「詰碁の神様1・2」(前田陳爾:平凡社)が、滅法面白い。
といっても編集、解説は平凡。
1ページに1題ないし2題。
その裏に2図ないし4図で、正解と失敗例が解説されている。
だから詰碁「嫌い」が「好き」になる効果は、さほど期待できない。
面白いのは創作された問題そのもの。
詰碁、詰将棋でこういう感想を抱いたことは、未だなかった。
私にとっては驚きである。
小洒落た感じというのか、小気味良いアイロニーに満ちているというか、何というか。
小振りな隅の問題がほとんど。
だから着点は比較的限られていて、難度は決して高くはない。
なのに、
「アッ」
と驚くような盲点が上手ぁく散りばめられていて、解後感が抜群に良いのだ。
筋良い人ほど前田プロが意図する失敗に陥りがちで、前田プロの
「筋がよろしいですね。
でも残念ながら…」
とでも呟いて、ニヤリとされるのが目に浮かぶよう。
釣られて騙された(?)読者まで、クスリとくる。
それがまた楽しい。
といっても筋悪ばかりが正解なのではなく、筋が巧妙な引っかけだったり、筋が正解の第一歩でも、もう一工夫が必要とされる問題が多いという訳。
その難度と意外性のバランスが絶妙。
「筋は大事。
でも閃きと、それを裏付ける読みはもっと大事」
ということを改めて教えてくれる。
だからせめて「ポケット詰碁200」ぐらいは、全問正解出来るぐらいの「慣れ」があると、よりグッと楽しめるはず。
昔からよく詰碁をミステリに例えるらしいが、ミステリでも短編。
チェスタトンの「ブラウン神父」あたりに、同じオーラを感じるかな?
本書は詰碁以外にも、「置碁検討録」「会心の打碁」「随筆選」などが、併せて掲載されている。
hidewさんからは「雑誌的編集」と忌避されそうだが、私は「会心の打碁」は歓迎。
詰碁集というより、前田著作集という意味合いが強いのだろう。
もっとも肝心の詰碁も1巻には100題、2巻には110題と十分。
尚、「随筆選」の一部と表紙については、出雲屋さんも書評しているので参照のこと。
といっても編集、解説は平凡。
1ページに1題ないし2題。
その裏に2図ないし4図で、正解と失敗例が解説されている。
だから詰碁「嫌い」が「好き」になる効果は、さほど期待できない。
面白いのは創作された問題そのもの。
詰碁、詰将棋でこういう感想を抱いたことは、未だなかった。
私にとっては驚きである。
小洒落た感じというのか、小気味良いアイロニーに満ちているというか、何というか。
小振りな隅の問題がほとんど。
だから着点は比較的限られていて、難度は決して高くはない。
なのに、
「アッ」
と驚くような盲点が上手ぁく散りばめられていて、解後感が抜群に良いのだ。
筋良い人ほど前田プロが意図する失敗に陥りがちで、前田プロの
「筋がよろしいですね。
でも残念ながら…」
とでも呟いて、ニヤリとされるのが目に浮かぶよう。
釣られて騙された(?)読者まで、クスリとくる。
それがまた楽しい。
といっても筋悪ばかりが正解なのではなく、筋が巧妙な引っかけだったり、筋が正解の第一歩でも、もう一工夫が必要とされる問題が多いという訳。
その難度と意外性のバランスが絶妙。
「筋は大事。
でも閃きと、それを裏付ける読みはもっと大事」
ということを改めて教えてくれる。
だからせめて「ポケット詰碁200」ぐらいは、全問正解出来るぐらいの「慣れ」があると、よりグッと楽しめるはず。
昔からよく詰碁をミステリに例えるらしいが、ミステリでも短編。
チェスタトンの「ブラウン神父」あたりに、同じオーラを感じるかな?
本書は詰碁以外にも、「置碁検討録」「会心の打碁」「随筆選」などが、併せて掲載されている。
hidewさんからは「雑誌的編集」と忌避されそうだが、私は「会心の打碁」は歓迎。
詰碁集というより、前田著作集という意味合いが強いのだろう。
もっとも肝心の詰碁も1巻には100題、2巻には110題と十分。
尚、「随筆選」の一部と表紙については、出雲屋さんも書評しているので参照のこと。