“無意識”になる難しさ
指圧を学んでいるとき、その技術が本物の域に近づけば近づくほど、それを言葉に表わし、説明するのがきわめて難しくなります。これは私自身、基本指圧研究会で同士と勉強してくる中で、身にしみて感じていることです。
ところが、人に説明するのが難しいということだけではなく、自分自身に当てはめると、頭で考えているうちは、とうてい奥義までは到達できない、本当の技術は身につかない、ということのようでした。
「指づくり」の技術指導を受けていると、鈴木林三先生は私の構えを見て、「頭で考えようとするからだ」「まだまだ頭が働いている」と、本年初頭からそればかりを言い続けておられます。
先生がおっしゃるのは、「考えなくても、手の構えがぴたっと決まらなくてはいけない」ということのようなのです。下手(へた)に考えることで、手先にためらいが生じるため、微妙なずれを生じるということなのでしょうか。
そう言われても、初めは無意識のうちに考えていたり、反対に「考えないようにしよう」と思うことで、かえって意識してしまったり、又「何も考えるな!」と自分に言い聞かせることが、マイナスに働いているという状態でした。
先生が言われる意味はわかるのですが、結果はいつも悪循環になってしまいます。そんなことの繰り返しで――、“意識が上達の邪魔をしている”ような状態なのです。
美容院で “開眼” ??
私は多忙な日々を送っていますので、休日も、その一日を効率よく動きたい、といつも心がけています。
通う美容院も、時間のロスがないことを最優先にして、丁寧なシャンプーを2度もすることがサービスだと思っている所へは、もう行く気になりません。もちろんマッサージもいりません。テキパキとムダなことをしない美容室を捜していました。そんな要望に応えてくれる所をやっと見つけ、今、そこに通っています。
ところが、先日シャンプーのとき、洗髪している女性の指の力が強いのが気になりました。以前、ゴシゴシやられて具合が悪くなったことがあるので、「もっと力を抜いて、そっとお願いします」と頼んだところ、意味が通じなかったらしく、少しばかりゆるい洗い方になっただけで、あい変らず指に力が入っていました。
私は体質が鋭敏なのでしょうか、「痛い!」と思っただけで、ミズオチがかなり張ってしまうのを感じます。それはいつものことです。ところがこのとき、そのまま具合が悪くなってはかなわないと思うと、とっさにフッと相手に任(まか)せきる気持になりました。その瞬間でした、ミズオチの張りが弛むのを感じたのです。とても不思議な感覚でした。
そんな話を鈴木先生にしてみたところ、「うん、そのとき頭は働かなかったでしょう」と。確かに任せきったときは、もう何も考えず、“柳に風”になった気分でした。
施術するときもこんな意識の状態でなければいけないのか、と体験できたことは実に有り難く、日常どこでも技術を学ぶことはできるものだ、と改めて感じさせられました。それを指圧の実践にどう生かすか、今、工夫をしているところです。
患者さんの身体は、百人百様(よう)、千人千様です。そんな中で私たちは、わずかな手応えを頼りに患者さんに合った指圧をするとともに、自分自身の上達へつなげていくしかありません。奥深いところに近づけば近づくほど、言葉で表現しにくい感覚・技術が前に立ちはだかります。それを「何とかわからせてやろう」と、教え続けてくださる鈴木先生に、私は心から感謝しています。
いつでも、どこでも、どんなことでも聞くことができて、しかも何度でも同じことを教えてもらっています。ともすれば狎(な)れてしまい、教えてもらうのは当り前のような気になっていることに、ハッと気付くこともあります。
私の指圧の道のりも、すでに30年を過ぎました。現在、本物の技術だけを、これほど辛抱強く教え続けて下さるのは、鈴木先生以外にはないと確信しています。
指圧の技術というのは、手探りで身に付けていかなければならない部分が多いことを考えると、一分の妥協もない正しい教えを受けられることに、私は心から感謝し、又受けた教えは次へ伝えて行かなければいけないと考えています。それが、基本指圧研究会を主宰(さい)している目的のひとつでもあります。
指圧を学んでいるとき、その技術が本物の域に近づけば近づくほど、それを言葉に表わし、説明するのがきわめて難しくなります。これは私自身、基本指圧研究会で同士と勉強してくる中で、身にしみて感じていることです。
ところが、人に説明するのが難しいということだけではなく、自分自身に当てはめると、頭で考えているうちは、とうてい奥義までは到達できない、本当の技術は身につかない、ということのようでした。
「指づくり」の技術指導を受けていると、鈴木林三先生は私の構えを見て、「頭で考えようとするからだ」「まだまだ頭が働いている」と、本年初頭からそればかりを言い続けておられます。
先生がおっしゃるのは、「考えなくても、手の構えがぴたっと決まらなくてはいけない」ということのようなのです。下手(へた)に考えることで、手先にためらいが生じるため、微妙なずれを生じるということなのでしょうか。
そう言われても、初めは無意識のうちに考えていたり、反対に「考えないようにしよう」と思うことで、かえって意識してしまったり、又「何も考えるな!」と自分に言い聞かせることが、マイナスに働いているという状態でした。
先生が言われる意味はわかるのですが、結果はいつも悪循環になってしまいます。そんなことの繰り返しで――、“意識が上達の邪魔をしている”ような状態なのです。
美容院で “開眼” ??
私は多忙な日々を送っていますので、休日も、その一日を効率よく動きたい、といつも心がけています。
通う美容院も、時間のロスがないことを最優先にして、丁寧なシャンプーを2度もすることがサービスだと思っている所へは、もう行く気になりません。もちろんマッサージもいりません。テキパキとムダなことをしない美容室を捜していました。そんな要望に応えてくれる所をやっと見つけ、今、そこに通っています。
ところが、先日シャンプーのとき、洗髪している女性の指の力が強いのが気になりました。以前、ゴシゴシやられて具合が悪くなったことがあるので、「もっと力を抜いて、そっとお願いします」と頼んだところ、意味が通じなかったらしく、少しばかりゆるい洗い方になっただけで、あい変らず指に力が入っていました。
私は体質が鋭敏なのでしょうか、「痛い!」と思っただけで、ミズオチがかなり張ってしまうのを感じます。それはいつものことです。ところがこのとき、そのまま具合が悪くなってはかなわないと思うと、とっさにフッと相手に任(まか)せきる気持になりました。その瞬間でした、ミズオチの張りが弛むのを感じたのです。とても不思議な感覚でした。
そんな話を鈴木先生にしてみたところ、「うん、そのとき頭は働かなかったでしょう」と。確かに任せきったときは、もう何も考えず、“柳に風”になった気分でした。
施術するときもこんな意識の状態でなければいけないのか、と体験できたことは実に有り難く、日常どこでも技術を学ぶことはできるものだ、と改めて感じさせられました。それを指圧の実践にどう生かすか、今、工夫をしているところです。
患者さんの身体は、百人百様(よう)、千人千様です。そんな中で私たちは、わずかな手応えを頼りに患者さんに合った指圧をするとともに、自分自身の上達へつなげていくしかありません。奥深いところに近づけば近づくほど、言葉で表現しにくい感覚・技術が前に立ちはだかります。それを「何とかわからせてやろう」と、教え続けてくださる鈴木先生に、私は心から感謝しています。
いつでも、どこでも、どんなことでも聞くことができて、しかも何度でも同じことを教えてもらっています。ともすれば狎(な)れてしまい、教えてもらうのは当り前のような気になっていることに、ハッと気付くこともあります。
私の指圧の道のりも、すでに30年を過ぎました。現在、本物の技術だけを、これほど辛抱強く教え続けて下さるのは、鈴木先生以外にはないと確信しています。
指圧の技術というのは、手探りで身に付けていかなければならない部分が多いことを考えると、一分の妥協もない正しい教えを受けられることに、私は心から感謝し、又受けた教えは次へ伝えて行かなければいけないと考えています。それが、基本指圧研究会を主宰(さい)している目的のひとつでもあります。