「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

二分脊椎症の排便障害に対し、基本指圧で機能改善を目指す(1/3)

2014年11月09日 | 指圧の活動

  永年指圧治療に取り組んできましたが、思いがけないことから二分脊椎症(にぶんせきついしょう)という病気と向き合うことになって7年半になります。二分脊椎症とは、先天的に脊椎骨が形成不全で起きる神経管閉鎖障害の一つで、下肢の麻痺や変形、膀胱・直腸障害に因る排泄障害などが症状として見られ、水頭症の合併も多く見られます。
  症状によっても異なりますが、多くは出生後速やかに脳神経外科か小児外科によって手術をするそうです。成長過程でも色々苦労が多く、身体のあちこちにメスを入れることが有り、病院と縁が切れずに成長するのが当たり前のようになっています。

  ことに排泄障害に対しては、人工的に排泄させるのが当たり前なのが厳しいところです。排尿はカテーテルで導尿し、排便は下剤、浣腸、洗腸などに頼るため、結果、非常に不便な生活を強いられているのが現実です。彼らと触れ合ったことで、人間の尊厳にかかわる部分がままならない人たちがいることを知りました。この7年半の間に10名の二分脊椎症の方に出会い(1名は、現在しばらくは治療を諦めています)、それぞれに基本指圧を施術したので結果を報告します。

  2007年9月~翌7月までの10か月間、以前は週2回の洗腸で排便を管理していた開放性二分脊椎症の患者に対して全身指圧22回、腹部中心の部分指圧137回を施術し、自力排便に導くことに成功しました。この施術が画期的だと東京都立墨東病院元脳神経科医長・藤原一枝先生から勧められ、2009年7月4日、東京国際フォーラムで開催された「第26回日本二分脊椎研究会」(順天堂大学医学部小児外科主催)において「洗腸6年の後、排便の自立を得た一例」として発表させていただきました(口演は藤原一枝先生)。

  当時(2007年春)仕事をしながら、何となく通りを見ていると、制服も真新しい中学生の男の子が下校していくのが見えます。午後4時ごろになると一生懸命歩いて帰るのですが、足が不自由なのが誰の目にもわかる歩き方です。車も警戒して距離を置いて通り過ぎますが、彼は一生懸命歩を進めるのです。雨の日など傘は持っていても身体の揺れが酷いのでずぶ濡れです。ある時、彼がこっちを見ているのがわかったので手を振ってみました。するとその次の日から通りのこちら側を通るようになりました。
 
聞くと、足の筋肉の訓練を兼ねて45分程の道のりを歩いて帰るといいます。学校と自宅の中ほどに私の治療院があり、そこで一息入れて帰るようになりました。不思議な縁で、治療院の患者さんの中に彼のお母さんがいることもわかり、彼が二分脊椎症という病気で排泄も自力でできないと知りました。

  ボランティアで何とか力になってあげられないかと考えました。身体の運動機能を指圧に生かす方法がないかと月1回、桐朋学園大学教授の矢野龍彦先生と講師の長谷川智先生に川越まで来ていただきました。先生はナンバ体操の権威です。先生に彼のためにプログラムを組んでいただき「チャレンジ・ナンバ」と名付けました。彼の歩きの検証と指導をお願いしたところ、歩き方は見る見るよくなったのです。
  ある時、下校途中少しの時間ですが指圧をしてみると、腹部にまったく手応えがなく、これが人のお腹とは? とショックを受けました。仕事の時間を工夫し、毎日のようにわずかですが圧し始めました。どんどん体の調子が変化していくのがわかります。少しずつ洗腸の水の量を減らしながら圧し進めて行くと最後には、なんと! 夢のような出来事ですが、洗腸がいらなくなってしまい自力排便が可能になりました。

  途中、洗腸しなくてもすむようになれば、本人の負担がどれほど軽くなるかを、お母さんに理解してもらうのがとても大変でした。ケンカごしの話し会いもありましたが結果、2008年2月19日、洗腸を止めて47日後ついに(途中2回だけ洗腸)自力排便ができるようになったのです。当時の私は、何かに憑かれたように一生懸命やっていたのを覚えています。(つづく)


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