こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年8月13日 月曜日 お盆休み 野外ライヴ後の疲労

2012-08-13 12:31:08 | 音楽帳

〔昨日の夜明け前。興奮で眠れず4時半に散歩。
その際に、出会ったネコちゃん。〕

早朝、けたたましくアラームが鳴る。
うなりながら目覚めるが、目を開けることも・体を動かすこともままならない。

アラームの設定は普段どおりにしていたので、
月曜日になれば「朝だよ!起きましょう!起きましょう!起きましょう!」。
しかし、
「今日は、お盆のお休みなので、失礼しまーす。お許しくださーい。」と、プチッとアラームを切って寝入る。

思えば、昨年の野外ライヴは8月7日だったので、翌日の月曜日は仕事だった。
その月曜日のしんどさは、40代にカウンターパンチのように堪えた記憶。

***

今年は、ことなった日の配置だったのが救い。
仕事は、今日月曜日には無い。

起きると11:15.
起きた、というより起こされた。裸族なのに、汗だく。

寝たはいいが、結局、夢を見ていて、さらに最低なのが、仕事だけが夢の中で演じられる。
また、いつものトラブルがあちらこちらで起きる。
自分は夢とは思わず本気。

「おかしいじゃないか。サボタージュしないで、休みでもかきいれ時なんだから、村祭りは無視して全員総出で、働く指示を出せよ」と語気荒くなったり。。。。

寝ているんだか、寝ていないんだか不明。
損な性格である。

***

背負った大量の水類の重い荷物のせいで、肩に激痛。
むきだしだった手足の部分が真っ赤っかで、まだほてりを持っている。
日焼け止めクリームを、出る間際入れ忘れた自分の責任。
昨夜ガンガン痛んだ頭痛は消えているが。



猛烈にノドが乾き、冷蔵庫の缶ビールのプルを開ける。
最上階に行って、窓を開けて外を確認するが、風は熱風・高温注意。
青い空には、もくもくの入道雲。
野外ライヴの日が1日ずれていたら、確実に死んでいたな・・・。
そう思う。

***



脳がウニな状態は、しばらく続きそうである。
体験したことをすぐに言葉に転嫁出来るほど、自分の脳はIT化されていない。
すべては、思い浮かぶだけの断片に過ぎない。

さくりんさんへは告げたが、コトリンゴさんのピアノとアオキタカマサさんのエレクトロニクスのユニットが素晴らしかった。
「お祭り騒ぎ」目的で来た多勢は、シーンとなっていたが。
多勢に無勢で言う「無勢サイド」の自分は、ちょうど炎天下の盛りだった時間帯、この演奏を楽しみ堪能した。



***

アオキタカマサさんに初めて面したのは、自分には衝撃だったプログレッシヴ・フォームから出たアルバム「シンプリー・ファンク」とかぶる時期。
その時期に、聴きにいったスケッチ・ショー(細野さん&幸宏)の室内ライヴでのこと。



当時、狭い空間でのオールスタンディングに不安を覚えながら、スケッチ・ショーまでの前座が4時間近いという過酷な中、足腰をガクガク言わせて聴いたライヴだった。

アオキタカマサさんが最初に出て来て、エレクトロニカを1時間以上。
途中、電気が飛び、演奏が何度か中断された。
当時、新しいテクノの姿を「シンプリー・ファンク」と共に味わった体験だった。

***

コトリンゴさんは、ピアノも良かったが、ヴォーカルがまるでメレディス・モンクのようでもあり、また、そこには明らかに「ビョーク以降」という新しい道に位置しているミュージシャンということが分かった。



彼女は自分が「ビョーク以降」の流れにこそ、自分が居ることをよく理解していた。
ビョークのカバーを1曲やったが、元曲とは大きく異なったために、自分も「これはどこかで聴いたフレーズ・・」と辿りながら「ああ、あの曲だ」と分かった。
彼女なりの、ビョークへの敬意と思えた。



音楽には関係ないが、赤に黒の模様の衣装がとても似合っていて、豊かな表情はとてもステキで透き通っていた。

***

ビョークとの出会いは、大阪に行って間もない1991年。
それも偶然であった。

80年代の終わりから90年代に現れたハウス・ミュージックの中で出会った808ステイトの「パシフィック」。
エレクトロニクスを用いているものの、ムード音楽とでも言うのか、実に奇妙な響きをしていた。

その後、大阪でその808ステイトの「エクセル」というアルバムを手に入れる。
CDプレイヤーを初めて手に入れて間もない。
ここに、ハウス・ミュージックなどというカテゴライズされたものを越えた「テクノ」の復権が自分の前に現れた。

素晴らしくポップでありながら革新的であり、この時期のテクノの系譜における金字塔のように、自分は今でも思っている。
ちなみに808ステイトは、この音楽を創り出す影響力の元となったのがYMOである。
その後さかんに(私個人はこの時期を受け入れないが)YMOのリミックス盤が出るが、808ステイトはその中にしょっちゅう出てくることとなる。


***

ビョークの話しから逸れてしまったが、自分がビョークを初体験したのが、この「エクセル」に収録された「Ooops」なる曲。
土俗的でプリミティヴな匂い、生理をそのまま出せる能力があるヴォーカルは、なかなか他には聴いたことの無い響きをしていた。



今日は、コトリンゴさんの源流=ビョークとの出会いだった「Ooops」を聴く。

ああ、赤くなったヒフがかゆくなりだした。

■808ステイト・フューチャリング・ビョーク 「Ooops」’91■

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9 コメント

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愉しくもお疲れ様でした。 (さくりん)
2012-08-13 18:01:58
な~んにもしない休みが続いています。


ピアノをどうしてだか一度も習いたいと思ったことがない私。
そのままずっと弾かずにきたのですが
きっと自分の棲む場所ではないと分かっていたのでしょう。
だからピアノで音楽を考えられるって想像がつかない世界です。
AKKOちゃん、上原ひろみちゃん、原田郁子さん…人柄まで魅力的。
コトリンゴさんも、つぶやく・ささやく声とは対照的な圧倒的なピアノに驚いているうちに
まんまと捉えられてしまうひとりですね、でも本人はほわほわ漂っている(笑)

「こんにちはまたあした」のコード進行がもう鳥肌ものです。
昨日は演奏されたかしら…

それにしても教授という人は、才能を見逃しませんね~。

自分で圧倒と書いていてやっと気づきました。
コトリンゴさんが演ずるビョークは、繋がるべくして繋がった流れ。
『土俗的でプリミティヴな匂い、生理をそのまま出せる能力』
ビョークをよく表わしています。

私はロッキング・オンの大々的な前宣伝とアイスランドへの興味でシュガーキューブスから入りましたが、
その直後に体なのか心なのかを壊して2か月ほど大学に行けなくなっていました。
その時分に聴いていたビョークの声は、体に浸み入るといった優しいものではなく
内臓を越えて核を鷲づかみにするような当たりで、
まさに聴く側の生理にも作用していっそう具合が悪くなった記憶が残ります。
いつでも生まれたてのようでいて、年寄りのような知恵からヒトのずるさまで全部知っているかのような存在が
自分の弱った生理を刺激するのかもしれません。
それでも聴こうとするのは、一種のマゾヒスティックでしょうか…
私にとっては似たような作用を起こすもうひとりは、Coccoです。

 * * * * *

お肌お大事になさってください。
日焼け止め、伝書鳩か何かでお届けすればよかったですね\(゜ロ\)
補水と保湿が有効だそうですが、霧吹きで直接肌に水をかけるのもいいそうです。
返信する
こちらも (かたちんば→さくりんさんへ)
2012-08-13 21:48:57
ひたすら横になる一日です。

ぼーっと生き物たちは偉大だなあ、と思いながら不自然で不健康な自分が居ます。

相変わらず、好きな伊集院光さんの撮りだめたラジオを聞いています。

***

「ピアノで音楽を考えられる」
いつもながら上手な表現ですね。

ピアノに目覚めたのは、自分は何を置いても教授でした。
あのシャイに弾くピアノの背中のかっこよさ、
そして孤独を行くさまへのあこがれ。

一方では、さくりんさんの言うように、矢野さん・上原さん・原田さん・コトリンゴさん・・・ピアノも良いが、女性としても実にチャーミングです。
コトリンゴさんは初めて見聴きしたのですが、まさに圧倒的に流れるようなピアノ・途中での転調の不可思議さに良い酔い心地。
と、思えば、曲の合間のMCでは、ほわんほわん(笑)。

「ええっ?」というギャップに笑いました。
笑顔で手を振って、律儀に拍手に「うれしいです」。
この人は、ピュアな世界に生きてきた人なんだなあと思える目をしていました。

CDを買いに行こうと思います。
良い出会いでした。

***

「いつでも生まれたてのようでいて、年寄りのような知恵からヒトのずるさまで全部知っているかのような存在」
これまた的を射抜いた表現。

そうそう、ビョークが持つ得体の知れないリアリティとは、年齢が存在しないかのような・人間では無い生き物のような感覚。
彼女の存在感の大きさゆえに、ソロには様々な人が絡んでいますが、時にロボットだったり・魔物だったり・・・色んな着色をするが、それでもビョークはビョークとして存在する。

さくりんさんが、病床で気持ち悪くなったのは理解に及びます。
それくらいのチカラを持っている。

自分は、こないだ初めて知ったのですが、ビョークの熱心なファンだった男の顛末。
彼女の婚約を知ってショックを覚え、爆弾を作り、自殺までの語りのビデオを作りビョークに送りつけるという行動に出る。

彼自身の持っていた性格もあるでしょうが、それほどにビョークは人に対しての影響力を持っている証拠とも思います。
野外ライブで、喜ぶ子供相手で満足するだけのミュージシャンとは大きく異なる。

ビョークで好きな曲はたくさんありますが、ファーストアルバムでの「Venus As A Boy」という曲。
ゆったりした優しい音空間を、ビョークが自由に羽を付けて飛び回るロマンティックな音調がとても好きです。

***

いつもお気遣いありがとうございます。
伝書鳩で、ぜひ届けて欲しかったです(笑)。

というのも、夢の島公園は(というか大音量イベントはどこもそうでしょうが)、そこで何かがあっても、すぐに何かが買える場所も無いし・逃げ場も無い。

よく平気で子供を連れてきている人が居ますが、自分のような神経症タイプの子供だったら、脱出不可能な空間に発狂するかもしれません。

やはり、好きな物に囲まれた空間で、まどろんでいるほうが似合っているようですね。
返信する
伺おうと思っていました、 (さくりん)
2012-08-14 14:57:50
飛行機のお話。

『好きな物に囲まれた空間で、まどろんでいるほうが似合っているようです』
私もまったく同感・同様で、日々進行しています。
それでも旅、とりわけ自分の日常にはない空の旅は格別な憧れ。
足が地上から離れる分、
こんな所(あのカセットレーベルのような)に行って(消えて)みたい、
「今」から「出て」いく思いを託す…

外見が大きく変わらず、イメージするままの「あれ」が飛んでいるというのも、
いつまでもわくわくしていられる訳のひとつかもしれません。

ジェットストリームは旅愁がコンセプトだとか。
聴いているこちらは憧憬の方が強かったように思います。
親戚のお兄さん・お姉さんから「色んな音楽が聴けるんだよ」と教わっていたこともあり、
初めて乗った時には即!イヤホンの袋を開けて、オリジナルの音楽番組に飛びつきました。
何せ貴重な情報源(◎o◎)
子どもらしいアニメには目もくれず、ずっと音楽を聴いていたさくりん(小)は「スチュワーデスさん」の目にも可愛くなかったことでしょう。

今回は、「ばんばん撮って」注意されませんでしたか(^_^;)
短い滞在でも、写真からわくわくが伝わります。

福岡空港での遭遇事件、ほぼ同じ感想を中華街で見かけた瀬川瑛子に感じたことがあります(笑)
胸はフェイクではなかったと思いますが…
実は私も来月、飛行機の予定があります。
何年か振りなのに、仕事(しかも引率、さらにボス付き)かつコーヒーいただけるかな?くらいの時間ですが
ちょっと嬉しいです。
陸路の音楽はたくさんイメージできますが、空の音楽はそういえば、教えていただいた「Music For Airports」以外持っていない自分。
「Venus as a boy」もいいですね。


空港・イーノといえば、うちのラジカセがついに壊れて、右が聴こえなくなりました。
聴きなれた音楽の構成が変わって、まったく別の音楽になるものも。
これまたちょっと愉しんでいます。
評価対象外でしょうが、こんな自由研究をすればよかったなあと今さら思いつきました(笑)
返信する
旅愁 (かたちんば→さくりんさんへ)
2012-08-14 15:53:53
「好きな物に囲まれた空間」の延長線に、自分のテリトリーである街もあれば、フロンティアへの旅もあります。

飛行機に憧れていたものの、実際乗ったのは、例のJALの1985年大惨事の後だったので、びびって汗かいて乗っていました(笑)。
それも、出雲のおじいちゃんの死を前にした入院で急に決まったもので。。。
ジャンボではない小さい狭い機体で、天候が悪く、えらく揺れたのも影響していました。

今でも、飛び立つ前の車輪がごろごろ言う時には、そういったものがよぎりもしますが、フワッと浮く瞬間がたまりません。

旅愁。
自分もその派です。
飛び立つ下界に見える東京の街に、ついナーヴァスな気持ちになります。
逆に、復路で東京の町並みが見えてくると、ふるさとに戻ってきたんだ、という想いにあふれます。

今回は、強行軍の旅で3人一緒。しかも真ん中だったので、バンバン写真は残念ながら撮れませんでした。

しかし、復路で自分のそわそわを察知して「窓際に変わってあげようか。どうも、そうじゃないかとは思っていたんだよ(笑)。」
窓の外ばかり気にしている自分はまるで子供ですね。

空の旅というのは、よく芸人に会いますね。
ファンでもない人には関心が無いし、下手に好奇な目で見れば、相手のピノキオの鼻が伸びるだけなので、出来るだけ見ないようにします。

さくりんさんは子供の頃から飛行機にも乗れて、音楽も聴けたというのは、よい意味で贅沢ですね。
空で聴くシチュエイションが生む心地良さは、通常時とは異なりますね。

うちのラジカセも、とうにブレイクしています。
ほぼラジオと呼んだ方が良いくらい。
テープを入れてボタンを押してもテープが一歩も進まなくなりました。
買わねば。。。と思いながら、自堕落なまま放置状態です。

ブレイクの前には、うにうにしたテープの変調が確かに自分も楽しかったです。
よーく、中学生の頃、テープループを作ったり・切り貼りしたり・スピードが変になった音を撮ったり・・・それらをピンポンダビングして、奇妙なノイズミュージックの実験を試みていました。

ロクな曲は出来ませんでしたが(苦)。
返信する
ビョークについての訂正 (かたちんば→さくりんさんへ)
2012-08-14 23:56:20
コトリンゴさんの演奏した曲がひっかかっていました。
私の間違えでした。

ファーストアルバムではなく、セカンドアルバムの「ポスト」に入っていた『ハイパーバラッド』でした。
当時、初めて聴いたときは、1曲目が終了した後にひそやかに始まるこの曲に感激したクセに(笑)。

ということで、改めて今『ハイパーバラッド』を聴いています。
素晴らしい曲ですが、とても切ない曲で、どんな状態でも聴ける曲ではないのは、昔も今も変わりません。

幸宏の奏でる音楽の一側面でもある、傷んだ心に更に塩を塗るような感覚とでも言うのでしょうか。

さくりんさんが、病床で調子が悪くなったもの、そのものです。
返信する
静かな風の夜に。 (さくりん)
2012-08-15 21:17:43
コトリンゴさんが選んだのは「ハイパーバラッド」でしたか…
只者ではない「ほわんほわん」ですね。

バラッドにハイパーとは。
解釈が難しいですが、ビョークそのもののように
訳が追いつかない生きものに見え/聴こえます。
生まれる瞬間から、その後も長きにつきまとう苦しみによって、
そして合間に時折差し込む光を見て、
ヒトはずっとずっと、悲痛に歓喜にと叫び続けているのかもしれませんね。

純粋さが放つ容赦ない鋭さ。
幸宏さんの場合は、そこに繊細さも持ち合わせていたために、病で苦しまれたのではと思います。

『とても切ない曲で、どんな状態でも聴ける曲ではない』
で、私も1曲。
アイルランド民謡の「She Moved Through The Fair」
親に結婚を反対された娘さんが恋人の枕元に立つという、美しく悲しい物語。
好きな曲なのにたいていはその調べに動揺してしまいますが、
それにはずっと昔から知っているような揺れも含まれています…
色んな方がうたっているので、かたちんばさんもご存じの曲かもしれません。
実はこの休みの間に、ドゥルッティ・コラムのバージョンを発見。
タイトルは「Maggie」と変えてありましたが、ヴィニに演奏してもらっていっそう感極まる、新しく懐かしい出会いでした。


その後の親子猫。
ひとりお母さん(なのか)だけが眠っていたので、ちょっと焦って辺りを捜索。
…少し先で3人仲良くどきどき探検中でした、愉しそうだけど、気をつけて。
返信する
届かぬ想い (かたちんば→さくりんさんへ)
2012-08-15 23:06:40
ヴィニー・ライリーの「マギー」聴きました。
ありがとうございます。

90年代以降のドゥルティ・コラムをほとんど知らなかったので。。。
とても爽やかな、まるで秋の始まりのような音楽。
自分には、そう響きました。
スケッチ風のジャケットも素敵で、多くの喧騒とは無縁の地で、音が鳴っている。

ヴォーカルがヴァージニア・アストレイじゃないのか?という錯覚を抱きました。
さくりんさんに教えてもらった曲の背景の哀しみ。
木漏れ日の遠くに見える人の姿と声は、まるで夢のようでもあります。
三島由紀夫の「花ざかりの森」の美しい冒頭のシーンと、自分にはどうしてもオーバーラップしてしまいます。

過去、勝手に語ったことがありましたが、幸宏の曲にも、遠くで手を振るヒト・彼方に見えるヒト、それが何度も何度も繰り返し出てきます。
届かぬ距離と障碍の向こうに居るヒト。
それを自分は、幼くして亡くした愛する母が別の形を取って現れたものと解釈しています。

一方、ビョークのインパクトは、人が持つ全感覚・喜怒哀楽を素のまま表出しうる能力。
聴くと鳥肌が立つことがしばしば。
人の深い心に、あっという間に到達してしまう。
本当に不思議で稀有なる存在だと思います。

***

世の中では不穏な暗雲が垂れ込める中で、そこをひょいひょいと横切っていくネコというのは癒しですね。

三人たちは遊びたい盛りなのでしょうね。
好奇心旺盛ですね(微笑)。
仲良く無事に育って欲しいものです。
返信する
まるで秋のはじまり。 (さくりん)
2012-08-16 22:41:53
あんなに暑い日中でも、夕方には一面のうろこ雲でした。

最近見かける子猫は、どういう訳かのらくろさんのような白黒ぶちが多いです。
3兄弟のひとりもそうですが、職場近くの駐車場の子、駅前のお蕎麦屋さんの子。
お蕎麦屋さんは昨日までお休みでしたが、もう1軒のお店で、こはんちゃんのご飯に交ぜてもらっていました(^.^)
ママは最近、室外機周辺がお気に入りの寝床ですが、
ベランダに出入りする度に敷板をばらばらにして、まるで下手くそな泥棒(笑)
コチャコさんはお元気ですか。

 * * * * *

三島由紀夫は「禁色」「金閣寺」の2作以降、後にも先にも進めないでいます。
私は倉橋由美子が好きで、同じ頃に読んでいたので、頭が咀嚼しきれていないのでしょう(+_+)
それでも「Maggie」に重なるという「花ざかりの森」は魅力的ですね、読んでみたくなります。

玉音放送のお話がありましたが、録音された方がお亡くなりになったとか。
先日「回天」「トラ・トラ・トラ!」を観ました。
日本が制作に関わった映画であれば当然日本寄りのつくり・考えで、歴史的な正確性に欠けるのでしょうが、
周囲に戦争を語ってくれる人は居たものの、当時を考えるには私は知らないことがあまりにも多すぎるので、
これからも様々観聴きしていこうと思います。


幸宏さんの作品に多くは触れていませんが、
かたちんばさんがおっしゃることは分かる気がします。
私が知っている中でリンクするのは「朝色のため息」。
埋めようのない寂しさでも絶望的に思えないのは、『向こうに居るヒト』のかすかな温もりを感じるからでしょうか。


今夜は写真につられて、みょうがを買ってしまいました(笑)
返信する
此岸と彼岸を結ぶ糸 (かたちんば→さくりんさんへ)
2012-08-17 08:29:14
おはようございます。
昨夜はむんむんな蒸し風呂の中、扇風機と裸族で過ごしました。
こんなときに室内熱中症になるんでしょうね。

なかなか眠れず1:30に寝て5:00に起きてしまう。
二度寝とならないように、ラジオとお茶と一服。
早目に仕事場に向かう。
昨日もそうでしたが、まだ電車には夏休みの人と働く人が入り混じっている。
仕事場に行けども話すべき相手が休んでいて、何一つ進まない。
意味ない虚無感。

***

地球は明らかに狂っている。
雲自体おかしい。
さくりんさんの言う通り、秋天高いうろこ雲が8月以降よく見ます。

「おそば屋さんの子」(笑)という言い回しに、身近な世界への愛情を感じます。

ママさんは暑さは大丈夫ですか?
室外機は排熱があるので心配です。
ネコだから分の悪い場所には居ないと思いますが。。。

こないだのコチャコさんは、玄関の下駄箱下に入り込んでました。
ゆかがタイルでつべたいのが良いのでしょう。

***

倉橋さんはお名前は知っていますが、ろくに読んだことがありません。
三島は難解な部分が多いので、何度も挫折しました。
「花ざかりの森」はかなりな思い入れで繋ぎ合わせた作品なので、自分も何十回も挑戦しました。
全体の均衡は崩れていますが、冒頭の数十ページだけオススメします。

公園の光の下で反射して見えない人が、こちらに向かって走ってくる様。
遠く繋がった祖先との邂逅を思わせる幻の場面。

「朝色のため息」。
よく聴きました。

「イーゴ」は全曲好きですが「朝色…」の次の「シー・チェンジ」。
亡くなった生田さんに捧げるこの曲。
教授がピアノを弾いています。
幸宏の曲には、彼岸と此岸を繋ぐ距離感と祈りが込められたものが多数存在します。

「シー・チェンジ」は、うなるようなキーボードの音が、なかなか頭から離れないことがあります。
返信する

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