デジカメぶらりぶらり

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禁煙

2010-09-30 07:48:11 | Weblog
大幅値上げを前を、また愛煙家には決断の時期がきた。今度こそ禁煙か、買いだめにするか。大半が1箱400円以上になる。

わずかな金額を「たばこ銭」と言ったが、もう通用しない。また一つ、言葉が「死ぬ」珍しく禁煙マークのないタクシーに乗り、運転手から愛煙の弁を聞かされた。3か月間禁煙したのだが、途端に体重が増え、医者から糖尿病を警告された。

仕方なく、減量のために禁煙を断念したという。医者が喫煙を進めるわけがない。ともかく言い訳をしなければ、愛煙家は務まらなくなった。

たまに行く酒場、愉快な文句が揚げてある。「アルコールは人類の敵である。しかし、聖書は説く。なんじの敵を愛せよ、と」。どうせなら、こんな秀逸な自己弁護を聞いてみたい。

言い訳の上手下手は別にして、理屈と膏薬(こうやく)は、どこにでも付く。政治の政界は、もっとすごい。「理屈は後から貨車で来る」と言う言葉が残る。

確かに、政権交代をしても、言い訳だらけ。言い訳を学ぶのなら、あの人たちが手本になる。別に自慢にはならないし、ありがたくもないが。

B級

2010-09-28 06:40:01 | Weblog
かって、映画にもB級と呼ばれた大衆娯楽作があった。芸術祭参加作品の高尚な「A級作品」と張りあったりしない、分をわきまえた潔さがあった。

後になって見直すと、そうした作品の方が、時代を映す鏡となるのである。明治維新派、「A級の志士」がほとんど倒れ、新政府で大きな顔をしたのはB級志士ばかりだったとも言う。

B級がA級に成長することもないではないが、B級が愛されるのはA級がきちんと存在しているからである。このごろ社会をにぎわす出来事は、日本がA級不在のB級社会になっている現実を見せている。

特捜部のエリート検事が証拠隠滅容疑で逮捕される。国会議員や防衛次官経験者が刑務所に入る。B級が、「A級づら」をした結果ではなかったか。過信させた側にも問題はある。

だが、A級とB級を見極める判断ほど難しいものはない。「お前などC級」と言われそうで何んとも怖い話である。

試す

2010-09-26 06:28:03 | Weblog
20世紀最大の天災は死者24万人をだした19768(昭和51)年7月の中国唐山地震である。ところが、この地震は「死者5千人」とされて実態は長く伏せられてた。

地震後に毛沢東主席が亡くなり、政治混乱が続いたことがある。詳細が明らかになったのは2006年の震災30周年の時で、「共産党の力で見事復興」と、党の存在がアピールされたのだった。

中国は共産党の一党独裁国家である。重大な出来事にはすべて党が関与しているとみていい。偶発事件とされた先の尖閣諸島での保安庁巡視船と漁船の衝突も、中国側が意図的に仕掛けた疑いがあるとの見方が出ている。

一漁船長の判断で起きたとは思えないからだ。「中国が日本を試している」と米国高官も見ている。真相は分からないが、党の指導案件なら、何年後かに分かるかもしれない。

唐山地震はことし映画化されて大ヒット中だという。先月鳩山前首相がその唐山市を訪れて歓迎を受ける姿が報道された。本人に意図はなかろうが、映画の国際PRに一役かった格好だった。その甘さは「試す」までもない。

雨ニモマケズ

2010-09-24 06:20:36 | Weblog
コンビニに入ると、おでんについ目が行く。日ごとに恋しさが募る時節になった。お盆が過ぎから並んでいたはずで、猛烈な残暑が続いても「意外にうれました」と店員は言う。

アツアツを食べてたっぷり汗を出すという流儀だろう。随分と威勢のいい人が増えた。酷暑の後はゲリラ豪雨「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」と、引き続き元気を出さねばならない。

雪にも夏の暑さにも負けぬ、と頑張るのが、詩人・宮沢賢治の心意気である。一日に玄米四合とみそと少しの野菜を食べ、と詩は続く。これは出来ない相談。

こんな無理難題に近い願いが結構あるのだが、「雨ニモマケズ」は大勢の人に愛唱される不思議な詩である。南に死にそうな人がいたら、行ってこわがらなくてもいい、と言おう。

そんな一節もある。せめて慰めの言葉を掛け、孤独な死を迎えさせてはならない。詩人はそう歌う。これは無理難題ではあるまい。悲しいかな、そんな思い込みを裏切る不条理な出来事が、際限のないほど明るみに出てきた。


お年寄り

2010-09-22 07:09:53 | Weblog
100歳以上のお年寄りの数が発表された。113歳が男女とも国内最高齢である。人数は急増しているが、年齢の上限は120歳で頭打ちのようだ。

120歳まで生きた鹿児島県徳之島の泉重千代さんが「好きな女性のタイプは?」と聞かれ「年上のひと」と笑わせたのである。

今なら笑い話の続編が出来そうだ。各地で重千代さん以上の江戸期生まれの「年上のひと」が発見されたからである。

重千代さんは幼少期、徳之島に流されていた西郷隆盛に頭をなでられたとの伝説まであった。さすがに年代が合わず否定されたが、これも重千代さんの年齢が明確に分かる戸籍があったからだ。

全国で見つかったずさんな戸籍保存も、別の視点ると日本の戸籍制度が明治以前からしっかりしていたことの裏返しとも言える。国によって信頼できる戸籍がなくて、120歳以上といわれる高齢者がいても認定されないケースもあった。

来月の国勢調査に向けてPRが活発化してきた。国の基本台帳は重要である。正確を期すのはもちろんだが、事後処理もしっかりやらないと、後世の人に笑われる。

台風

2010-09-20 07:32:16 | Weblog
普通の台風は列島を北東方向へ「右肩上がり」に抜ける。台風9号は珍しい進路を取った。若狭湾から福井に上陸して、南東に進んだのである。

日本海から北陸のせっきんする9月の台風と言えば、バブル期の1991年(平成3)年の19号がある。

20年後の不景気のさなかは、台風まで「右肩下がり」になったのかと皮肉な思いで進路図に見入ったものだ。

最近は過去に例のない豪雨や台風の進路が目立ち、戸惑っているうちに被害が大きくなるケースが目立つ。予測のつかないのが自然災害である。人間が営む政治や経済でさえ明日の予測がつかない。

だからといって自然災害と同じようにあきらめてしまってはそれまでだ。政治や経済で過去の知恵が生かされないのは政治家や財政家の怠慢であり、レベル低下の証かもしれない。

被害に遭われた方々はお気の毒だが自然災害に人災があるように、政治や財政にも「失政」「無策」という災害がある。防ぐ気になれば防げる。

口コミ

2010-09-18 06:21:29 | Weblog
食品、家電などの新商品の売れ行きがメーカーの予測を上回り、生産が追いつかず販売を一時中止するケースが相次いでいる。

消費者の情報収集力が高まり、インターネットの投稿サイト、ツイッターなどの「ネット口コミ」で、ユニークな新商品の話題が爆発的に広がるようになったことが背景にある。

長引く消費不振で各メーカーが生産計画を堅めに立てていることや、量販店やスーパーなどへの商品納入にばらつきが出ないよう、不足すれば早めに販売を一時中止する場合もあるようだ。

日清カップヌードルごはん」の2商品は、混乱を避けるために8月10日に近畿限定で先行発売したが、わずか4日後に販売の一時中止を表明。当面は生産を1商品に集中し、今月27日から販売を再開する。

ファミリーマートは、「具入りラー油おむすび」の販売を、一部地域で4日から中止した。商品をリニューアルし14日から販売する。

他にも、サントリー酒類はビール風味飲料「オールフリー」の販売を一時中止し、7日から再開。米粒からパンを作る家庭用パン焼き器「GOPAN(ゴパン)」の予約が殺到し、発売を10月8日から11月11日に延期した。

各商品はいずれも斬新で、その話題はツイッターやブログ、会員制交流サイトなどで飛び交っていた。カップヌードルごはんもネット上で話題になり、近畿に住む人に他の地域の友人が購入を頼むケースも多かったという。

ナシ

2010-09-16 15:06:44 | Weblog
学校給食に出たナシの中から散弾が見つかった。カラス退治の流れ玉とみられるが、物騒な話である。

ナシは「無し」に通じるとして「ありの実」とも呼ばれる。「する」の言葉を嫌って、スルメを「あたりめ」、すり鉢を「あたり鉢」と言い換えるのと同じである。

塩を「波の花」と呼ぶのは、「し(死)」の音を嫌うからだという。楽しい集いの最後は、終わる・閉じるではなく「お開き」と声がかかる。

先人の中に、言葉遣いの達人がいた。片仮名言葉大好きの当節は、「ノーサイド」をよく耳にする。ラグビーで試合終了をそう言い換える。勝負の後は、もう敵も味方もない。そんな潔さに引かれ、よそでも結構使われる。

首相争い後、ノーサイド精神だそうだ。どっちが勝っても恨みっこ無しというが、最初から雲行きは怪しい。そういえば、個人情報保護という言葉の勉強をしたばかりである。

情報は保護したが、肝心の高齢者は保護できなかった。美しい言葉も、使い手次第で、意味も中身も怪しくなる。ありの実の散弾よりも始末が悪い。

納豆

2010-09-14 07:24:13 | Weblog
富田勝郎金大附属病院長の文書に出会って、ちょっと涙ぐんでしまった。失礼ながら、地方の秀才が著名医師になる一代記かと思って読み始めたがとんでもない。

南砺市(旧福光町)の納豆屋に生まれ、納豆を売るため知恵を絞り、母の背中に人生と商売のコツを学んだ少年の姿があった。

圧巻は売れ残った納豆の場面である。夜のおかずは売れ残りの納豆と決まっていた。が、完売した日はおかずがなく、水槽に漂う納豆の切れ端をすくって食べた。

それが惨めでなく、完売のうれしさで家族皆が笑顔だったというのだ。「ならぬ堪忍するが堪忍」。我慢の限界を超えて我慢するのが本当の我慢だと若くして夫を亡くした母から学んだ。

小さな田舎町の納豆屋の一場面から、戦後を必死に生きた日本が生き生きとひろがる、貧しい中にも品格のある戦前から終戦直後にかけてその人の姿がにじんで見えた。

その後の猛勉強ぶりは今の学生たちに熟読してほしい。「医学は理系でも文系でもない。人間系だ」とは、まさに至言である。

潔白

2010-09-12 06:41:48 | Weblog
身の潔白を訴える鈴木宗男議員の記事を読んで、おや、と思った。会見で「わいろをいただいた認識はない」と弁明した。

「いただいた」は、ヘンである。わいろは、もらう・受け取る、で十分である。敬語まで使われては、わいろがビックリする。丁寧な物言いを心懸けたのだろうが、悪い見本。

わいろを敬うような風潮があるのか、とゲスは勘繰ってしまう、黒い金は別にして、カネを敬うのは美徳だが、モノにはおのずと限度がある。

加賀三代藩主、前田利常の誇り高い逸話を聞いたことがある。江戸城に札が立った。「小便禁止」。「違反者は黄金一枚の罰金」。立て札に向かって、利常は平然と用を足した。

幕府の警戒の目をそらすため、鼻毛を伸ばして愚者を装ったという人である。バカ殿の仕業、と周囲はあざ笑ったが、利常は側近にこう言った。「大名たるもの、一枚の金惜しさに小便を我慢できようか」。

ムネオ疑惑は決着し、政治とカネはこれで卒業、という声が聞かれる。聞きたいのは、マユツバものの卒業宣言ではなく、カネよりも名や誇りを惜しむ志なのだが、まだまだ無理な注文か。