「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

若き特攻隊員の思いに涙

2007年02月13日 | 雑感

  80歳を目前にした母と息子を連れ、友人3人を含む総勢6人で、鹿児島へ行ってきました。私ら家族にとっては、嫁いでいる娘を訪ねる旅でもありました。
  体力的にかなり不安そうだった母も、今回のチャンスを逃したら、もう行かれないかも知れないということで決心しました。飛行機が上昇すると血圧が上がるという不安がありましたが、それも手指を指圧することでクリアーし、天候に恵まれた空の旅は、とても快適でした。
 
  鹿児島空港到着後、高速バスで一路指宿へ。現地で娘と合流。蘇鉄(そてつ)自生地北限といわれている竹山の麓にある、開門岳と東シナ海を望む絶景の露天風呂が、旅の疲れを癒してくれました。

  2日目は、貸切バスで知覧へ移動。知覧は「薩摩の小京都」といわれ、島津藩政時代に築かれた武家屋敷が今も残っています。

  まるで戦国時代へタイムスリップしたような町並みを見学したあと、特攻隊の資料館(特攻平和会館)へ回りました。隊員の写真、遺書、遺品など数千点が展示されていましたが、年若い少年たちが残した手紙は、涙なくしてとても読めるものではなく、複雑な思いでいっぱいになりました。
  またビデオコーナーでは、隊員の最後の姿をテレビ映像で見ました。息子も今の自分の立場をオーバーラップ(2重写し)させたのか、涙を流していました。
  この日は、特攻隊の宿として有名な富屋旅館に泊まり、この宿ならではのいろいろな話を聞き、大切に保存されている当時の資料も見学させてもらいました。特攻の少年達が、出撃前に過ごした部屋で食事をいただき、他ではできない貴重な体験をすることができたのです。

  知覧の町は、ゴミひとつ落ちていないとてもきれいな町でした。街路樹もみごとに手入れがゆき届き、そこに住む人の心が感じられるような気が強くします。都会生活で見失っている、何かに気付いたような思いでした。あっという間の2泊3日です。知覧からの貸切バスは、大型バスで6人ゆったりとして鹿児島空港ヘ。

  背筋をシャンと伸ばし直して、また今日から仕事を頑張ろうと思います。3日間お世話になった皆様 本当にありがとうございました。

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