Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

「広田さくら」って何者??

2005年12月17日 | Weblog
いま論文三本同時並行で執筆中、「執筆」というか「執打」。いつまでもやるべきことばかりの師走だなー。

そんで、観客論のことがでも今いちばん気がかりで、とかいいつつも、 inputもしたいということで、『共視論』(北山修編、講談社選書メチエ)を和光大で借り、アマゾンからとどいた『プロレスファンという装置』(小田亮/亀井好恵編、青弓社)を手にする。『共視論』は視線を論じる論集で、特にポイントになるのは、だっこした子供と母が同じ方を見る「共視」。他者の視線を自分の視線として生きることが認識のはじまりの段階としてある(とされている)ことは、知っていたけれど、絵画的表象を通してこれでもかと議論されていて、ちょっと圧倒される。本書で展開される「視線」の問題をダンサーの目の扱い方を考えるのに応用出来ないものか、と思ってみたり。「共視」ではないが、「自己視線恐怖」という概念に興味をもった。自分の視線が相手を傷つけていると思ってその視線に恐怖する病。加害者の恐怖、病。

『プロレスファンという装置』は、小野原教子「〈仮縫い〉のようなプロレス」が読み応えあった。ぼくは知らなかった、広田さくらって誰?小野原の説明を読むとなんかすごい面白いレスラーだ。コスプレをするレスラーで、自分の衣裳を自分で作るから「仮縫い」のようということらしい。いや、でもそれだけじゃなく、対戦相手のコスプレをしちゃったりするというのだ。パロディを本人の前でするって、、、本人曰く、

「自分の個性は個性としてこのまま続けて、気付いたら強くなってたっていうのが理想です…今までになかったような何かになりたい。分類できないもの、得たいの知れないものになりたいんですよ。不思議な物体Xになりたい」

スゴイ。パフォーマンスみたいと思ったら、女子プロレスはいま大変な状態になっているんですね、ガイアやら全日本女子やら大きな団体がのきなみ解散してしまい、広田もいまは引退して女優(?)に転身してしまった、らしい。残念。ビデオ市販されてないのかな、、、なさそうだ。ビデオ貸して下さる方おりましたら、ご連絡下さい(さすがに、そんな「通人」はおりませんかね)。

他にも驚いてしまう話は幾らでも出て来る。例えば、広田のオリジナル技というのがあるらしく、その名は「ときめきメモリアル」、なんと相手のレスラーにキスをするという戦法らしい。デタラメだ。ふざけている。いや、それこそがプロレスだ、というべきなのか。

写真は、最近やってくるおしかけコネコ。かわいさを振りまいてえさをねだるが、目は据わっている。名前はまだない。

最新の画像もっと見る