的な線で収まる事例が少なくない。制度に上下はあっても、裁判官に上級下級はないはずだ。仮に二審、三審での修正を念頭に一審判決を出すのなら自ら下級を認めているのに等しい。

特捜部検事の証拠改ざん以来、検察の在り方が問われている。だが、えん罪や改ざん事件があぶり出したのは検察のずさんさを見逃した裁判所の責任でもあった。検察を非難しても裁判所は批判しにくいのが日本の風土である。

裁判員裁判は多くの矛盾を含んでいるが、裁判に市民感覚を持ち込み、裁判所の非常識に風穴をあける狙いがあったのを忘れてはなるまい。人が人を裁くことの難しさをあらためて思い知るのである。

紅葉

2010-11-18 06:15:58 | Weblog
紅葉が見どころ鮮やかな赤や黄が木々を包み、地面に広がり、池にも映える。お見事、と声をかけたくなるのは兼六園である。

雪ずりも進み、自慢の冬の風物詩である。雪が降ると風情が増すが、大雪は名木を傷める。名園と雪との相性は微妙で、「ありがたくもあり、ありがたくもなし」と言う。

ごもっともである、どこかで聞いた文句でもある。門松を冥土の旅の一里塚と見立てて、
「めでたくもあり、めでたくもなし」と、一休さんは歌ったそうな。

そんなことは、案外多い。今度の映像流出の一件も、海保職員の振る舞いに対し、賛否の声が騒々しいが、それとは別に、「褒めたくもあり、褒めたくもなし」という微妙な気分も漂っている。

捜査当局も「捕まえたくもあり、捕まえたくもなし」の中ぶらりんを続ける気配である。暖冬の予想でも、北陸は雪ずりを怠らない。心もとないのは大事な情報に対する支えである。今度の一件を褒める人も褒めない人も、どちらかと迷う人の耳にも、国家の誇りや威信という枝がボキボキと折れる嫌な音は届いただろう。

坂本竜馬

2010-11-16 08:03:02 | Weblog
15日は坂本竜馬の命日だった。暗殺者は誰か。幕末以来の謎だが磯田道史さんが「竜馬史」で答えを出している、結論は読んでほしいが、この幕末の一大事件が日本史に及ぼした影響はよく語り継がれる。

竜馬暗殺直後、土佐藩士は事件の黒幕とみた紀州藩士グループを襲った。その中に土佐藩士の岩村高俊がいた。新政府で北越戦争の指揮官になったが、横柄で無能な若者だった。応援に来た山形有朋が、負けているのにのうのうと飯を食っている岩村の膳をけっ飛ばしたという。

司馬遼太郎氏の小説「峠」と「歳月」にもと登場し、傲慢、狭量さを描かれ、自伝でも若き日の傍若無人を反省している。幕末期は、坂本竜馬に連なるという経歴だけで、そんな若造が指揮官になれたのである。混乱期は偽物と本物を見分けにくい。

時の勢いに頼る人物評価は危ないことを、岩村の経歴は物語っている。程度の差はあろうが、平成の政界も無縁ではなかろう。

初物

2010-11-14 07:15:13 | Weblog
カニ魚が解禁になり、ブリの大物も揚がってきた。初物を食べると寿命が延びるという。そんなありがたい恵みが登場である。

寿命は延びても、財布の中身は縮こまる。初物の費用対効果が、つい気になる。75日延びるというのが通説。もっとも、750日も効果が持続するという誇大宣伝みたいな説も耳にする。

2ヶ月半程度の延命なら、財布に無理をさせたものかどうか。映画「武士の家計簿」の猪山家(いのやまけ)の人々のまねをして、当座はカニやブリの写真を食卓に置いて済ますのも一興か、わびしい食事のはずが、映画のスチールからは家族の温かさが伝わってくる。

「オホホ」と笑って食べるのが、初物のしきたり。笑顔をそろえて食卓に向かえば、絵に描いたタイやカニもごちそうの役目を果たす。初物が飛び切り美味というわけでもない。

江戸っ子は女房を質に入れても初ガツオに飛び付いたというが、もっとおいしい戻りガツオが能登の海にやって来る。豊かな海から届く冬のうれしいおすそ分けである。

日本の首相

2010-11-12 05:58:01 | Weblog
革命と一揆の違いは何か。成功した後のことを考えるのが革命。後のことを考えないのが一揆だとの解釈がある。

首相になることだけを考え、首相になったら何をしたいかを考えていなかったのが菅首相と評されている。相次ぐ難問に直面する首相には、平成維新を叫んだ「革命政権」リーダーの面影はない。

一揆の親方程度だったのかと先の話を思い出す。政権奪取のため野党時代に揚げた公約は次々とレベルダウンさせ、政治とカネの問題にも言葉を濁す。

重大な関税問題が降って湧いたように出てくる。こうした、一揆のような出たとこ勝負を危ぶんだのが、支持率低下を顕著に示した先の世論調査ではなかったか。今週末、横浜のAPECに世界の首脳が集まる。フャーストネームで呼び合うのがトップの親密度を測るバロメーターになっている。

だがころころ変わる日本のトップの名は覚えきれず「日本の首相」としか呼ばれないケースが目立つという。今回も「日本の首相」と呼ばれそうだが、念願かなって首相の座にある菅さんである。「日本の首相」と呼ばれればそれで十分満足なのかもしれない。