3月26日(日)。私の指圧治療を受けて四半世紀が過ぎるKさん(89歳のご婦人)から、「このあと治療をしばらくお休みしたい」との申し出があり、毎週受けてきた指圧を中断することになりました。ほとんど休みなく来ておられたかたで、その間、彼女の都合で休んだのは、1回か2回しかなかったと思います。
Kさんは30年前に医師から、「将来必ず歩けなくなる」と宣告されていました。病名は指定難病の「シャルコー・マリー・トゥース病」といい、一般的には四肢、特に下肢遠位部の筋力低下と感覚障害を起こす疾患で、全国調査では2000人以上いるといわれているそうです。
厳しい現実が突きつけられた衝撃はいかばかりか、想像を超えるものがあります。そんなあるとき彼女のお友達であり、内科医の奥さまで私の治療院へ通っていたかたの紹介で、指圧治療に賭けようとして来られたのです。
この時点では、歩くのが苦手ではあっても自転車に乗れるので、日常生活にそれほど支障はなく、家事全般をこなしていました。他の病気は何もないので、見たところとてもお元気でした。
しかし今回、治療に来られたKさんの言葉に深い感慨を覚えました。
「先生もこの歳になるときっと分かってもらえると思うけど、疲れました」
長年にわたり続いた「もうすぐ歩けなくなる」との緊張感からの解放で、安堵の気持ちも大きかったのでしょう。だが今でも自宅では家事全般をやり、台所にも立っています。買い物だけは息子さんにお願いしているそうです。
長年指圧を愛し、それによって自分の足でシッカリ歩んできた人生。静かで誰にも優しく、責任感の強いかたです。周囲に幸せの花を咲かせてくれるようなご婦人です。指圧との出会いを大事にされ、指圧を最大限有効に使ってくださって、ほんとうに嬉しく思っています。
この日の治療中、長い間のさまざまな思い出を楽しそうにされ、話しに花が咲きました。終わりに私の手を握って、再度、
「お休みをいただきます」
その手を握り返して、私も少しウルウルしてしまいました。
感動的な別れってあるんだな!…… 一生懸命圧してきてよかったと心から思いました。
同時に「一人でもよくなってくれれば」と、生田房弘先生から励ましていただいたことが胸に浮かんできました。先生は2年前に亡くなられましたが、神経病理学者で、新潟大学脳研究所教授をしておられた。
7、8年前だったでしょうか。私が取り組んできた二分脊椎症の指圧治療に対する助成金を、公益財団法人日本二分脊椎・水頭症研究振興財団からいただくことになりました。その授賞式が開催された神戸の会場へ足を運んだ私を、入口で待っていてくださり励ましてくださった先生のお言葉です。
難しい症例に直面したとき、必ず先生の顔とその言葉が浮かんできます。あと何年、指圧治療に従事できるかわかりませんが、「一人でも…」との言葉を忘れず頑張りたいと、いつも思っています。