「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

言われるままの立居ふるまいが伝統の心に適う

2009年02月26日 | 雑感
  Jさん(33歳・女性)は清水焼の絵師です。東京の美術大学を卒業後、京都で専門学校に通い清水焼の技術を学びました。その上で京都の工房の門を叩き、弟子入りし、古い伝統を受け継ぎ、守り、ひたすら技術の研鑽に励んでいました。  
  彼女のお父さんは、実業家でありながら画家でもあり、芸術に造詣の深い一家です。私は、職業柄様々な職種の方々と接することができるので大変勉強にもなりますし、色々な世界をかいま見ることができるのは楽しみでもあります。

   清水焼の絵師という方には、実は初めてお会いしました。「カッコイイ!」この一言に尽きます。これが彼女に対する私の第一印象です。指圧をしながら日本の古い伝統の世界の話を聞けるのはたいへん興味深く、役得とすら思えますし、とても楽しみです。
   色々な話の中でまず興味をひかれたのは、絵を描く時は、アグラをかいて座り筆を持つことが決まりごとだ、ということです。その話を聞いた時、即座にピンときました。「なるほど!絵は、身体で書くもの」と。

   彼女は若い女の子です。このアグラの強要に少々抵抗があったようです。アグラをかいて筆を持たされることに、納得してはいませんでした。それにこだわることを「意味のない古い伝統」と捉えていたのです。
   しかし慣れとはおそろしいものです。今では、彼女もアグラをかかなくては絵は書けないし、繊細な線は、到底引けないといいます。私は、この話を聞いて心底感心しました。「身体で書くということを、身体が覚えたのだ」と分かったからです。
   たとえその仕組みを知らなくても、言われるままに立ち振る舞うことで、自然と技の世界に入っていくことができるのです。そもそもそれが、修業というものなのだと思いました。導かれるままにひたすら励むことで、やがてその心に適うことができるのです。

   指圧もまた日本の誇るべき伝統です。そんなシステムがあってもいいのではないか? とつくづく思いました。これは、頭の中をクリアーにして、既成概念を払いジックリ考え直してみる価値があると直感しています。
   今年の大事な課題として、あるべき姿を見つめて行こうと思っています。きっとどこかにヒントが隠れているような気が強くしています。
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