デジカメぶらりぶらり

デジカメのほやほやの写真をご覧下さい。

スイカ

2011-06-29 06:30:23 | Weblog
地物のスイカが店頭に並ぶ、随分小ぶりである。小さく切ったものもある。何だか以前と勝手が違う。

大きな玉をどしんと据え、車座になって食べてこそスイカはおいしい。包丁を入れる前に手でたたいて「鑑定」する儀式も大事。真二つになった瞬間に漂う甘い香りで、ツバが一気に湧き出る。

楽しい消夏法の一つである。この夏は、天気予報に加えて「電気予報」が出そうな雲行きである。冷房が活躍する猛暑が続くと、停電注意報や警報が出るのだろう。さしずめ、涼しい日は結構な「お電気日和」か。

「電気予報士」が登場し、猛暑に備えてタオルや着替えの下着をお忘れなく、と呼び掛ける。こんな体験、めったにはできまい。スイカも売れるに違いない。冷房の部屋でなく、蒸し暑さの中、肌もあらわに汗をぬぐいながらかぶりつくのがおいしい。

テレビで「お電気姉さん」がにっこり笑ってスイカを勧める。そんな場面も増えそうである。多事多難な折に、たわいもない事を思う。が、深刻ぶってばかりいても夏はしのげまい。

いい事もある。スイカがおいしく食べられる。おいしい産地にも恵まれている。

けち

2011-06-27 07:45:03 | Weblog
この夏は北陸・関西でも節電を余儀なくされそうである。できるなら勘弁してほしいが、腹をくくらねばなるまい。気分が晴れぬ節約、我慢である。

そんな時は、笑うに限る。落語にはおかしな節約家が大勢いる。隣から漂うウナギのにおいをかいで飯を食べるけち。見とがめて、ウナギの「かぎ代」を請求する隣のけち。それなら、と財布を出してちゃらちゃらとゆすり、「支払いは金の音だ」とやり返すけち問答。

おかしいが、昨今は身につまされる。高速道は無料、子ども手当は弾む、と威勢のいい掛け声ばかりを聞かされ、中身をけちられた。落語そっくりである。

けちの極意は木に登って学べ、というのもある。枝にぶら下がって左手を離す。次は右手の指を順に離す。落下寸前になって、はたと悟る。「つかんだら離さぬのが、けちの極意」。

なるほど、と感心するより先に、指1本で地位にしがみつく男の姿が重なる。笑い事ではない。永田町の騒ぎを見ていると、節約の心構えがぐらぐらする。そんなものに眼をやらずに、被災地のことを思うことにする。

為政者は、節約を支える力になってくれそうもない。

終戦

2011-06-25 07:21:23 | Weblog
8月15日の沖縄は広大な平和祈念公園は静まり返っていた。沖縄の「終戦」は6月23日だったのだと、あらためて思った。

23日の「慰霊の日」は66回目の終戦の日だった。戦没者追悼式の行われた祈念公園には死者一人一人の名を刻んだ石碑がある。どんなに多くても「無数の」という表現で戦没者を語ってはならないことを伝えている。

県別の慰霊碑が並ぶ一画があり、富山県と石川県の碑がほぼ向かい合って立っている。先日、沖縄を訪れた人によると石川県の「黒百合の塔」周辺が修理中だったという。3年前に県議会で老朽化が指摘されたこともある。

県別の碑建立から既に50年余になる。沖縄県民4人に1人が命を奪われた戦争を前にすれば、県別の碑に意味があるのかと思わぬでもないが、若い世代がふるさとの歴史を通して沖縄を考える手だてとして慰霊碑には意味があるのだろう。

ことしは日本人の目が北に向いている。東北に行こう、だが、南にも足を向けたい。鎮魂の旅でも、物見遊山の旅行でもいい。その場所に立つと、この時代に生きている意味を考えさせてくれる。

うめぼしの歌

2011-06-23 07:50:15 | Weblog
梅雨時期になると、お年寄りの記憶を刺激する歌がある。明治のころから歌い継がれた「うめぼしのうた」という。

「春の2月、3月は花盛り。楽しい時も夢のうち」。実がなるころには「塩につかってからくなり」。7月、8月は土用干し。「思えばつらいことばかり」だが「世のため人のため」と気を取り直し「なくてはならぬこの私」と歌う。

先ごろ官邸で和歌山からの梅娘の訪問があった。梅をほおばる首相の姿にウメの歌が重なった。「楽しい時も夢のうち、思えばつらいことばかり」。それでも「世のため人のため、なくてはならぬこの私」と自らを奮い立たせてきたに違いない。

「うめぼしのうた」は日露戦争を背景に生まれた。「シワはよっても若い気で、小さな君の仲間入り」と、子どもたちを勇気づけた。同じ戦意高揚の歌でも太平洋戦争時と違ってほのぼのしている。

時代の差というものだろう、今、菅総理を「なくてはならない」と思う人もなく「世のため人のため」なら早く辞めろと言われている。うっとうしくて酸っぱい「菅さんの歌」である。

ドミノ

2011-06-21 07:18:42 | Weblog
「脱原発」と「O104」。21世紀のヨーロッパで、2つのドミノ・連鎖反応が猛威をふるっている、脱原発で、イタリアがドイツやスイスと足並みをそろえた。

欧州には国境を超える送電線が走っている。電力が不足すれば隣国から借りればいい。島国の日本と違う状況があるからなのか、その連鎖は止まらない。

出血性大腸菌O104の拡大もパニックの連鎖だという。ドイツ北部が発生源と疑われているが、日本のような水際防止作戦がとれない。国境があってもEUで一体感が強く交流人口が多い。

同じ連鎖反応といっても、交流で助かるのが原発、一方の感染症は交流が恨めしい。先ごろ発表された「高齢社会白書」は、日本の老人が隣近所と交流が少なく孤立していると国際比較をしている。

近所の人や友人よりも血縁関係を重んじるのが日本社会であり、災害時には危ういとの警告である。近所付き合いの難しいところだ。国と国の付き合い方、国家外交の要諦もこんなところにあるのだろう。

つかず離れず。遠くの親戚よりも近くの他人。連帯と孤立。大震災は次々と難問を出してくれる。

米大リーグ

2011-06-19 06:30:13 | Weblog
やっと米大リーグが面白くなってきた。われらが松井秀喜をはじめ日本人選手には不振、欠場、故障の言葉が付きまとってきた。

もう飽き飽きである、指揮官が代わり、ゴジラがよみがえった。左打者は左投手が苦手。そんな理屈を大打者にも当てはめるお粗末な指揮に、われらの堪忍袋は緒が切れる寸前だった。

イチローは、ベンチで完全休養させられた。連続出場記録が止まる屈辱をバネに変えて、打撃が波に乗ってきた。交代や休養が流れを変える。野球に限ったことではあるまい。

「久しぶりに興奮した」と松井は素直に喜びを表す。イチローは無愛想である。ベンチに下げられた無念の言葉は「出るだけに意味はない」。相変わらずぶっきらぼうだが、それに「必要とされることに意味がある」と続けた。

打撃同様、渋くて格好いい。必要とされなければ、交代も休養も意味がない。イチロー語録は時に鼻白むが、これは会心のヒットであろう。凡打、失策、空振りが続いて選手交代へ。

そんな世界が、列島にもある。だが、悲しいことに、2人のような「必要な顔」が、なかなか浮かんでこない。

 千枚田

2011-06-17 07:16:43 | Weblog
「耕して天に至る」の言葉は、亡命中の中国の革命家・孫文が日本の千枚田を見て言ったとも、古くからある中国雲南省の棚田を表現したものだとも言う。

昨年の「金沢学」で講演した仙台在住で「地元学」の提唱者・結城登美雄さんは、能登の千枚田を見た印象を「わずか9株の田んぼを見たときには胸が詰まった」と語った。

9株の稲から収穫できるのは茶碗2、3杯分の米で、ひとりの1日分にも足りない。里山里海を、結城さんは、「半農半魚の土地」と言う。耕して魚をする。人間が暮らした最初の土地は、海と山が接近する能登半島のような所だったと表現する。

輪島の千枚田は250年をかけて次々と切り開き、今の姿になったと見る。非効率のシンボルが千枚田であり、小さな港ごとの小舟に乗っての漁業だという。そうした先人の努力に支えられて日本人の生活はあった。

能登半島の「世界農業遺産」登録の意味は、先人の苦労を深く思うことだろう。いま、東北の半農半魚のむら復興に心血を注ぐ結城さんは、能登の千枚田の意味をこう表現している。「小さきを軽んぜず、つなげて力にする」と。


がれき

2011-06-15 07:17:39 | Weblog
「がれき」という言葉はおかしいと、震災直後から何度も聞かされた。「瓦礫」はかわらと小石。被災地にあるのは、確かにそんなたぐいではない。

辞書には、壊された建物の破片など、という意味も載る。「など」でひとくくりにはできない多くのものが、津波被害に遭った。

がれきは、値打ちのないものの意ともある。これも断じて違う。あの中には、大切なものがたくさん交じっている。大切な人が眠っているかもしれない。そんな思いで、足を運ぶ人たちもいる。

何と呼べばいいのだろう。非才の身には、手も足も出ない。満月を「盆のような月」と形容する。何げなくそう口にして、「君の目はおかしい」と、たしなめられたことがある。

球体の月が、薄っぺらな盆に見えるものか。子供の歌を大人がまねるものではない、と、きちんと目を開けて見れば、あれは「がれき」ではない。大事なものが回収され、被災者が心の整理をつけて初めて、そう呼ばれる。

3カ月を経て、名付けようのないものが、まだ被災地を苦しめている。災害の深刻さと復旧の遅さをあらためて思う。

日本人のDNA

2011-06-13 07:02:49 | Weblog
日本人のDNAとはなんだろう。ペルー大統領選挙のケイコ・フジモリ氏(36)の健闘をみながら考えた。

三つのハンディがあった。女性、30代の若さ、父が有罪確定したフジモリ氏であること。この重荷を背負って、貧困の悩む国に旋風を起こすパワーは、「日本人」や「日系」の枠で考えられるものではない。

明るく情熱的な南米のエネルギーそのものだ。父のフジモリ氏日本大使館人質事件で防弾チョッキを着て指揮を執った時に「この人は日系だけど、日本人ではあり得ない」と思ったのと似ている。

日本のトップはあそこまでしない。人間は血液やDNAより、おかれた環境によって人格がつくられていくのだろう。リーダーにはそれが色濃く出る。先の震災以降、東北の市長、トップが多いと指摘されている。

地域の大小は問わない。人の上に立つ者はいざという時に発揮できる力を持っていないといけないということだ。苦境は政治家の能力を裸にする。

国難の時には思わぬ人材が既存の枠外から登場する。ならば、ふるさとの首長、今の国政にも期待できるはずだが。

松島

2011-06-11 06:34:32 | Weblog
仙台市と石巻市をつなぐ鉄道「仙石線」が一部復旧した、景勝地の松島で下車し。駅を降りると遊覧船や観光案内のかけ声があったという。

津波被害がそれほど大きくなく、復旧の早かった松島観光回復への期待が痛いほど伝わってくる。だが、鉄路復旧直後の日曜日も、観光客は数えるほどしかなく、寂しさは覆うべくもない。

駅近くに松島水族館があり、メリーゴーラウンドが回っていた。お客は子どもひとりだけ。その日、新聞には「死者・犠牲者2万3795人」とあった。いまだ観光どころではない。

だが、観光がなければ松島の人たちは生きていけない。客が少なくても、施設再開を宣言した以上は遊具を回し続けなくてはいけない。被災者の普通の暮らしも回り始めた。

大惨事を見た後に続く「日常」を淡々と過ごしていくのも、また辛いことに違いない。観光客が戻り、街が活気を取り戻すのは当然の願いだが、もう一つ大切なことがあるのを痛感した。

被災地で生きていく人々の、これからの長い人生を思い続ける大切さと、その困難さである。