4月28日は東日本大震災から四十九日。
十輪院で満中陰法要が行われるというのででかけてきました。
GW直前の平日ということもあって参列者は少なめでしたが、
それでも60名ほどの参加があったそうです。
午後二時から法要開始。
僧侶による読経と、参列者による焼香、
そして地震が起こった2時46分にあわせ、
半鐘を鳴らして参列者一同で黙祷をささげました。
法要の最後にはスリランカの僧侶の方による、
現地の言葉でのお経が心地よくて、不思議な気持ちになりました。
漢語に訳されたお経ばかり聞いているので、大陸にあるときの、
仏教発祥の地に近いところでのお経を聞くという体験もしました。
最後は橋本住職からの挨拶。
「お互い助け合って力強く生きることが、亡き人に対する最大の供養です」
法要終了後は本尊の地蔵菩薩さまにおまいりをしました。
以前拝んだ時にも感動しましたが、今回はご本尊の前に置かれた箱に注目。
これは、被災地に入られた方が、その土地の土を持ち帰り、
それを亡くなったかたがたのお舎利としてご本尊さまの前に安置してありました。
箱に収められた被災地の土。
みなさま、彼の地に到達されましたでしょうか。
法要終了後は隣りの建物で「お茶でも」といわれ、
マジに受け取ってお茶をいただいてきました。
(その前に、五劫思惟阿弥陀さまにもちゃっかり再会)
普通ここには立ち入れないところなので、
室内でもアレコレきょろきょろしてしまいました。
お茶をいただきながら、今回現地へ入られた方や
坊様のお話しを聞き、午後4時には終了。
帰る段階になって「あ!今日、拝観料って納めてない…」
そうなのです。今回の法要にあたっては拝観料などなく、
誰でも本堂に上がれるようになっていました。
慌てて帰り際に本堂前の賽銭箱へ寸志を納めてきました。
その後、元興寺へ。
ここもまた、GW直前の平日だからか、ガラガラ。
というか、いつの間にか本堂はわたしの貸切状態になっていました。
外はぱらりと雨も降っていたし。静か。
ぐるっと一周したあとは、収蔵庫へ。
元興寺極楽坊縁起絵巻を堪能。
極楽坊の由緒縁起と霊験を記した絵巻で、上下二巻。
元興寺にはその昔、智光さんと頼光(礼光)さんがあったとさ。
智光さんといえば彼が感得したという、極楽を現した「智光曼荼羅」が有名。
その智光さんと礼光さんの二人の僧が、縁起絵巻では
実にいい味出しているのであった。
この二人はかの行基菩薩と同時代の人。
行基は不良僧(お上お抱えの坊さんじゃなかったから)だったけど、
行基の持つ能力を高くかった聖武天皇に取り立てられ大僧正になりましたとさ。
(別に行基はそんな「身分」はどーでもよかったと思うけど)
しかし、その「身分」と待遇を羨んだのが智光サン。
「自分の方が行基より優れているのに、キィイイイイイー!」
彼は悶々としたままポックリ逝ってしまった(!)
死んじゃったわりには十日したら行きかえったというのだからミステリー。
この十日間に何があったのかというと。
地獄にもちろんのごとく落ちて、
「何で行基菩薩を嫉妬したんだ?」と鬼たちに攻められ、
「お前には焼けた火の柱を抱かせてやろう」といわれる。
嗚呼!俺はなんということをしてしまったんだろうとそこで後悔。
そこで、「目が覚めて」まさに地獄から戻ってきたらしい。
地獄から戻った智光さんは行基のもとへ出向き、
「嫉妬してスミマセンデシタ!!!!」と平謝り。
(行基はそんなことどうでもいいんだろうけど。
ちなみに行基は文殊菩薩の生まれ変わりなんだとか)
で。
そこからハナシは変わり、智光さんの同僚、礼光さん。
修行の晩年になって、他人と語ることもなくなり、
寝てばかりいて修行もせず、やがて入寂。
そんなある日、智光さんの夢枕に礼光が現れ、
「今極楽にいるでー」と自慢(いや違うと思うけど)。
「ええ!いいなー。どうしたら極楽にいけるの?」
とまたしても羨ましくてたまらない智光さん(笑)
礼光さんに導かれてその前に進み出た仏さんの前で
「わたしもイ・キ・タ・イ!」と駄々をこねると、
阿弥陀さんの手の平から小浄土が出現。
おお、まさに信じるものは救われる。
そして智光さんは極楽浄土に確かに来た証拠としてお舎利をもらう。
「極楽は確かにあるんだよということを娑婆に伝えよ」
ということなので、智光さんは夢から覚めて例の曼荼羅を作りました。
それがあの「智光曼荼羅」というわけ。
おお、智光さんって生臭い坊さんだったのだなって、なんだか親近感。
完璧な、すばらしい、坊さんよりも、
こういう人でも「信じれば救われる」ってのがいい感じでしょ。
礼光さんについても「信じて信じて、後は寝て待て」みたいなのも良し。
気がつくと5時。
いい感じで一日終わりました。
十輪院で満中陰法要が行われるというのででかけてきました。
GW直前の平日ということもあって参列者は少なめでしたが、
それでも60名ほどの参加があったそうです。
午後二時から法要開始。
僧侶による読経と、参列者による焼香、
そして地震が起こった2時46分にあわせ、
半鐘を鳴らして参列者一同で黙祷をささげました。
法要の最後にはスリランカの僧侶の方による、
現地の言葉でのお経が心地よくて、不思議な気持ちになりました。
漢語に訳されたお経ばかり聞いているので、大陸にあるときの、
仏教発祥の地に近いところでのお経を聞くという体験もしました。
最後は橋本住職からの挨拶。
「お互い助け合って力強く生きることが、亡き人に対する最大の供養です」
法要終了後は本尊の地蔵菩薩さまにおまいりをしました。
以前拝んだ時にも感動しましたが、今回はご本尊の前に置かれた箱に注目。
これは、被災地に入られた方が、その土地の土を持ち帰り、
それを亡くなったかたがたのお舎利としてご本尊さまの前に安置してありました。
箱に収められた被災地の土。
みなさま、彼の地に到達されましたでしょうか。
法要終了後は隣りの建物で「お茶でも」といわれ、
マジに受け取ってお茶をいただいてきました。
(その前に、五劫思惟阿弥陀さまにもちゃっかり再会)
普通ここには立ち入れないところなので、
室内でもアレコレきょろきょろしてしまいました。
お茶をいただきながら、今回現地へ入られた方や
坊様のお話しを聞き、午後4時には終了。
帰る段階になって「あ!今日、拝観料って納めてない…」
そうなのです。今回の法要にあたっては拝観料などなく、
誰でも本堂に上がれるようになっていました。
慌てて帰り際に本堂前の賽銭箱へ寸志を納めてきました。
その後、元興寺へ。
ここもまた、GW直前の平日だからか、ガラガラ。
というか、いつの間にか本堂はわたしの貸切状態になっていました。
外はぱらりと雨も降っていたし。静か。
ぐるっと一周したあとは、収蔵庫へ。
元興寺極楽坊縁起絵巻を堪能。
極楽坊の由緒縁起と霊験を記した絵巻で、上下二巻。
元興寺にはその昔、智光さんと頼光(礼光)さんがあったとさ。
智光さんといえば彼が感得したという、極楽を現した「智光曼荼羅」が有名。
その智光さんと礼光さんの二人の僧が、縁起絵巻では
実にいい味出しているのであった。
この二人はかの行基菩薩と同時代の人。
行基は不良僧(お上お抱えの坊さんじゃなかったから)だったけど、
行基の持つ能力を高くかった聖武天皇に取り立てられ大僧正になりましたとさ。
(別に行基はそんな「身分」はどーでもよかったと思うけど)
しかし、その「身分」と待遇を羨んだのが智光サン。
「自分の方が行基より優れているのに、キィイイイイイー!」
彼は悶々としたままポックリ逝ってしまった(!)
死んじゃったわりには十日したら行きかえったというのだからミステリー。
この十日間に何があったのかというと。
地獄にもちろんのごとく落ちて、
「何で行基菩薩を嫉妬したんだ?」と鬼たちに攻められ、
「お前には焼けた火の柱を抱かせてやろう」といわれる。
嗚呼!俺はなんということをしてしまったんだろうとそこで後悔。
そこで、「目が覚めて」まさに地獄から戻ってきたらしい。
地獄から戻った智光さんは行基のもとへ出向き、
「嫉妬してスミマセンデシタ!!!!」と平謝り。
(行基はそんなことどうでもいいんだろうけど。
ちなみに行基は文殊菩薩の生まれ変わりなんだとか)
で。
そこからハナシは変わり、智光さんの同僚、礼光さん。
修行の晩年になって、他人と語ることもなくなり、
寝てばかりいて修行もせず、やがて入寂。
そんなある日、智光さんの夢枕に礼光が現れ、
「今極楽にいるでー」と自慢(いや違うと思うけど)。
「ええ!いいなー。どうしたら極楽にいけるの?」
とまたしても羨ましくてたまらない智光さん(笑)
礼光さんに導かれてその前に進み出た仏さんの前で
「わたしもイ・キ・タ・イ!」と駄々をこねると、
阿弥陀さんの手の平から小浄土が出現。
おお、まさに信じるものは救われる。
そして智光さんは極楽浄土に確かに来た証拠としてお舎利をもらう。
「極楽は確かにあるんだよということを娑婆に伝えよ」
ということなので、智光さんは夢から覚めて例の曼荼羅を作りました。
それがあの「智光曼荼羅」というわけ。
おお、智光さんって生臭い坊さんだったのだなって、なんだか親近感。
完璧な、すばらしい、坊さんよりも、
こういう人でも「信じれば救われる」ってのがいい感じでしょ。
礼光さんについても「信じて信じて、後は寝て待て」みたいなのも良し。
気がつくと5時。
いい感じで一日終わりました。
最初はホテルフジタがあんまりにも安かったので(笑)
ついうっかり泊まってしまったのがもとで、
んじゃ前のりするならどこか行こうかなと調べた次第でして。
夜遅く入って、朝早く出たし、二階の西側(笑)←安いからしゃーない、
だったからあんまりフジタらしいところを見て来れなかったんですけどね。
今度はバーにも行ってみたいです。