デジカメぶらりぶらり

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母の日

2014-05-13 09:01:38 | Weblog
<母の日にからっぽになるちょきん箱>『こども歳時記』(小学館)にある小学五年生の女の子の句。母の日。貯金箱と相談しながら、精一杯の贈り物を用意する子ども多いだろう。

けれど、こんな贈り物も素敵だ。児童文学作家の灰谷健次郎さんが編んだ子どもの詩集『たいようのおなら』(のら書店)を開けば、お母さんへの思いが、ほかほかと湯気を立てそうな詩が並んでいる。

例えば、六歳の女の子の「おかあさん」。<おかあさんが/さかなをやいているとき/おかあさんとさかなが/にらめっこしている>。台所に立つお母さんを見つめる子どもの目の、何と真っ直ぐで楽しそうなことだろう。

<ゆうがた おかあさんといちばへいった/かげがふたつできた/ぼくは おかあさんのかげだけ/ふまないでいた/だって お母さんがだいじだから/かげまでふまないんだ>これは七歳のはすだひとしくんの「かげ」。

この詩に灰谷さんは書き添えている。<はすだくんは、おかあさんがめちゃくちゃに好きなんですね。ぼくも母が好きでした。もうこの世にいないときどき母のことを思って泣くときがあります。「あほかァ、ええ年して泣くな」と、自分で自分をしかります>

灰谷さんの胸の中には、おかあさんの優しい「かげ」がいつまでも伸びていたのだろう。

冤罪

2014-05-03 08:51:29 | Weblog
奇妙な一致や偶然を目の前にすると、人は考え込むものだ。天が何かを告げようとしているのではないか。ルビン・カーターさんが20日亡くなった。76歳。

黒人ボクサー。冤罪事件を描いたデンゼル・ワシントン主演映画「ザ・ハリケーン」のモデルといえば、思い出すだろうか。1966年6月、米ニュージャージー州のバーで3人が殺された。

現場近くを車で走っていたカーターさんが逮捕された。無実を訴えたが、有罪の評価が下り、85年に釈放されるまでに19年間服役した。冤罪事件の背景には人種差別もあった。

袴田事件も同じ年同じ6月だった。同じボクサー。獄中にあった袴田厳さん(78)は境遇の似たカーターさんが釈放された時、手紙を書いたという。「万歳万歳と叫びたい」。

カーターさんの返事は「決してあきらめてはならない」だった。この1カ月の間に袴田さんが釈放され、カーターさんがこの世を去る。不思議なめぐり合わせに日本人が考えるべき「メッセージ」があるとすれば袴田事件を、冤罪事件を「絶対に忘れるな」に決まっている。


偽薬

2014-04-29 07:52:50 | Weblog
18世紀末、フランス国王ルイ16世は、当時注目を集めていた「画期的発見」の真偽を確かめるよう、科学者たちに求めた。
天体から発して神経などに作用する「動物磁気」なるものがあって、その乱れで病が起きる。そんな説を提唱した医学者メスメルが、磁気を使った治療の実演を繰り返し、世間を驚かせたていたからだ。
検証にあたった科学者らは、この医学者の治療法を再現してみた。喘息の患者に「磁気を帯びた木」を抱いてもらうと、なるほど発作が起きた。だが実は、これは磁気など帯びさせぬただの木。
再現実験で確かめられたのは「プラセボ(偽薬)効果」だった。「薬と思って飲めば、かたくり粉も効く」とはよく言われるが、たしかに病気によっては偽薬が驚くほど効果を発揮するそうだから、「景気の気、気分の気」と言われる経済ならなおのことかもしれぬ。
黒田東彦総裁の下、日銀が「異次元緩和」に乗り出して1年。株価は上がり、デフレ脱却も・・・とは聞くものの、上がったのを実感できるのは、物価と税金だけ。
痛みが増した気すらするのは、どうしたことだろう。医者が痛みを訴える患者に共感して、きちんと向き合えば、偽薬の効果も増すというのだ。さて黒田医師、安倍医師の手腕は如何。

STAP

2014-04-12 09:56:19 | Weblog
STAP細胞の大発見が公表された時、英国のある科学者はこんな疑問を呈していた。「ではなぜレモンやコーラを口にしても、細胞の初期化は起こらないんだろうか?」

冗談めかした疑問だが、これは根本的な問題提起だ。紅茶程度の酸に浸したりするだけで、どうして万能細胞ができるのか。そんな奇跡のようなことが起きる生命の神秘の深さ。

本当にわくわくする謎への扉を開け、「生物学の常識を覆した」とも称されたSTAPだったが、残念ながらその「世紀の論文」作成のありようは、非常識なまでにずさんだったようだ。

ずさんどころか、実験結果のでっち上げまでもが疑われている。難病に苦しむ患者さんたちに希望をもたらすはずの再生医療に貢献するはずの研究室で、研究倫理そのものの再生が求められるような事態が起きてしまったことは、悲しいしか言いようがない。

西欧の格言に曰く「成功には多くの父がいるが、失敗はみなしごである」。今回の失態を孤児にしてはいけない。

ユカタン半島

2014-04-05 07:34:00 | Weblog
恐竜絶滅という地球史の大事件発生は六千五百五十万年前。被害者は恐竜はじめ動植物の種の五割以上。容疑者は巨大隕石で、直径180キロのクレーターが見つかったメキシコのユカタン半島が現場だ。

では、なぜかくも多くの生き物が一気に死に絶えたのか。千葉工業大学の大野宗祐さん(36)らが実験で確かめた「手口」は衝撃的だ。衝突現場には硫黄を含む岩石が豊富にある。

この岩に隕石と同じ速度で金属の弾を撃ち込むと、硫酸になりやすいガスが生じることを突き止めた。衝突の数日後からタンパク質を溶かす強烈な酸の雨が降り注ぎ、海も酸性化して食物連鎖を下支えするプランクトンすら死滅させたというのだ。

隕石はたまたまユカタン半島に落ちたにすぎない。他の所に衝突していたら、酸性雨は降らず、恐竜の世が続き、人類も生まれなかったかもしれない。今海は炭酸ガスのため酸性化が進んでいる。新たな大量絶滅の危機ともいわれる。この現在進行形の「殺人事件」の犯人がだれかは、捜査するまでもない。


バナナ

2014-03-14 07:59:12 | Weblog
人はなぜ笑うのか。諸説ある。プラトンさんは「他人への優越感」、カントさんは常識からの予期せぬズレと考えたそうである。予期せぬズレ。わかりやすい例は立派な紳士がバナナの皮で、すってんと滑って転ぶ伝統的なギャグだろう。

すまし顔の紳士。ヘマしないような人物が転ぶから笑いが起きる。黒木夏美さんが書いた『バナナの皮はなぜ滑るのか?』によるとバナナの皮で滑るギャグは誰かが突然、思いついたものではないという。

19世紀後半、米国ではバナナの皮を平気で路上に捨てていた。滑って転び、場合によっては死亡する事故が続出していた。冗談ではなく、1870年にはニューヨークで「反オレンジの皮・反バナナの皮教会」なる団体が結成されている。

バナナで滑って転ぶという現実。その中でバナナのギャグがいつしか生まれ、やがて定着していった。「バナナの皮」は英語では政治用語でもある。政権を悩ませることになる災いや落とし穴などを意味する。

安部首相。立憲主義を軽視した発言は有に及ばず、意見を異にするものへの憎悪むき出しの国会答弁を見るとバナナの皮が敷き詰められた道を目隠しで歩いているようである。滑っても笑えない。

報酬

2014-03-09 07:11:05 | Weblog
「勝者には何もやるな」。米国作家ヘミングウェーが1933年に書いた、短編集の題名である。「勝者に報酬がない」という訳もあるが、「何もやるな」の方が心に切り込む鋭さがある。

ソチ五輪のフィギュアスケート男子で羽生結弦選手が優勝した。快挙である。ヘミングウェーではないが、勝者の羽生選手には何もいらないだろう。彼は勝った。

その過程での努力、成長。それ以上の「報酬」はない。「勝者には何もやるな」は最大の賛辞である。未来にも勝利が待っていることだろう。6位の高橋大輔選手。これで引退とも聞く。

彼には「何か」をあげたい。男子フィギュアを長く引っ張った。2011年の震災以降の暗い空気。何となく心が晴れぬ一時期、ふと見た高橋選手のスケートに慰められた人もいるはずだ。

そういう時代と巡りあわせた選手である。14日のフリー。こんな明るい人だったか。心から笑っている。喜んでいる。ジャンプ後の着氷は乱れたかもしれないが、そんなことは、もうどうでもいい。精いっぱいやる。滑ることが楽しくてたまらない。気持ちが伝わる。

プログラムの曲はビートルズの「イエスタディ」から始まった。リンクに初めて立ったのは20年前の同じ日という。自身の20年間という「昨日」。震災という日本の「昨日」。そして明日へ。演技にそんな伝言を見た。

バレエ

2014-02-27 09:15:46 | Weblog
驚くべき数字だ。日本には約5千のバレエ教室があって40万人が習っている。これほどバレエダンサーがいる国は珍しいという。ローザンヌ国際バレエコンクールで、二山治雄さんが優勝した。

2位、6位も日本人。バレエ大国といって差し支えない結果である。日本にバレエが伝わったのは、1912年。イタリア人指導者が帝劇歌劇部のバレエマスターに起用された。

「日本バレエの母」はロシア革命で日本に亡命したエリアナ・バブロワさん。27年に鎌倉で開いたスタジオが日本のバレエ学校1号である。西洋人と異なる体格の日本人には難しい芸術ということだろうが、克服し、およそ百年で世界でトップクラスにいる。

優勝の二山さんは男性だが、この道に入った理由にも「少女」がいる。「すきな女の子がバレエを習っていたので」。漫画みたいとはいわない。

重圧

2014-02-22 08:45:17 | Weblog
想像もつかぬ数字で実感出来なのである。むしろ米紙が報じている契約の一部の「引っ越し費用は約300億円」「住宅手当は年間1000億円」の方に驚いたりするものだ。

「24勝無敗」。米国報道を見ると、これが田中投手の枕詞になっている。「24勝無敗の田中」「直球はまあまあだが24勝無敗・・・」どんな小説や劇画にも「24勝無敗」の投手はまず登場しない。

非現実的だし、面白くないからだ。『巨人の星』の星飛雄馬でさえ公式戦通算成績は「47勝5敗3セーブ」という。漫画データー研究の豊福きこうさんの本にある。

「夢の数字」と巨額投資への期待はそのまま田中投手には重圧になる。「本拠地でビジターを応援すれば言葉の暴力を受ける。ヤンキースタジアムなら本物の暴力を受ける」。

こんな言い方があるそうだ。それほど熱狂的な声援の一方、期待外れだと容赦ないファンを思えば尻込みしたくもなるが、田中投手は逃げなかった。「(契約した田中投手の)覚悟と自信に敬意が払われるべきだ」。

こう言ったのはイチロー外野手。ヤンキスーの怖さと「神の子」の心の強さを「天才」はさすがに分かっているようだ。

テスト

2014-02-14 08:42:11 | Weblog
現代社会に生きていれば、数限りない試験、テストの類いを受けることになるが、いまに忘れえぬ問題がある。

大学時代に師事したH先生は、試験を前にした最後の授業で「何を出題するかいまから教えます」と言って、学生たちを大いに喜ばせた。

「いいですか。こんな 問題です。『今年1年の講義で学んだことの中から自分で問題を作り自ら解答せよ』・・・これですよ」。後日、先生は研究室でパイプをくゆらせながら、こう語ってくれた。

「結局いい研究ができるかどうかは、どれだけいい問題を自分で見つけられるかなのです。何をどう問うのか。それに尽きるのです」。ことは学術研究に限らない。何が問題かを見つける。他人から与えられた問を解くのではなく、自ら問うべきテーマを考える。

H先生はテストを通じ、その大切さを教えようとしたのだ。究極の試験問題ではなかろうか。いよいよ都知事選が始まった。原発とどう向き合うか?そもそもこの選挙でなぜ原発を問うのか?活かすべき東日本大震災の教訓は?福祉や雇用問題にどう取り組むか?・・・。

16人の立候補者の問題意識を見極める「試験」の始まりである。試されるのは、候補者だけではない。いま首都東京の政治に、何を求めるか。有権者1082万人の「問題設定力」を日本中が見つめている。