こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年8月18日 土曜日 Virginia Astley 「It's too Hot to Sleep」

2012-08-18 08:22:29 | 写真日和

■Virginia Astley 「It's too Hot to Sleep」■















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2012年8月15日 水曜日 「Upon This Earth」

2012-08-15 14:15:27 | スケッチブック

終戦の日。
晴れ。

先日ラジオで伊集院さんが語っていた、好んで作るおそばの付け汁の話し。
それをそうめんでやってみる。

ミョウガをしげしげ眺める。
自然が産み出す形と色合いがなんとも上品で美しい。
香りも含めてミョウガは実に上品な植物。

山芋をすったとろろに、細かく刻んだミョウガを入れる。
そこにだし汁を混ぜて完成。

見た目はともかく、味わい・風味のあるおつゆ。

***

今年の終戦の日も暑いものの、穏やかで静か。
つい、三島由紀夫のことを思い出してしまう。
三島は疎開先で玉音放送を聞く。
なぜ、全てが終わろうとしているのに、ちゃぶ台があり、周囲には親族がおり、庭では夏の日差しを浴びた緑が輝いているのか?
それがとても不思議な光景に映った。

短編「海と夕焼」に描かれる「なぜ神風は吹かなかったのか?」という主題にも重なる。

三島の描く風景描写の持つエロティシズム。
本人も語るように、それは単なる風景描写ではなく、書く三島にとって、官能的であり郷愁を誘う、魂の源泉。

仮面の告白、豊穣の海第四部等々、いくたびも出てくるギラつく日差し・反射する光・輝く緑といった描写に込められたもの。

***

よく自分は昔から、調子が悪く横になる度によぎる念。
死後などあるか/無いかは、死なねば分からないが、彼岸に逝った人は此岸に居る我々に、それを事実として伝えるすべはない。
ジョージ・オーウェルという方が言ったように、キミの骨も乾かぬうちに、キミのことなんかすぐ忘れてしまう。

問題は、それでも想いを続けてくれる糸で繋がった身近な誰かが居るか/居ないかだけだ。
しかし、その人とて、間もなく彼岸に逝ってしまう。
糸がどこまで途絶えないかだけだ。

大学時代という青二才の頃にアルバイトをしながら、外側から社会という車輪が駆動する様を見て、その念を強くした。
自分が死のうがどうしようが、毎朝、新聞や牛乳が配達され朝が始まり、人々の足音や声のざわめきに次第に街は包まれ、夜に向かって収束していく。
自分という死体があろうとなかろうと、その横では何事もなく空は晴れ・雲は漂い・緑は輝くだろう。
地球がある限り。

■David Sylvian&Robert Fripp 「Upon This Earth」
('86年・セカンドアルバム「遥かなる大地へ(Gone To Earth)」より)■

〔画像-アンドレイ・タルコフスキー「ノスタルジア」より〕










英霊たちの魂に合掌。
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2012年8月14日 火曜日 「空港」

2012-08-14 04:55:09 | 写真日和
昨日寝すぎてしまったがゆえに、眠れないまま。
ビール、ライヴに持っていったが残ったスポーツドリンク、お茶・・・と飲みながら、音に耳を傾けている。

先日、とんぼ返りだったが、出張で飛行機に乗ることが出来た。
その一部の写真を。







ブライアン・イーノの「空港のための音楽」は、確かラガーディア空港からの依頼で創られたような(違うかもしれないが)あいまいな記憶。

この作品を創るに当たって、イーノはしばらく空港でぼんやり過ごしたという。
この人が行きかうスペースに、どんな音があれば良いのか?
そこからこの作品が生まれる。

幼い頃、飛行機は憧れの存在であり、乗った親戚からもらったパンフレットに載る写真が想像力を膨らませた。
飛行機の離発着を守る空港も、魅惑的な空間だった。
航空に関わるパンフレットを、地下鉄のパンフレットと共に、箱に入れてコレクションしていた。

FM東京では、必ず定期的に「フライト・インフォメーション」で空路の情報が流れ、深夜になれば「ジェット・ストリーム」が流れていることも、この想像に一役買っていた。

実際、飛行機に乗れる年齢になって、空港に居る時間~飛行機に乗り空の旅に出るまで・・・今でもそこに少年のようなわくわく感がある。

空港に漂う独特な空気。
人々が行きかう。
今回は、別れを惜しみ泣く女性を見た。
人生が行きかう。

制服姿の美しいフライトアテンダントが通り過ぎる。
天井の高い空間に差す明かりの微妙な感じ。
日本語・英語で、フライトを告げるアナウンスが空間に響く。

■Brian Eno 「1/1」■




















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2012年8月13日 月曜日 お盆休み 野外ライヴ後の疲労

2012-08-13 12:31:08 | 音楽帳

〔昨日の夜明け前。興奮で眠れず4時半に散歩。
その際に、出会ったネコちゃん。〕

早朝、けたたましくアラームが鳴る。
うなりながら目覚めるが、目を開けることも・体を動かすこともままならない。

アラームの設定は普段どおりにしていたので、
月曜日になれば「朝だよ!起きましょう!起きましょう!起きましょう!」。
しかし、
「今日は、お盆のお休みなので、失礼しまーす。お許しくださーい。」と、プチッとアラームを切って寝入る。

思えば、昨年の野外ライヴは8月7日だったので、翌日の月曜日は仕事だった。
その月曜日のしんどさは、40代にカウンターパンチのように堪えた記憶。

***

今年は、ことなった日の配置だったのが救い。
仕事は、今日月曜日には無い。

起きると11:15.
起きた、というより起こされた。裸族なのに、汗だく。

寝たはいいが、結局、夢を見ていて、さらに最低なのが、仕事だけが夢の中で演じられる。
また、いつものトラブルがあちらこちらで起きる。
自分は夢とは思わず本気。

「おかしいじゃないか。サボタージュしないで、休みでもかきいれ時なんだから、村祭りは無視して全員総出で、働く指示を出せよ」と語気荒くなったり。。。。

寝ているんだか、寝ていないんだか不明。
損な性格である。

***

背負った大量の水類の重い荷物のせいで、肩に激痛。
むきだしだった手足の部分が真っ赤っかで、まだほてりを持っている。
日焼け止めクリームを、出る間際入れ忘れた自分の責任。
昨夜ガンガン痛んだ頭痛は消えているが。



猛烈にノドが乾き、冷蔵庫の缶ビールのプルを開ける。
最上階に行って、窓を開けて外を確認するが、風は熱風・高温注意。
青い空には、もくもくの入道雲。
野外ライヴの日が1日ずれていたら、確実に死んでいたな・・・。
そう思う。

***



脳がウニな状態は、しばらく続きそうである。
体験したことをすぐに言葉に転嫁出来るほど、自分の脳はIT化されていない。
すべては、思い浮かぶだけの断片に過ぎない。

さくりんさんへは告げたが、コトリンゴさんのピアノとアオキタカマサさんのエレクトロニクスのユニットが素晴らしかった。
「お祭り騒ぎ」目的で来た多勢は、シーンとなっていたが。
多勢に無勢で言う「無勢サイド」の自分は、ちょうど炎天下の盛りだった時間帯、この演奏を楽しみ堪能した。



***

アオキタカマサさんに初めて面したのは、自分には衝撃だったプログレッシヴ・フォームから出たアルバム「シンプリー・ファンク」とかぶる時期。
その時期に、聴きにいったスケッチ・ショー(細野さん&幸宏)の室内ライヴでのこと。



当時、狭い空間でのオールスタンディングに不安を覚えながら、スケッチ・ショーまでの前座が4時間近いという過酷な中、足腰をガクガク言わせて聴いたライヴだった。

アオキタカマサさんが最初に出て来て、エレクトロニカを1時間以上。
途中、電気が飛び、演奏が何度か中断された。
当時、新しいテクノの姿を「シンプリー・ファンク」と共に味わった体験だった。

***

コトリンゴさんは、ピアノも良かったが、ヴォーカルがまるでメレディス・モンクのようでもあり、また、そこには明らかに「ビョーク以降」という新しい道に位置しているミュージシャンということが分かった。



彼女は自分が「ビョーク以降」の流れにこそ、自分が居ることをよく理解していた。
ビョークのカバーを1曲やったが、元曲とは大きく異なったために、自分も「これはどこかで聴いたフレーズ・・」と辿りながら「ああ、あの曲だ」と分かった。
彼女なりの、ビョークへの敬意と思えた。



音楽には関係ないが、赤に黒の模様の衣装がとても似合っていて、豊かな表情はとてもステキで透き通っていた。

***

ビョークとの出会いは、大阪に行って間もない1991年。
それも偶然であった。

80年代の終わりから90年代に現れたハウス・ミュージックの中で出会った808ステイトの「パシフィック」。
エレクトロニクスを用いているものの、ムード音楽とでも言うのか、実に奇妙な響きをしていた。

その後、大阪でその808ステイトの「エクセル」というアルバムを手に入れる。
CDプレイヤーを初めて手に入れて間もない。
ここに、ハウス・ミュージックなどというカテゴライズされたものを越えた「テクノ」の復権が自分の前に現れた。

素晴らしくポップでありながら革新的であり、この時期のテクノの系譜における金字塔のように、自分は今でも思っている。
ちなみに808ステイトは、この音楽を創り出す影響力の元となったのがYMOである。
その後さかんに(私個人はこの時期を受け入れないが)YMOのリミックス盤が出るが、808ステイトはその中にしょっちゅう出てくることとなる。


***

ビョークの話しから逸れてしまったが、自分がビョークを初体験したのが、この「エクセル」に収録された「Ooops」なる曲。
土俗的でプリミティヴな匂い、生理をそのまま出せる能力があるヴォーカルは、なかなか他には聴いたことの無い響きをしていた。



今日は、コトリンゴさんの源流=ビョークとの出会いだった「Ooops」を聴く。

ああ、赤くなったヒフがかゆくなりだした。

■808ステイト・フューチャリング・ビョーク 「Ooops」’91■
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2012年8月12日 日曜日 「I = YMO AGE」

2012-08-12 23:26:42 | 音楽帳
YMO大団円の中、20時にワールドハピネス2012は幕を閉じた。
そこから2時間半を経て、22:30にボロボロで40代後半の老体は帰宅す。

今日演奏された『テクノデリック』に収録された細野さんの「灰色の段階」。
客のにぶさと反応の悪さ。
これが、2012年の日本観客(リスナーでは無い)のすべてを語っている。
その象徴。
素晴らしい曲であるというのに。。。。

この恨みを込めて、細野さんの耽美的な曲「Gradated Grey」を掛ける。

■YMO 「灰色の段階(Gradated Grey)」’81■


今日YMOを聴いて、サンフランシスコ・ライヴを越えた世界は無かった。
それは、「お祭り騒ぎ」をするために来た連中からの障碍・スタッフの圧力が、やはりそうさせている。
これでは「再生」の二の舞では無いのか?
そうも、ついよぎった。
彼ら自身が選曲したのかもしれないが、ここでは祭り仕様となっている。
昨年の「ファイアー・バード」のように、全てを無視した曲は無かった。

2012年8月時点で「トーキョー・タウン・ページ」など深遠なる世界が、この国では演奏できない。
結局、この国では、YMOは未だに異端。

楽しみにしてきたし、行くからには・・・と思ってきた。
「コンピューターゲームのテーマ」で始まり、「増殖」の曲、そして、「磁性紀~開け心~」と意外なる曲もあり、驚きと楽しみを享受したものの。。。
彼らが持つその様=サーヴィス精神が、予想通りでもあった。

静かに障碍無く、マニアックな曲もやるYMOを国内で堪能出来る日は、いつなんだ?
お互い、もう時間は無い。
希望と絶望が交錯した日だった。

















YMOに精神を開花させられ、YMOエイジとして育った自分。
どこまでも、自分は育ててもらった恩師たちに着いて行くのみだが。
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2012年8月11日 土曜日 お盆休みの朝

2012-08-11 07:55:54 | 想い出かたちんば


気がついたら、1時頃に「ぐああ~っ」と倒れ寝ていた。
今日よりしばしお盆のお休み。

6時に「はっ」と目覚める。
まだ徒労感が残る。
外の温度を確かめるために、窓を開ける。
空を雲が流れている。
風は吹いているが、微風ナリ。

たばこに火を付け、空を見ながら一服する。



***

最近、室内よりも外の方が涼しい。
家=ハウスは、雨風をしのいで・人を守る宿ではあるが、環境としては季節によっては悪しきときがある。
夏の室内も、良いときもあれば・悪いときもある。
セミナー「エコハウスのウソ」の各種データでも知ったが、室内で熱中症で死ぬ人が居るように、家に居れば安全である訳でもない。
むしろ、危険とも言える。

設計家のエゴで生まれた大きなワイドサッシ窓も吹き抜けも、ECOの面では逆行した存在。
窓面積が大きいほど、温度の上下動が激しく、眺望がいくら良くても・反ECO。
暑い空気は上に行き、床付近に冷たい空気は集まり還流しないから、吹き抜けも反ECO。
より環境温度調整がしづらく・よりムダなエネルギーを使う空間を、設計士やデザイナーというウソツキは、見た目重視=住む人無視「ええかっこしい」で作り続けてきた。
これが、今のありさま。

近時の家は(自分の家も含み)高気密高断熱だから、「家が呼吸」せずに、内と外が完全遮断される。
夏の猛暑日などは、室内に居ることは=昔ながらの日本家屋が呼吸するのとは異なり、サウナに入るのと同様な行為の場合も多い。

まあ、とりあえずは窓を開けて空気を流れる道を作るべし。

***

お盆に思い出すのは、小さい頃の三ノ輪の通り。
自分の育ての親(の一部)だった、近所のおばさんたち。
外に出てイスを置き、うちわをあおぎながら夕涼みをする。

可愛がってもらった通りのおばさんたち。
「な~あに泣いているんだい」
親でも無いのに、笑顔で、気持ちを癒してもらったおばさんたちも既にあの世。


お盆には、となり・向かいのおばさんが、夜になると、ナスやキュウリにおはしを刺した動物さんを器に入れて道端に置く。


〔私の写真ではありません。ネット上からのいただきものです。〕

この横でお線香が炊かれる。
亡くなった方々のおむかえ。
風にゆらゆらとお線香のけむりが上がる様。

火をともすおばさんの横顔。
夜のほのかな明かりの下で陰影に憂いが映るシーン。
静かな夜。


〔ピー助・正ちゃん・まみちゃんが眠るお寺〕

自分の記憶には、原爆投下・終戦の日とこの夜のシーンと道から見えた隅田川の花火の光と音が重なっている。

小学生の頃、海洋少年団に属していた頃では、千鳥ヶ淵の戦没者追悼式に参加し、夜、送り火をするシーン。

遠い過去の人々と繋がった末に、自分が今位置しているのだと確認する時。
遠くから脈々と続く日本の魂。

***

■YMO 「ビハインド・ザ・マスク」'79
     (’11年サンフランシスコ・ライヴより)■

30年以上経っても本国=日本ではアウェイなYMO/海外では音の本質を理解してくれるウェルカムなちぐはぐ感は続く。
自分の魂に響く「きわめてまっとうな」この音を、単なる祭り騒ぎでしか聴けないこの国。
「自分は果たして、21世紀の日本人なのか?
日本に住む・日本人なのか?」
その違和感が去らない。

is it me?
is it you?
who wear another face?

behind the mask,i ask・・・
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2012年8月9日 木曜日 歩き旅 谷中その2

2012-08-09 07:05:24 | 写真日和


■細野晴臣さん 「ハリケーン・ドロシー」■





林家三平がよくパンを買いにきたパン屋さん。




荒物屋さん。








さんさき坂。


やっぱり自分には、ピノキオのようなカヤバコーヒーより、こちらの隠れ家の方が安心する。
愛する某喫茶店。
ジャズを聴きながら、この空間だけの静かな時間が過ぎていく。








たまには自分も撮ってみる。



























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2012年8月8日 水曜日 歩き旅 谷中

2012-08-08 07:11:47 | 写真日和


■ティン・パン・アレイ 「イエロー・マジック・カーニバル」■



1時間歩いて、汗だく。
カヤバコーヒーで3人で昼食と一服。


サーモンとアボガドのバジルマリネ丼、アイスコーヒーを頼む。




量は少ないものの食事はおいしく・風情があり・涼しい。

ただし、若すぎるアルバイト女性が・・・。
「うちは谷中でも有名な店ですから」と言わんがばかりのドヤ顔。
そう態度で示されても困るんですが・・・。

つい田舎から出てきた者に、よく出る態度。
「キミが生まれる前から、ボクは谷中は知っているんですけど・・・。」
そう思うが、せっかくの旅なので黙ってやり過ごす。

森まゆみに依る「谷根千ブーム」の悪しき新参者が、こうやって街の空気を壊している現在が見え隠れする。
こうやって、見てくれは古いが・中身のやる人間はすっかり変わって形骸化していくんでしょうか・・・。










「おかみさーん、時間ですよー」のテレビドラマの舞台だった銭湯。
今では、アートを飾るギャラリーとなったスカイ・ザ・バスハウス。














ワールドハピネスまで、あと4日。
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2012年8月7日 火曜日 歩き旅 鶯谷~谷中

2012-08-07 07:08:05 | 写真日和

鶯谷は、昔から治安が良くない。その文化は、2012年も変わらない。
食べ物のお店、その隣に風俗、ウラに入ればラヴホテル。

■ティン・パン・アレイ 「薔薇と野獣」■

1980年夏、NHK特集で出会った曲。YMOと糸井重里さんの会話と音楽。
SONYのAHFに編集した「スペシャルカセット」は、今も大事に家で眠る。






日本人ではないアジア系のヒトが多い地区。
風俗の女性が買う洋服店が多くある。













鶯谷を抜けて、一山越えて上野桜木・谷中に向かう。













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2012年8月6日 月曜日 歩き旅 上野~鶯谷

2012-08-06 07:15:12 | 写真日和
7月28日、MZ師・ハブ噛み師匠と3人で歩き旅に出た。
そのときの街の雰囲気がとても良かったので、写真を見て振り返る。
今年の想い出の1つになるであろうシーン。

歩きながら瞬間をおさめるためには、切り替える余裕は無い。
すべてノーマルモードでの撮影。


上野のカエルちゃん

■はっぴいえんど 「夏なんです。」■





ナツの読書。










再開発エリアの予想図は、どこもかしこもエセ。




街に暮らす人々もつらい夏。








樹木に顔が見える。怒っています。




線路づたいの細道を、上野から鶯谷に向かう。







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