大相撲の鳴戸親方(元横綱隆の里、本名・高谷俊英、青森県出身)が7日、急死した。59歳だった。日本相撲協会は病名を急性呼吸不全と発表した。弟子への指導で暴行騒動が報じられている中での悲報で、協会に激震が走った。
部屋付きの西岩親方(元幕内隆の鶴)によると、鳴戸親方は6日、通常通りに朝稽古を指導した後、夕方に持病のぜんそくを悪化させ発熱した。宿舎近くの病院に入院したが、夜に意識を失ったという。集中治療室での治療も実らず、7日の午前9時51分に死去した。最期はおかみさんの典子さんが付き添った。
鳴戸親方は10月下旬から、週刊新潮(新潮社刊)に「弟子への指導で角材で暴行をはたらいた」「インスリン注射を隆の山に打った」などと報じられ、相撲協会の調査を受けていた。ここ数日は体調を崩しており、西岩親方は「(6日の)昼は食事も食べていなかった」と振り返った。相撲協会は「事件性はない」と自殺を否定した。
二子山部屋に同期入門した間垣親方(元横綱2代目若乃花)は「出世も部屋を持ったのも私の方が早かったが、必ず追い付いて来ると思っていた」と振り返り、「誰よりも努力していたし、糖尿病の研究など土俵以外の稽古も好きだった。お互いのことは常に心配していたんだ」と急逝を惜しんだ。
鳴門親方の現役時代を私は良く知っているが、一人横綱だった千代の富士(現九重親方)に追い着き横綱に昇進すると4場所連続で相星決戦を演じ3-1と日の出の勢いだった千代の富士に対戦成績で勝ち越すなど、その怪力ぶりは凄かった。が、その反面、腰高で手を土俵に着けない立ち合いは一部で批判されていた。
なお、鳴門部屋はこの日、部屋付きの西岩親方が亡くなった鳴門親方の夫人の意志もあり年寄「鳴門」を襲名し部屋を継承することになり、日本相撲協会の緊急理事会で承認された。これに伴い、若の里の借株だった「西岩」は空き株となった(と言うか本来の所有者である若の里に戻り引退後襲名することになるでしょう)。
それにしても暴行騒動の渦中に、当事者である鳴門親方が急死するとは驚いたが、果たして死因は本当に発表の通りなのだろうか?仮に、死因に不審な点があれば司法解剖が行われるだろうが、亡くなる前日まで部屋で指導をしていたそうだが、やはり一連の暴行騒動や弟子へのインスリン注射報道がストレスとなっていたのだろうか?
相撲協会は鳴門親方の急死で暴行事件の調査打ち切りを決めたそうだが、果たしてそういう姿勢で良いのだろうか疑問を禁じ得ない。
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