月刊「囲碁」2月号は、本日12月28日発売。
今月号は第2別冊付録付。
また「将棋世界」も前倒しで本日発売。
先ちゃんと、プロボクシング世界チャンピオン内藤大助のツーショットの表紙が目を引く。
本文にも先ちゃんと内藤プロの対談があるが、それ以上に今月号で注目すべき記事は「追悼 真部一男」。
本ブログで取り上げるタイミングを逸してしまったのだが、先月24日、将棋の真部一男プロが亡くなったのだ。
真部一男プロは将来を嘱望される美貌の棋士として、棋界の期待を背負ったプロだった。
ドラマ「銭形平次」に、天野宗歩(江戸時代の棋聖)役で出演したことも。
ただ機に恵まれず、主だったるタイトルは「早指し選手権」優勝のみ。
悲運の棋士と言えようか。
追贈九段。
熱烈な囲碁ファンなのが、本ブログ読者にも関係あるところ。
数年前上村邦夫プロが亡くなった際に、真部プロが「将棋世界」に連載していた「将棋論考」で、上村プロを悼む一文を載せたことは、本ブログでも紹介した。
そういえば真部プロと上村プロは、棋士として非常に似た生涯を、歩まれたお二人だったようにも思う。
「囲碁に熱心」と書いたが、どのくらいの熱心さだったかといえば、こんなエピソードを「将棋論考」に書いておられた。
一時期本職の将棋以上に、熱心に囲碁に取り組んだ真部プロはかなり腕を挙げた。
そこで当時稽古して貰っていた秀行先生に、お酒の入った席だったか、勢いでこんな言葉を言ったのである。
「私も囲碁棋士になれないだろうか?」
戯れに発した冗談のつもりだったが、その台詞を聞いた秀行先生は黙って立ち上がり、電話に。
そして受話器に向かって何やら話し、戻ってきて一言、
「30歳以上は、プロになれないそうだ」
「私は恐縮するとともに、ホッとした」
「ただ『プロの名簿の端にでも、名前を載せて貰えたらなぁ』という気持ちだったのだ」
と真部プロは述懐。
この心境は腕に覚えのある囲碁好きなら、うなずけるエピソードではないだろうか?
近年は本職の将棋では目立った活躍はなかったものの、「将棋論考」から升田幸三に関する記述をまとめた、「升田幸三の世界」で将棋ペンクラブ大賞。
私も大好きな将棋評論家であっただけに、寂しい限りである。
今月号は第2別冊付録付。
また「将棋世界」も前倒しで本日発売。
先ちゃんと、プロボクシング世界チャンピオン内藤大助のツーショットの表紙が目を引く。
本文にも先ちゃんと内藤プロの対談があるが、それ以上に今月号で注目すべき記事は「追悼 真部一男」。
本ブログで取り上げるタイミングを逸してしまったのだが、先月24日、将棋の真部一男プロが亡くなったのだ。
真部一男プロは将来を嘱望される美貌の棋士として、棋界の期待を背負ったプロだった。
ドラマ「銭形平次」に、天野宗歩(江戸時代の棋聖)役で出演したことも。
ただ機に恵まれず、主だったるタイトルは「早指し選手権」優勝のみ。
悲運の棋士と言えようか。
追贈九段。
熱烈な囲碁ファンなのが、本ブログ読者にも関係あるところ。
数年前上村邦夫プロが亡くなった際に、真部プロが「将棋世界」に連載していた「将棋論考」で、上村プロを悼む一文を載せたことは、本ブログでも紹介した。
そういえば真部プロと上村プロは、棋士として非常に似た生涯を、歩まれたお二人だったようにも思う。
「囲碁に熱心」と書いたが、どのくらいの熱心さだったかといえば、こんなエピソードを「将棋論考」に書いておられた。
一時期本職の将棋以上に、熱心に囲碁に取り組んだ真部プロはかなり腕を挙げた。
そこで当時稽古して貰っていた秀行先生に、お酒の入った席だったか、勢いでこんな言葉を言ったのである。
「私も囲碁棋士になれないだろうか?」
戯れに発した冗談のつもりだったが、その台詞を聞いた秀行先生は黙って立ち上がり、電話に。
そして受話器に向かって何やら話し、戻ってきて一言、
「30歳以上は、プロになれないそうだ」
「私は恐縮するとともに、ホッとした」
「ただ『プロの名簿の端にでも、名前を載せて貰えたらなぁ』という気持ちだったのだ」
と真部プロは述懐。
この心境は腕に覚えのある囲碁好きなら、うなずけるエピソードではないだろうか?
近年は本職の将棋では目立った活躍はなかったものの、「将棋論考」から升田幸三に関する記述をまとめた、「升田幸三の世界」で将棋ペンクラブ大賞。
私も大好きな将棋評論家であっただけに、寂しい限りである。