Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ロダンのピグマリオニズムと逆ピグマリオニズム

2006年05月07日 | Weblog
ジョン・バージャー『見るということ』には、ロダンの旺盛な性欲について指摘したところがある(「ロダンと性的支配」)。巻き込まれたのが、イサドラ・ダンカン(モダンダンス黎明期の最重要ダンサー)なところがちょっと面白いのだが、最終的には拒んでしまったことを彼女は後悔しながら、ある時期のロダンとの接触をこう述懐している。

「ロダンは髪を短く刈りあご髭をたくわえた、小柄でいかついエネルギッシュな人物だった……。時折彼は彫刻の名前をブツブツ唱えていたけれど、聞いている人はその名前が彼にとって何の意味もないことを察していた。彼は腕を伸ばし彫刻を愛撫した。彼の手の下の大理石が溶けた鉛のように流れ出すのではないかと思ったのを私は憶えている。最後に彼は粘土を少し取り、両手の掌で強く捏ねた。いつものように彼の息づかいが荒くなった……。しばらくして彼は女の胸を形作った……。思わず私は新しい舞踊についての私の理論を説明するのをやめたが、彼がまるで聞いていなかったこともすぐに気づいていた。彼は燃える目をして瞼を伏せ、作品を前にして見せるのと同じ表情を浮かべて、私を凝視し、近づいてきた。私のお尻や裸足の脚に手を這わせ、私の身体が粘土ででもできているかのように、全身を捏ね始めた。彼が発する熱は私を燃え立たせ、蕩けさせた。私のすべてを彼に与えること、それが私の望みのすべてだった」(ダンカン『我が人生』より)

女を愛するように彫刻を愛し、彫刻を捏ねるように女を捏ねる。ほとんどギャグみたいなエピソードだけれど、これがおかしいと吹いてしまうのは、嘘っぽいからじゃなくむしろ彫刻に関するある真実が含まれているからだろう。ところで、粘土化されちゃっている自分をむしろダンカンがここで受け入れていたら、抱えている新しいダンスの理論なんて放って、彼女はまったく新しい次元のダンスを発見していたのかも知れない。

今後、ロダンの彫刻を見たら「もえー」の声がぼくの耳にこだましてくるかも。

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