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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

神村恵『斜めむき』

2007年11月23日 | Weblog
11/22
国士舘大学で3コマ講義した後、青山へ。日韓ダンスコンタクトVol. 9(第21回韓日ダンスフェスティバル)プログラムにて、神村の新作を見る。すべての時間が素晴らしく、恐ろしく、すっとぼけてて、ふざけている。ほんとに、いまの作家だなーと思う。音楽だったらHOSEとかと横並びに、美術だったらなんだろう鬼頭くんとか(かな)と横並びに出来る、とてもリアルなダンス。バタっと倒れ、マグロみたいにごろごろしたり、続けてうつぶせで足と首をばたばたさせたりしていたあの時間は「ありえない」って。ほぼはじまった時からずっと、震えていたんだよね。あれ、何だったんだろう。ずーっと何かが内側で起こっている。それが何なのかが分からない、分からないので見てしまう、どんどんほっとけなくて、見てしまう。フラットな照明、ジーンズにくたっとしたTシャツ、裸足、古いラジカセ、会議室にあるテーブルの二段重ね、これでいいし、これがいいんだよ。来年の2月に、横浜での公演が企画されているようなので、ダンスまだ見たことない方は、是非この機会に神村の公演を見てみてください、必見ですよー。

あと、3組が出演。ユン・ソッテ『Turning Point』、大竹千春「Activate」、キム・ヨンミ「ノイバラ」。ユンとキムの作品は、韓国ではどのような位置づけにあるものなのだろう。ぼくには計り知れないローカルな評価軸が何かあるような気がして、それが何なのかが気になった。普通に考えれば、大学生の卒制みたいなレヴェル、と思ってしまう。大竹は、いわゆる現舞系(現代舞踊協会系、なんだっけ「モダン=コンテンポラリー」とかって言うの?)の作家、らしい。お茶の水女子大卒で、片岡康子のカンパニーにいて、二見一幸のカンパニーに所属している、ということはこの辺りのことほとんど知らないぼくだって、だいたいどういうポジションのひとか分かる。彼女の作品にも、強烈なローカルルールの存在を感じる。それがその内部でしっかり機能しているのならば、それはそれでいいと思う。演歌は聴かないが、演歌の内部で氷川きよしが優れているならば、それについてそれはそれでいいと思う、みたいな(?)。ちょっと違うかな、氷川くんはそれはそれこの時代の何かを体現してはいるわけで。ただー、大竹さん。なんと言えばいいか、ぼくにはそのルールによって展開されることがらのすべてがある時代の価値観というかセンスにすぎず、いまそれを上演することにどんな意義があるのだろうと思わざるを得ないのだが、ある内部ではそれこそがダンスなのであれば(そう言う意味で今のダンスのある部分を体現しているのであれば)、本当にそうその内部の皆が感じているのであればそれでいいのかも知れない。ちょっと考えてひやっとするのは、実は内部の誰もその価値を信じていないにもかかわらず続いてしまっているのかも、という可能性(だとしたら、それを延命させている力学は何か?)。


久しぶりに、表参道のタイ料理店、チャオ・バンブーへ(水餃子がとてもとてーも美味しい)。さらにその近くのスタバでコーヒーとチャイ・ティー・ラテでデザートをちゃちゃっと食べ(入店して十分で閉店時間になってしまった)。なんだか久しぶりに、Aと二人で遊んだ。

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