記事のタイトルに「(棋書評)」がついているものは、基本的に一通り念入りに読んだ本。
「だから評には責任を持っている」
ということは、以前書いたはず。
そういった本を増やすため最近、数年前、囲碁を始めて間もない頃に並べた棋譜を再度並べる機会があった。
ストックされた本はボチボチ紹介していく予定。
当時はどうも理解不能で、ただ数字を追うだけで苦痛だった部分もあったが、今並べ替えすと
…やっぱり未だ苦痛なところも(笑)。
主にヨセの部分だけれど、棋譜との相性もあるだろうか?
高川先生の碁は、そういうことはないのだけれどなぁ。
しかし当時は全然わからなかったことが、
「ああ、こういう意味だったのだ」
とわかる部分も増え、多少なりとも上達している実感が湧いて楽しくもある。
昔並べた棋譜を、時を経て並べることは理解が深まるだけでなく、囲碁への新たなモチベーションに良い刺激になることを再確認した。
「だから評には責任を持っている」
ということは、以前書いたはず。
そういった本を増やすため最近、数年前、囲碁を始めて間もない頃に並べた棋譜を再度並べる機会があった。
ストックされた本はボチボチ紹介していく予定。
当時はどうも理解不能で、ただ数字を追うだけで苦痛だった部分もあったが、今並べ替えすと
…やっぱり未だ苦痛なところも(笑)。
主にヨセの部分だけれど、棋譜との相性もあるだろうか?
高川先生の碁は、そういうことはないのだけれどなぁ。
しかし当時は全然わからなかったことが、
「ああ、こういう意味だったのだ」
とわかる部分も増え、多少なりとも上達している実感が湧いて楽しくもある。
昔並べた棋譜を、時を経て並べることは理解が深まるだけでなく、囲碁への新たなモチベーションに良い刺激になることを再確認した。