デジカメぶらりぶらり

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敗戦

2012-06-29 06:56:19 | Weblog
戦中、衆院議員を務め、戦後の岸内閣では運輸相で入閣するなど、政財界の事情に通じていた水野護に「敗戦真相記」という本がある。日本がなぜ戦争に踏み切り、敗れたのかを、敗戦直後の講演録を基にまとめた一級の資料だ。

第一の敗因として挙げるのは、日本の揚げた戦争の目的が、アジアの国民を納得させる公明正大な目的を欠いていたという点だ。「日本の戦争目的は大東亜諸国を納得せしめなかったばかりでなく、日本国民をも納得せしめ得なかった」と断言する。

満州事変から日中戦争、対米戦争という段階ごとに戦争目的が変わったこと、世論が封じられたことも水野は敗因と考えた。国民に気付かせないまま、重要な政策目的が変わる時は要注意という教訓に思える。

大飯原発の再稼働も、夏の電力不足の解消という理由から、国民生活や経済を守るという目的に変わってきた。「夏場限定」の稼働を拒否するのも、脱原発によって電力会社が債務超過に陥るのを避けたい、という本音が見える。

野田佳彦首相の選挙区である千葉県船橋市でも先日、再稼働反対訴える市民のデモがあり、二千人以上が各地か集まった。参加者が増えているのは、大飯原発だけではなく、全国の原発をなし崩しに動かしかねない危うさをこの政権に感じ取っているからだろう。

2012-06-27 06:17:52 | Weblog
118基ある美しい花こう岩の碑には、約24万人の名前がびっしりと刻みこまれている。太陽の下碑の前に立つ。

沖縄戦から50年を機に建設された沖縄県糸満市摩文仁の「平和の礎」。民間人や軍人、国籍の区別なく、戦没者の名が刻まれている。<礎に刻まれた人々の/届けたかった思い/叶えたかった願い 私たちが叶えよう>。

先日慰霊の日を迎えた沖縄の全戦没者追悼式で詩を朗読した首里高校3年の金城美奈さんは<私たちに必要なことは/あの日を受けとめて語り継ぐこと>と決意を込めた。

「基地負担の早期軽減に全力を尽くし、具体的に目に見える形で進展させる」と追悼式で誓ったのは野田佳彦首相だ。その言葉が掲載された同じ紙面に、墜落事故が続き保革を問わず県民が配備に強く反対している垂直離着陸輸送機オスプレイに関する記事があった。

米国防総省は「極めて安全な運用実績のある高性能機」として、計画通りの配備を日本の防衛省側に伝えたという。負担の早期軽減どころか、さらなる負担の増大ではないか。


ギリシャ

2012-06-25 07:16:33 | Weblog
世界中が気をもんでいたギリシャ議会の再選挙の結果が出た。とりあえず旧与党の政党が第一党になり、他党と合わせて緊縮財政派が過半数の議席を確保したようだ。

もし緊縮拒否派の党が勝利していれば、欧州連合からの支援停止やギリシャのユーロ圏離脱がいよいよ現実味を帯びたところ。そうなれば危機は一層深刻化しようから、ほとんど世界中がこの結果に安堵したのも当然だ。

一度目の議会選挙では、ユーロ圏残留を望む人が大半なのに、国民に痛みを強いる緊縮策に反発、連立与党を崩壊させたギリシャ国民だ。結局、組閣ができず、再選挙となって、今度は「緊縮拒否」と「ユーロ圏残留」の両立は難しそうだと思い直した形である。

一度目の選挙の後、ユーロは売られ、例えば円高となった結果、日本も株安に見舞われた。迷惑を被った向きにしたら「最初からそう判断してくれていたら・・・」と文句の一つも言いたいに違いない。

確かに、独裁者なら、迷って思い直し、決断するまで一時間ですんだかも、同じ結論に二度の選挙という手間暇かけたギリシャの迷いは、「決断のスピード」を強いる市場への民主主義からの“反論”かもしれぬ。

6歳未満

2012-06-23 07:08:35 | Weblog
先日一人の男の子が6歳未満としては国内で初めて脳死と判定された。両親のコメントの一節に胸が詰まった。

<このようなことを成しとげる息子を誇りに思っています>。実際、その通りのことを彼はした。臓器の移植で何人もの人が救われた。だだ、かわいい盛りの子だ。まだ心臓は鼓動し体も温かい。

両親は迷いに迷っただろう。最後には決断したが、それは子への思いを断ち切ったのではない。むしろ逆に思いをつなぐための選択だったのではないか。コメントにある。<息子が誰かの体の一部となって、長く生きてくれる・・・>。

俳優の故緒形拳さんが遺した言葉が、重なる。<死ぬということは残った人の中に生きるということだ>無論、同様なケースでも、親が決断を強いられるようなことはあってはならない。

でも、この男の子が<成しとげた>ことについては思うのだ。体の一部を受け継いだ人だけでなく、底いなき哀しみに沈む両親さえも救ったのではなかったか、と。

ノーベル

2012-06-21 07:56:57 | Weblog
その会社名を使うことはまかりならん。1991年10月、ヤンゴン市の小さな自動車修理工場は、軍事政権から社名の使用を禁じられた。そ理由は「ノーベル」という社名だったから。軍事側のこっけいなほどの過剰な反応を根本敬、田辺寿夫著「アウンサンスーチー」が明らかにしている。

非暴力で民主化を求めた功績をたたえられたアウン・サン・スー・チーさんのノーベル平和賞の受賞は当時、ミャンマー国内で報じることが禁じられた。自宅軟禁中だったスー・チーさんの代わりに、英国人夫マイケル・エアリス氏と二人の息子が授賞式に出席した。

エアリス氏は、7年後にがんで亡くなる。一度、出国したら帰国できないと考えたスー・チーさんは夫の最期をみとることを断念した。英国で子育てを引き受け、妻の活動を支えた夫との永遠の別れさえ奪われた。

ノーベル平和賞を受賞した本人の講演が先日、21年ぶりに実現した。民族衣装に身を包んだスー・チーさんは「我が国の最近の変化は、われわれの状況に世界が関心を払うため努力してくれた皆さんよってもたらされた」と感謝を述べた。

演説は衛星放送などを通じてミヤンマー国内でも報じられた。インターネットの普及が進んでいないため、同時中継で視聴できた人は少ないが、「ノーベル」の名を使うなどいう命令はもうなかったはずだ。

車窓

2012-06-19 07:42:53 | Weblog
鉄道が最初に開通したのは1872年。品川―横浜間の仮営業所に続き、新橋―横浜の29キロが開通し、乗合馬車なら4時間かかるところを1時間で結んだ。

以来、今年で140年。今や最高時速300キロの新幹線が突っ走り、客を大量輸送するジェット機が列島上空を飛び交う時代だ。科学技術の進歩は私たちを幸福に導くのか。

原発事故を経験した後、便利さを当たり前のように享受することを疑い、本当の豊かさとは何かを考える人たちが確実に増えた。

野田佳彦首相は、地下の断層が動く可能性が指摘される大飯原発の再稼働を決めた。「国民の生活を守る」と強調したが、本当に守りたいのは電力会社の経営ではないのか。

今後、なし崩し的に原発を再稼働させる決意にも聞こえた。車窓の景色は避けてくれても風に乗った放射能は避けてはくれない。

ロボット

2012-06-17 06:44:40 | Weblog
人間ロボットの外見が、人間に似れば似るほど、人間は好感を持つが、あるとこころで逆に嫌悪感を抱くようになる。が、さらにそっくりになっていくとまた好感度が上がる・・・。

これは<不気味の谷>と呼ばれるロボット工学の世界の仮設の一つらしいが、中途半端に似ていると不気味に感じるというのは何となくわかる気がする。

つい、連想してしまうのがこのごろの民主党、その民主党が自民、公明両党と新たな原子力規制組織の設置関連法に関する修正協議で合意した。原発の“寿命”は原則40年とするルールは維持されたが、よく聞けば、その妥当性を、今後発足する原子力規制委員会が速やかに判断し、見直すとの規定も入ったのだという。

これでは規制委の判断次第で寿命が延長されかねない。原発維持の考えが根強い自民党の反発を受けて譲歩した結果らしいが、「原則40年」こそは民主党掲げる「脱原発依存」の看板は倒れる。

消費増税のことなど、ただでさえ、民主党はどんどん自民党に似てきて"不気味の谷“に入った感があるのに、数少ない違いがまた一つ消えることになるこの"谷”を脱する道は二つあるが、違いを取り戻す方向にいくほかあるまい。

もしこれ以上自民党そっくりになるなら、もう民主党はいらないのだから。

速い

2012-06-15 07:02:23 | Weblog
素粒子の一つであるニュートリノが光より速いことが分かった。というニュースが世界を駆け巡った時、まず想起したのは「のぞみ」という言葉だった。

アインシュタインを相対性原理と矛盾する測定結果の意味も、理論的にはタイムマシンを作れることになるというような解説の理屈も、正直、あんまり理解できず、恥ずかしい話、ただ新幹線の「ひかり」より速いものが思い浮かんだだけだった。

その「大発見」を、当の発見した国際研究チームが過日、「誤りだった」と正式に認めた。発表の当初から反論はあったが、以後、測定機器に不具合があったことが判明。

再検証の結果、やはり「ひかりより速い物質はない」というアインシュタインのご託宣は崩せなかった。もっとも、常識を常識として神棚に上げていたら科学の進歩など無い。

それに挑んだチームの意気やよし、だろう。それに<何かを学ぶためには、自分で体験する以上によい方法はない>とは確か、アインシュタイン、その人の言ではなかったか。

それにしても、ニュートリノは光より「1億分の6秒」速いなどという目も眩む精密測定の世界でありながら、その致命的な不具合というのが、家電品か何かの不調を思わせる「ケーブルの緩み」だったというのが、意外である。

何だか人間くさくて、チームには悪いけど、ちょっとホッとした部分もある。

DNA

2012-06-13 07:16:00 | Weblog
また一つ、無実の訴えが司法の扉をこじ開けた。1997年に起きた東電女性社員殺害事件で、強盗殺人罪により無期懲役が確定していたネパール国籍ゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者について、東京高裁が再審開始を決定した。

形の執行も停止され、釈放された。昨年、新たに行われた現場遺留物のDNA鑑定で、マイナリさんのではない別の人物のDNAが検出されていたのだから、高裁が「第三者が真犯人との疑いを否定できない」としたのは当然だろう。

不可解なのは、そんな重要な証拠の吟味が、その時点に至るまでなされ得なかったこと。もし捜査段階で実現しておれば起訴されなかった可能性さえあるのではないか。

捜査当局に、彼が犯人だとの「決めつけ」があったと見られてもしかたがあるまい。いや、マイナリさんの家族の目にはそれ以上、「仕立て上げ」と映っているかもしれない。

講演

2012-06-11 07:41:12 | Weblog
講演に引っ張りだこの相談役がいる、名証二部上場の電気設備メーカー「未来工業」(岐阜県輪之内町)の創業者山田昭男さん(80)だ。

とにかく取り組みが先進的である。残業は禁止。休日の数は日本一だ。約8百人の従業員は全員が正社員。定年は70歳で、60歳を過ぎても給料は下げない。

理由は「定年前こそ人はよく働くんだよ」節電の徹底ぶりは震災後よく知られるようになった。廊下は薄暗く、三百人以上が働く本社にコピー機は一台しかない。

よそがやらない、日本で初めて、という点にこだわり、差別化した製品を開発し販売してきた。「もうかっていない会社と同じことをしても、もうからないんだよ」。

近著「日本一社員がしあわせな会社のヘンな“きまり”」に「これだけ休みをもらって、自由にやらせていただいていて売り上げが下がったのでは申し訳ない」という営業社員の声が載っていた。

「ムチがなくても社員は働く。それを知らないのは無智」という思想の浸透を感じた。「中小・零細企業だって、技術やアイデアがあれば大企業に勝てるんだよ」。社員がやりがいを持って幸福に働ける環境を築いてきた経営者の言葉には。小さい企業が生き抜いてゆく知恵が詰まっている。