デジカメぶらりぶらり

デジカメのほやほやの写真をご覧下さい。

牛肉

2008-04-30 06:18:27 | Weblog
明治に入って政府が、西洋の風をまねる文明開化の中で、牛肉食を奨励して以降。
つきあいは、もう150年にもなる、われわれは、すっかり牛肉のとりこだ。

もはや輸入肉ないしでは、その食欲も満たせないわけだが、またしても米国産に問題がある。

輸入が禁止されている牛海綿状脳症(BSE)の原因物質がたまりやすい危険部位の混入した牛肉が、牛丼大手チェーン・吉野家の工場で見つかった。

前に危険部位が発見され前面禁輸になった後、米国が安全を確約して輸入が再開されたはずだが、2年もしないうちに、これである。

混入は単純ミスだとしても、ウィリアムズ米農務省報道官の発言が気になる。曰く、「7百箱中の1箱にすぎず、こうしたことは時々起こる」。

言外に「大騒ぎすることか」のニュアンスが漂う。違和感は否めない。

聖火

2008-04-28 07:45:33 | Weblog
1998年2月の長野五輪の最終聖火ランナー、クリス・ムーンさんだった。英国の対人地雷禁止運動家で、その3年前、モザンビークでボランティアとして地雷の除去活動中に手足の一部を失った。

自分が担当し、大丈夫だと判断した地域でのことだった。地雷を一つでも多く減らしていきたい。この思いを国際社会に訴えるため、義足でマラソンを続けていると聖火ランナーの話が舞い込んだ。

日本側には開会式を「平和を発信する最高の機会に」という思いがあった。演出は成功したといえる。ムーンさんは自著「地雷と聖火」に子どもたちが「平和そのもの」に思えたと書き留めている。

昨日の長野市内での北京五輪の聖火リレーは、10年前の感動の記憶をかき消すかのようだった。

やまごもり

2008-04-26 06:55:50 | Weblog
60歳を過ぎ、ただ1人で地方の山小屋に住み自給自足の生活ができるか・・・となるととても自信はない。

詩人で彫刻家の高村光太郎はそれをやってのけた。まことにタフな芸術家でもあった。「智恵子抄」で知られる最愛の妻、智恵子を亡くしたのは1938(昭和13)年である。

戦後すぐに岩手県花巻郊外の山中にこもり自伝や詩作を続けた。妻の死と当然、無関係であるまい。やまごもりは戦争に協力したのも一因とする説がある。

やがて青森県に依頼された裸婦像作成のために上京。悪化した結核と闘い完成した。
智恵子のもとへ旅だったのは昭和31年の4月2日だった。

校歌

2008-04-24 07:18:54 | Weblog
選抜高校野球大会も終了した。ずいぶん勝利チームの校歌を耳にした。校歌吹奏、校旗掲揚ははるか戦前の第6回大会に始まっているというから古い。

どうやら五輪大会の影響らしい。最近の学校では流行作詞家や作曲家による校歌もある。だがおおむね著名な詩人や作曲家による荘重なものが多い。

周辺の自然をたたえ、そんな学舎で学ぶ生徒の意気を高らかに歌い上げる。周囲の自然がもはや姿を消した学校もあることだろう。

そういえば校歌でけは引き受けないという高名な詩人がいた「自分は将来ある若者を激励するほど人格者でない」というのである。

春爛漫

2008-04-21 06:23:13 | Weblog
春爛漫。桜だよりでは、東海地方の名所が「満開」から「散り始め」に変わっていく。散る花が青空をひらひらと舞い落ちる様は、あやしく美しい。

「つぼみ」の東北も同じ光景となるだろう。詩人の大岡信さんによれば、桜の花は「稲の花の象徴と考えられていた」。

開花時期が農事の開始に重なる。花見に開く酒宴は、田の神と飲食をともにして豊作を祈る大切な行事だったという。

ドンチャン騒ぎはその流れか、桜の花は生命の豊かさ、人生の予感にも通じるらしい。「後何年、桜を見られるだろうか」。あの名吟が心に残る「さまざまの事おもひ出す桜かな」松尾芭蕉。

あがる

2008-04-19 07:20:15 | Weblog
人間には「あがる」ということがある。この症状は、たとえば大勢の前に出る時や、ここぞという緊張の場面などで出現し、時に、とんでもない被害をもたらす。

役者はせりふが出てこなくなり、歌手は歌詞を間違え、ピッチャーはストライクが入らなくなり、政治家は失言し、新郎の友人は祝婚のスピーチを全部忘れて、受験生は年号の語呂合わせを思い出せなくなる。

「あがる」とは、血が頭に「上がる」ということだが、病院で血圧を測ると本来より高い数値が出るというのも、その類だろう。

これを称するに「白衣性高血圧」。医者や看護師に接しただけで気持ちがこわばるのだ。まさに「病は気から」である。

気の持ちようで将来の結果も変わってくるわけで、このごろポジティブ・シンキング(前向き思考)なる言葉もすっかりおなじみだ。



不気味

2008-04-17 07:46:40 | Weblog
日本はいつから、こんなぶっそうな国になったのだろう。ちょっと買い物に出かけるにも前後左右を見渡せねばならない。

安心して出歩けない。情けないではないか。刃物を手に突然、他人が襲いかかってくる・・・誰が予想するだろう。

先月、茨城県土浦市のJR 駅で起きた事件はまだ解明されぬことが多い。似たような事件が最近、目立つのも気掛かりである。

ことわざに「貧すれば鈍する」とある。貧困が続くと理性が鈍る。現代のわが国では物資的な貧しさが原因とあまり思えない。

ではなんの理由があって犯行におよぶのか。訳が分らぬだけに不気味である。




道頓堀

2008-04-14 07:46:24 | Weblog
昭和25年からずーっと、立ち通しでっせ。私、太郎いいます。大阪の人やのうても、道頓堀の「くいだおれ人形」いうたら分ってくれはる人、多いんちゃいますやろうか。

私が前に立ってきたお店、「大阪名物くいだおれ」が、この7月で店じまいすることになりまして。誰かが店を引き継ぐんかどうかも、私の身ぃの振り方もはっきりしませんが、まあ、ひと区切りです。

私だけでも、どこかへ保存すべきやというてくれはる人もあるようですが、どんなもんですやろ。


裁判

2008-04-12 06:48:00 | Weblog
市民が参加する裁判員制度のスタートが来年の5月21日からという。最高裁の調査では、なお大半の人が参加に消極的というが、無理もない。

証拠や証人を吟味して「過去」を「現在において認識」する難題で、しかも対象は重大事件。死刑を決める立場にもなりえるのだから、心の負担は大きい。

死刑の次に重いのは無期懲役だが、平均25年ほどで仮釈放になっているという。数列なら15,20,25ときて、いきなり∞に飛ぶようなものだ。

二つの隣り合う罰の間にはとてつもない落差がある。そのどちらかしか選べないという場面もくるのだから、あまりに酷だ。

聖火リレー

2008-04-10 07:58:59 | Weblog
現代のような形で聖火リレーが行われるようになったのは、ナチス政権下のベルリン大会が最初。

この時はギリシャでの採火後、6カ国をリレーされたが、北京五輪の場合はアテネ大会に続き世界五大陸をめぐる長旅だ。

組織委が設けたテーマは「調和の旅」。別にスローガンもあって「情熱に火をつけろ、夢を分かち合おう」だそうだけれども、現実はむしろ「抗議に火」がついて「波乱の旅」になってしまった感がある。

聖火リレーが、ロンドンやパリで激しい妨害に遭った。パリでは聖火が消えたとの報道も、中国外務省は「消えていない」と否定したようが。

いずれにせよ聖火が、チベット情勢をめぐる中国当局の強硬姿勢に対する怒りの標的になっている。