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桂宮宜仁親王殿下薨去=66歳

2014-06-09 | 皇室関係
桂宮宜仁親王殿下ご薨去=66歳、急性心不全で-陛下のいとこ、国際親善尽力

桂宮さま
Photo_2三笠宮さま(98)の次男、天皇陛下のいとこで、日・豪・ニュージーランド協会総裁などを務めた桂宮宜仁(かつらのみや・よしひと)殿下が8日午前10時55分、急性心不全のため、東京都文京区の東大病院で薨去された。66歳。皇位継承順位は6位。本葬に当たる斂葬(れんそう)の儀は17日に文京区の豊島岡墓地で営まれ、三笠宮殿下が喪主を務める。

宮内庁の西ケ広渉宮務主管と名川弘一皇室医務主管が記者会見し、逝去を発表した。同庁によると、桂宮殿下は8日朝、容体が急変し、千代田区三番町の宮邸から東大病院に救急搬送された。午前9時すぎ、病院に到着時は心肺停止状態で、蘇生措置が取られたが、そのまま帰らぬ人となった。7日は体調に異常がなかったという。

桂宮殿下は1948年2月11日、昭和天皇の末弟、三笠宮殿下の次男として生まれた。5人きょうだいの3番目で、兄は故寛仁(ともひと)殿下(2012年6月、66歳で薨去)、姉は日本赤十字社社長近衛忠※(※=火ヘンに軍)氏の妻★(★=寧の皿丁が用)子(やすこ)さん、弟は故高円宮殿下(02年11月、47歳で逝去)、妹は茶道裏千家家元の千宗室氏の妻容子さん。

学習院初等科、中・高等科を経て、71年学習院大法学部政治学科を卒業後、オーストラリア国立大大学院に歴史研究のため2年間留学。帰国後、74年から85年までNHKに嘱託として勤務し、サラリーマン生活を送った。

88年1月、三笠宮家から独立して桂宮家を創立。同年5月、急性硬膜下血腫のため宮邸で倒れ、緊急手術を受けた。91年11月に公務に復帰し、車いすで公務に取り組んでいたが、08年9月敗血症で入院。09年3月に退院後は、公の場に姿を見せることはほとんどなく、宮邸で療養生活を送り、近年も入退院を繰り返していた。

公務では、日・豪・ニュージーランド協会、大日本農会、大日本山林会、日本工芸会、日本漆工協会の各総裁を務めた。

天皇、皇后両陛下をはじめ、皇族方や親族のほか、安倍晋三首相らが8日、相次いで宮邸を弔問に訪れた。皇室の構成は、天皇陛下と皇族方合わせ21人となった。(2014/06/08)



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