14-54.サード・パーソン
■原題:Third Person
■製作年、国:2014年、アメリカ
■上映時間:137分
■料金:1,800円
■鑑賞日:6月28日、TOHOシネマズ日本橋(三越前)
□監督・脚本・製作:ポール・ハギス
◆リーアム・ニーソン
◆オリヴィア・ワイルド
◆ジェームス・フランコ
◆ミラ・クニス
◆エイドリアン・ブロディー
◆モラン・アティアス
◆キム・ベイシンガー
◆マリア・ベロ
【ストーリー&感想】
『クラッシュ』などのポール・ハギスがメガホンを取り、パリ、ローマ、ニューヨークを舞台に3組の男女の関係と衝撃の結末を描く恋愛ミステリー。著名な小説家と愛人、ビジネスマンと娘を誘拐された女、元女優とその元夫の物語を交錯させながら、愛や痛み、再生と希望などを浮かび上がらせる。リーアム・ニーソンをはじめ、オリヴィア・ワイルド、ミラ・クニスなど豪華キャストが共演。『ミリオンダラー・ベイビー』などの脚本家としても知られるハギス監督が構築した、複雑にして巧妙なストーリーに注目。
パリ。1作目でピューリッツァー賞を受賞、大きな成功を収めた作家のマイケルは、最新小説を書き終えるため、ホテルのスイートルームで缶詰めになっているが作品の構想を練るものの行き詰っているのが悩み。妻エレインと別居中の彼は、向上心に燃える若い小説家志望のアンナと不倫関係にあるが、人生にも執筆活動にも行き詰っているマイケルの心を満たすことはなかった。一方、ファッション誌のゴシップ記事を執筆するアンナは、師匠でもありカリスマ的な愛人でもあるマイケルを愛しながらも、若さと美貌で彼をあざけるスリル感を楽しんでいる。しかし、そんな彼女には秘密の恋人が存在した……。
ローマ。スコットは、世界中を旅しながらファッションブランドからデザインを盗む仕事をしているアメリカ人ビジネスマン。アメリカ的なものに触れたいと“バール・アメリカーノ”に入った彼は、英語が通じずイライラしながら生温いビールを飲んでいたとき、店内でエキゾチックな女性モニカに一瞬にして心を奪われ、彼女が娘と久しぶりに再会しようとしていることを知る。だが、その娘に会うために必要なお金を盗まれてしまったと聞いたスコットは、彼女を助けたい衝動に駆られる……。
ニューヨーク。昼メロに出演していた元女優のジュリアは、6歳の息子をめぐって有名な現代アーティストである元夫のリックと親権争いの真っ最中。経済的支援をカットされ、膨大な裁判費用を抱えたジュリアは、かつては常連客だった高級ホテルで客室係として働き始めるが、日々の暮らしに追われて弁護士との面会時間に遅れ心証を悪くしてしまう。息子ともう会えないのではという不安と孤独に追い詰められていく中、ジュリアの弁護士であるテレサから、裁判所の心証を変えるために精神科医の鑑定を受けることを勧められる……。
ポール・ハギスは元々脚本を書いていてそれが売れたことで映画監督の座を掴んだ人物で、その人物像を掘り下げて闇の部分も描ける「脚本家」である。「ミリオンダラー・ベイビー」は素晴らしかったし、その後も、素晴らしい作品を次々と発表しているので、彼の監督作品は必修だと思って観ている。
本作は3組のカップルを中心に描いていて、それぞれが人生の転換期を迎えていたり何かしらの悩みを抱えながらもパートナーにも言えない何かを発散出来ずにいるとでも言えば良いのだろうか?最近はアクション・スターとしての地位を築きつつあるリーアム・ニーソンは夫婦関係が冷え切った中で不倫関係にある作家志望の女性との交際も行き詰まり執筆中の作品の進行も遅れがちな作家役。不倫相手のオリヴィア・ワイルドは決して美人では無いけど「トロン:レガシー」以来気になる女優で、今回は全裸シーンが印象的だった?、でも、リーアムと共演シーンでも引けを取っていません立派です。落目の元女優ジュリア役のミラ・クニスと離婚裁判中のジェームズ・フランコが演じる元夫。どこか冴えない風貌のアメリカ人ビジネスマン役のエイドリアン・ブロディーはシングル・マザーのロマ族女性に魅せられる役。このエイドリアン・ブロディーの役が一番「彼らしかった」かなって、どこか情けない男を演じさせたらその自然さが滲み出ている役者って少ないと思うけど、彼は、特にこういう役は上手いっていうかはまっている。
そのブロディーを良いように利用して振りまわすロマ族の女、強引に彼を引き寄せたり突き放したり、彼の方から言い寄って来たのを良いことにマイペースで行動し運転スタイルも性格同様かなり強引だ。その他の2カップルについては、ハギスらしさがイマイチだった。むしろこのブロディーとロマ族女との逃避行を中心に付き詰めた方が面白い作品になったと思った。
タイトルの「サード・パーソン」、これがタイトルな訳は、それぞれの登場人物(カップル)に対して「第三者の目」的な視線で描いている点にあると思う。そこに共通している点はどの場面でも親(登場人物)と「子」の絆、子を失った(或いは「失いかけている」)親の苦悩がテーマだからかな。