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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

狩生建志+小川てつオ+大谷能生、(音がバンド名)

2006年05月22日 | Weblog
の二組を見た聴いた。(一度書いたら、訳分からず消えてしまい、再度書いてみた関係上、ノリが悪い文です、はい。なんかもうちょっとうまく書けてたのだった、のに残念)

前者は、まず、キャップにキツネみたいなぬいぐるみの端切れを二つつけた長靴姿の小川が、サンプラー、ポータブル・レコードプレイヤー、音の出る洗面所のおままごとおもちゃなどにまじって、何かが入ったゴミ袋や段ボールなどをこすったり、揺らしたりして音を出す、そこに狩生がドラムマシーンをいじって応戦、といった感じ。低い椅子に機材などを置いて、見えるような見えないような感じでプレイし続ける小川は、小動物(リス)みたいなたたずまいで、冒頭いきなりツメを切る(?)など、不可解で意味不明な所作を、連続的に脈絡なしに連ねていく。対して狩生は、アフタートークで話していたように、小川にどう対抗すればよいのかとっかかりを見出すことが出来ぬまま、あたふたと現状をマイク越しに実況したり、キーボードをたたいてみている。という感じとかが意外によかったりする。瞬間瞬間に起きることに忠実であろうとするプレイは、うまくいかず巻きこまれている状態が呈示できているときこそ面白かったりする、ようだ。それをどう、わざとらしくなく設えることが出来るか。大谷が後半、管楽器で参戦する、ノイジーだが十分に「音楽的」なその音は、危うくこの音空間をわざとらしくしそうになる。猛烈に没頭する小川みたいな人というか状態がないとこの手のものは見ているものにとっても困る。というか、こまったなーと置いて行かれないと、コトははじまらない、のだ。

次は、(音はバンド名)。二人組。外見上で整理すれば、「学校ではぼーっとしている中学生が放課後盛り上がっている子供部屋をのぞき込んでしまった」感じ。ところどころで突発する、きゃしゃなひょろっとした体が内向きにけいれんしながらシャウトするときの腕の線がやけにユニークなのだった(アフタートークで判明したように、それはかなり自覚的にやっているもののようで、というかなにやら自尊心=ヒップ・ホップの傾向(?)に感染しているかのようなところがあって、「こう、動いた腕の線がそのまま伝記となって残る」ことが未来に起きることを疑っていないとのこと、ん?)。基本は最初期のファミコンをいじりながら実況をしたり、戦闘機の機能を解説したり、「ロックマンの新しいキャラクター」を思いつく、、、などをつぎつぎと進めていく。こっちはほとんどみない。けれども、漫才風のかけあいでのおしゃべりや、最初の方でテープ逆回しで何を言っているのかのクイズを客に応えさせたりするところなど案外こっちにコンタクトをするところもある。でも、それも届く1メートル手前くらいでワンバウンドして消えていってしまう、のだった。不思議な距離感。でも、確信犯的だ。こうしたカオティックな身体の揺れ、ふらふらした音をフォローする概念は(恐らく)音楽系もダンス系ももっていない。けど、これ、相当面白い、ぞ。

最後に、代々木公園(代々木上原駅でも代々木公園駅でもないですよ、公園そのもの)で暮らしているという小川さんが、ゴミってユニーク、ゴミに近づきたいとアフタートークで言っていたのが実に印象的だった。サウンドスケープに興味ある人は、結局すべてを価値あるオブジェとしてみる、聴くと言うよりは、すべてを等価なゴミとしてみる聴くべき、というメッセージと受け止める。キノコ学会まで作ってしまうケージが音楽は「マッシュルーム」というのとは異なり、小川が音楽は「ゴミ」と言うことでケージの持っていたアカデミズムへの色目が批判された、という気になった。そうそう、そう考えながら、アカデミズムからどう逃れるかがいま、表現に求められている、と痛感したのだった。(音がバンド名)が演奏中しきりに「コンセプチュアルでアヴァンギャルドなぼくたち~」としゃべる、のは、マジのようでも自嘲のようでも、アイロニーのようでもある。方法に対する意識以上に方法に対する必要な距離をとることに十分に意識的であること、それをこの二組に共通に感じた。

その後、十一時過ぎ、いまや相当お気に入りになってしまったつけ麺屋(やすべえ)に行き、そのまま恵比寿のヌフ・カフェへ。秘密の相談をしに行ったつもりが超疲労状態の店長とのおしゃべりは全くなく、代わりにお知り合いになったDJの選曲にうなる時を過ごす。すごいセンスがいいのだけれど、ときどききちっと流れの中で、佐野元春の「バルセロナの夜」とかがかかったりする。同年代感ありまくりで、お酒の棚を見ると「フラニーとゾーイ」の原書が飾ってあったりするから参る。

ああでも、ここで、昨日の晩にFatboy Slimを見たことも、さっき(音がバンド名)を見ってことも言えないなー。いや、大谷さんに、Fatboy Slim見たとも、これから行くところでは時々佐野元春のジャジーなのとかかかって楽しみとかっていうのも言えないしなー。などと思うと、小川てつオに負けないくらいぼくも無理矢理な横断を重ねているなーと思ったりしたのだった。帰りは、宿が見つからず、渋谷に戻り少年少女に混じって漫喫で朝を迎えた。で、昼は吉祥寺で大駱駝艦「魂戯れ」ってなんなんだ、オレ。

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