Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

広島→京都旅行(with KAT)

2010年09月18日 | Weblog
9/12-14、広島と京都に旅行してきました。(その前日には、蓮沼執太イベント「音楽からとんでみる2」を六本木に見に行っていた。いまは実家の新潟で暮らしている昔の教え子に遭遇。ぼくのブログで蓮沼君を知ってわざわざ見に来たのだとか。とってもすばらしいイベントだったので、よかった。そっかー、ブログ見て新潟から来るひともいるんだよなーと、最近更新頻度が落ちていることを反省。そうそう、素晴らしいイベントでした。けど、翌日五時起きで新幹線乗らなきゃ行けなかったので、その点辛かったです。)

広島は、広島市現代美術館の特別展「もっと動きを:振り付け師としてのアーティスト」を見るのがメインの目的だったのですが、んー、ちょっと残念な気持ちになりました。橋本聡は、とても注目しているのだけれど、装置だけ置いてあって、観客にやってみてとインストラクションを与えるといった作品ばかりで、正直「やってみたけれど、なにか?」と思わせられた。橋本本人がいて、へんなこと延々やっているというのは一度遭遇して面白かったし、そういう方向では大いに期待しているのですが、こうした作品群は、オノ・ヨーコ的アイディアのシンプルな変奏としか思えなかったです。今村悟にも心惹かれなかったなー。正直、企画意図があまりよく分からなかったんですよね。なぜ「振り付け師」として「アーティスト」を見るのか、そう見ることでなにがどうなるのか、現代美術史にそういうポイントがあることは、多くのひとにとってはもう了解済みのことだと思うので、さて、それをどう考えるか、ということにちゃんと応えて欲しかったです。やっばり、小林耕平や泉太郎(田中功起、田口行弘、Chim↑Pom etc)という作家をフォローせずして、このテーマを扱うのはとても難しいのではと思いました。

それよりも、「メモリー/メモリアル 65年目の夏に」の展示に一層の違和感をもちました。メモリーをメモリアルにすることには、つねにどこかしら思い上がりというか、やってはいけないことが含まれてしまう。「メモリー」(広島におちた原爆の記憶)は、当事者によるのでなければ、それを扱おうとしたときにどうしたって社会に媒介されてしまったり、すでにあるイメージやイデオロギーに媒介されてしまうものだ。この危うさ、恐ろしさを意識することの難しさ。まあ、簡単に言えば、なぜChim↑PomはNGでここに展示されている作品はOKなのかがぼくにはよく分からないのです。それに加えて、ここに展示されているどの作品よりも、Chim↑Pomの作品の方が優れていると思わずにはいられないのです。そのあたりのことの始末がついていないのに、平然とこうした展示が展開されている、そのことに薄ら寒い気持ちにさせられました。

そして、その足で、平和記念資料館を見に行きました。この展示を「美術」という視点から見るならば、どの広島(原爆を扱った)美術もこの展示にはかなわない、そう思いました。「美術」という視点を外して、ではありません、「美術」という視点から見て、かなわないと思ったのです。多分、「広島美術」の作り手は、自分の作品がこの展示に並べて評定されると考えてはいないと思います。思っていたら、内容(取り組み方)が変わる気がするからです。まず、おそらく、絶対駄目だ、勝てない、と思うはずです。その上で、自分はどうそれでも拮抗するなにかを生むかと考えるはずです。そう、「メモリー/メモリアル」の作品にはここと「拮抗する」ものにするという発想はきっとない、と思いました。平和記念資料館の展示は、「美術」の視点から見れば、プロセスアートの展示です。ぼくは即座にロバート・スミッソンを思い出しました。テクノロジーを利用したロマンティシズムを現実の空間に展開してみようとしたのがスミッソン的アートであるならば、そのひとつのエクストリームとして、原爆投下とその結果としての資料館の展示を見ることが出来る。もちろん、この資料館は、悲惨な原爆投下の現実を忘れないようにし死者を弔い平和を祈念する場所です。それはもちろん、そうです。けれども、資料館は、その思いへ見る者を導くのに、見る前に予想していたように、過度に感情を煽るようなことをしていませんでした(少なくとも、ぼくはそう思いました)。むしろそこで起きたことを追体験させ、そこで起きた事実へと見る者を向き合わせることに重心が置かれていると思いました。実験芸術が、「もし~したら」→「こうなる」という指令と応答(結果)のセットからなるものだとすれば、そのエクストリームがこれなのではないか。これ以上の実験はありえない、してはならない、けれども、過去に現実としてこういう結果として行ってしまった。そこに向き合うこと。その点で、もちろん高熱で歪んだ瓦や、燃えた衣服や眼鏡なども印象的だったのですが、もっと考えてみたいのは、生き残った方たちの手による絵でした。決して優れた絵画ではないかもしれないけれど、そこでなにが起きていたのかを伝えるのに十分説得力のある絵。ここに、絵のポテンシャルを見ることは無意味なのでしょうか。絵になにができるのか、そうしたことを考えるのにふさわしい対象としてこうした絵を見つめることはありなのではないか。そんなことを思いました。

その後、ひろしま美術館に行きました。夕食には、ひろしまつけ麺を食べてみました。昼は、麗ちゃんでお好み焼き。小麦粉がもちもちしていて、これが本場かと。

翌日は、京都へ。携帯でやりとりして竜安寺の枯山水の前で寝そべっているKATメンバーと合流。はじめてのKATでの旅行。超まったりペースで京都を満喫。祇園 小森で一時間以上だべる。銀閣寺近いけど明日に回して、夕暮れの時間は鴨川土手でさらにまったりを選択。近くの居酒屋で三時間くらいまただべる。

3日目は、単独行動させてもらって、午前中は、京都国際マンガミュージアムで、フィギュアの特別展を見て、さらに京都国立近代美術館にて、「「日本画」の前衛」展を見る。そこから南禅寺に行って、狩野派のふすま絵で踊る虎たちを堪能。無茶かわいいのだ。石庭でしばらくぼーっとしていたのだけれど、あれはやはりいいですね。ぼーっとするのには、何も考えるのではなく無意味に脳を働かせることが大事なようで、無意味に働くために、巨石とか松とかあるんですね。巨石が3つ並んでいるのは、虎の親子なんですと、境内に響く自動アナウンスが教えてくれたときには爆笑してしまいました。だって、ただの石にしかみえない。それを虎に思うこの無意味なイメージの遊びに耽溺しているときこそ、無心なのか、と思ったり。そして、この時点で2時くらいだったのですが、バスで駅の方に向かって、新福菜館へ。何年ぶりだろう、あの黒い焼きめしが忘れられなくて忘れられなくて(でも、せっかく京都に来たのに焼きめし食べるのもなーというのがあったりして)、ようやく食べることができました。やっぱり、美味い。とても美味い。ラーメンも美味い。見ていると、ほとんどのお客がチャーハンとラーメンを注文。1200円くらいになるのに、みんなそうやって注文している。そのあたりが、この店の人気を物語っている気がした。

最新の画像もっと見る