好きな音楽家が現れ、その音楽に惹かれたとき、わたしの過去は、大雑把に分けて、その後に二つの姿/行動があったように思う。
一つは、その曲に酔うと同時に、その曲が描き出す世界に溺れ、その世界により多い時間・滑り込もうとする。
これは、音楽と風景・映像・色が直結される傾向が強い自分には、特有なものかもしれない。
または、居心地の悪い地球の上での合法ドラッグとして白昼夢を見ていたのかもしれない。
もう一つは、その音楽家への憧れから、「その人そのものになりたい」という想い。
こちらは、みんなよく経験するものであろうし、それが次の世代の新しい創造への道を作る。
***
1982年5月頃「スタジオテクノポリス27」で初めて聴いたチャイナ・クライシス。
シングルカットされた「スクリーム・ダウン・アット・ミー」。
いまだ、テクノ道の名曲と勝手に思う自分。
チャイナ・クライシスの2人は、ブライアン・イーノ、スティーリー・ダンのファンだった。
彼らは1枚1枚シングルを出すごとに、鮮やかないろどりの多様な曲を出していく。
テクノでありながら、ポップであり、そしてやさしい風合いを感じた。
当時、彼らのLPやEPには「ポジティヴ・ポップ・ソング」「ポッシブル・ポップ・ソング」という記載があった。
LPアルバム単位であれば、1枚目「ディフィカルト・シェイプス&パッシヴ・リズムス」、2枚目「ワーキング・ウィズ・ファイア&スティール」までが、彼ら独自のテクノの解釈表現の明確な現れだった。
1985年、(自分が素浪人になり、完全な鬱世界をさまよっていたのもあるが)新たなるシングル「ブラック・マン・レイ」には、彼らの「テクノ時代の終わり=変容」が透けて見えた。
そして、3枚目アルバム「未完成」の発表・・・。
「チャイナ・クライシス」のロゴも新しいものに変わってしまったし、2枚目の「AVALON」的世界も風に消えた。
というのも、前段で語った「音楽に導かれる様」を、チャイナ・クライシス自身が望むことに拠って、ボクらが彼らの姿を見失う、というロジック。
3枚目「未完成」は、彼らの憧れスティーリー・ダンのウォルター・ベッカーをプロデューサーに迎えて制作したアルバム。
チャイナ・クライシスにはスティーリー・ダンが憧れであり・「その音」に近づこうとしても、
ボクらはチャイナ・クライシス独自の音に魅力を感じていたのだから。。。
彼らが向かおうとする場所とボクらが望む場所が異なることに、哀しみを覚えた。
***
そこから、長い長い時代のうねりを経て、自分自身の蒼白い過敏性も摩耗した。
根っ子は変わらずとも。
当時とは全く異国の地で何度とはなく聴いてきたアルバム「未完成」は、次第に現在に向かって。。。
なだらかに、そしてマイルドになっていった。
中高生が「耳が良い」ゆえに、直感的に良い音を聴き分ける能力がある反面、
その瞬時刹那に反応が無いものを、バッサリ切り捨て去るいさぎよさと排他性。
「キミは、単に歳を取っただけじゃないのか」そう言われて、否定する言葉を自分は持たない。
それは、キミの言う通りかもしれない。。。
いや、または、チャイナ・クライシスが「未完成」で、若さから背伸びをして・円熟さを手に入れようとしたさまと、
今の自分の体温がそろっただけなのかもしれない。
シングルカットされた12インチシングルまで、中古レコード屋さんを巡り・手に入れながら。
アルバム「未完成」で、自分にとって突出した曲は最後の「ブルー・シー」、そして「ビッガー・ザ・パンチ・アイム・フィーリング」。
よく聴けば、ここにはまだまだ、とんでもないチャイナ・クライシスの若き蒼さと、彼ら特有の優しさが充満している。
「蒼さ」とは、年齢とは無縁だと46歳の自分は思う。
■China Crisis 「Bigger the Punch I'm Feeling」'85■
一つは、その曲に酔うと同時に、その曲が描き出す世界に溺れ、その世界により多い時間・滑り込もうとする。
これは、音楽と風景・映像・色が直結される傾向が強い自分には、特有なものかもしれない。
または、居心地の悪い地球の上での合法ドラッグとして白昼夢を見ていたのかもしれない。
もう一つは、その音楽家への憧れから、「その人そのものになりたい」という想い。
こちらは、みんなよく経験するものであろうし、それが次の世代の新しい創造への道を作る。
***
1982年5月頃「スタジオテクノポリス27」で初めて聴いたチャイナ・クライシス。
シングルカットされた「スクリーム・ダウン・アット・ミー」。
いまだ、テクノ道の名曲と勝手に思う自分。
チャイナ・クライシスの2人は、ブライアン・イーノ、スティーリー・ダンのファンだった。
彼らは1枚1枚シングルを出すごとに、鮮やかないろどりの多様な曲を出していく。
テクノでありながら、ポップであり、そしてやさしい風合いを感じた。
当時、彼らのLPやEPには「ポジティヴ・ポップ・ソング」「ポッシブル・ポップ・ソング」という記載があった。
LPアルバム単位であれば、1枚目「ディフィカルト・シェイプス&パッシヴ・リズムス」、2枚目「ワーキング・ウィズ・ファイア&スティール」までが、彼ら独自のテクノの解釈表現の明確な現れだった。
1985年、(自分が素浪人になり、完全な鬱世界をさまよっていたのもあるが)新たなるシングル「ブラック・マン・レイ」には、彼らの「テクノ時代の終わり=変容」が透けて見えた。
そして、3枚目アルバム「未完成」の発表・・・。
「チャイナ・クライシス」のロゴも新しいものに変わってしまったし、2枚目の「AVALON」的世界も風に消えた。
というのも、前段で語った「音楽に導かれる様」を、チャイナ・クライシス自身が望むことに拠って、ボクらが彼らの姿を見失う、というロジック。
3枚目「未完成」は、彼らの憧れスティーリー・ダンのウォルター・ベッカーをプロデューサーに迎えて制作したアルバム。
チャイナ・クライシスにはスティーリー・ダンが憧れであり・「その音」に近づこうとしても、
ボクらはチャイナ・クライシス独自の音に魅力を感じていたのだから。。。
彼らが向かおうとする場所とボクらが望む場所が異なることに、哀しみを覚えた。
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そこから、長い長い時代のうねりを経て、自分自身の蒼白い過敏性も摩耗した。
根っ子は変わらずとも。
当時とは全く異国の地で何度とはなく聴いてきたアルバム「未完成」は、次第に現在に向かって。。。
なだらかに、そしてマイルドになっていった。
中高生が「耳が良い」ゆえに、直感的に良い音を聴き分ける能力がある反面、
その瞬時刹那に反応が無いものを、バッサリ切り捨て去るいさぎよさと排他性。
「キミは、単に歳を取っただけじゃないのか」そう言われて、否定する言葉を自分は持たない。
それは、キミの言う通りかもしれない。。。
いや、または、チャイナ・クライシスが「未完成」で、若さから背伸びをして・円熟さを手に入れようとしたさまと、
今の自分の体温がそろっただけなのかもしれない。
シングルカットされた12インチシングルまで、中古レコード屋さんを巡り・手に入れながら。
アルバム「未完成」で、自分にとって突出した曲は最後の「ブルー・シー」、そして「ビッガー・ザ・パンチ・アイム・フィーリング」。
よく聴けば、ここにはまだまだ、とんでもないチャイナ・クライシスの若き蒼さと、彼ら特有の優しさが充満している。
「蒼さ」とは、年齢とは無縁だと46歳の自分は思う。
■China Crisis 「Bigger the Punch I'm Feeling」'85■