今年最初の失敗は、
百円ショップで買った 排水口用ネット でした。
以前買った物が残り少なくなり、気になっていたのに いつも買い忘れてしまって、
家に帰ってから気づいて 「あっ、しまった!」 の繰り返しが数度!
いよいよ残りが1枚になってしまった この日は、
<本日の一番重要なお買い物> になっていました。
けれども 急いでいたこともあり 目についた物をカゴに放り込み、
他の商品と共に レジへ …!
この時はまだ
〔 こういった物は どれを選んでも大差はないだろう! 〕 との思いがありました。
ところが このネット。
伸縮性に乏しくて、排水口のカゴに被せても 沿ってピッタリと くっ付いてはくれず、
元の位置に戻すと 先端が出てきてしまったり 浮き上がってしまったりして しっくり収まらない!
それならば … と、深く被せてから嵌め込み 中の部分を押 してみたら、
うまく滑らずに 破れてしまいました。
〔 えっ、 こんな 弱い ネット、 あるの!? 〕
さらには、
捨てる時にも 問題が発生し、
取り出そうと、いつものように 片手で持ち上げたら、
ダラーッ と力なく伸びて、中身が全部 シンクに出てしまいました。
〔 信 じられな~い! 〕
たとえゴミの量が多くても 、今まで こんなことはなかったので
驚いてよくよく見たら、袋の表に 70枚入り と書いてありました。
ずいぶん前に 不織布素材の物を買って 水切れの悪さに唖然としたことが
ありましたが、ポリエチレン素材の このネットで気になったことはなかったので
楽観 してよく見なかったのが 失敗のもと だったようです。
今まで購入していた物は 40~50枚入り。
〔 70枚入り があることに気づいていれば もう少し注意 したのにな~! 〕
言ってみたところで あとの祭りですが …。
〔 そうなると 少ない枚数だったから 伸縮性があり ピッタリとフィットしてた ってこと!? 〕
確かに、40枚や50枚に対して 70枚も入ってたら
何か違いがあっても おかしくはないのかも しれません。
その辺は 理解するとして …
〔 だったら <特長> に あんな表記は しなければいいのに …! 〕
そんな思いが浮上 してきます。
たとえ間違いで買ってしまったのだとしても 買ったのは私だから そのことで
文句は言えません。 でも、この品質で この表記!?
そこは 納得し難いものがありました。
生産者側にも コスト というものがあるから、
〔 同じ値段で量が多いんだから こんなものでしょう! 〕
〔 40枚、50枚があっての70枚に 多くを望むほうがおかしいよ! 〕 と
思われるかもしれませんが …
安かろう悪かろう が 当然 ではなく、
たかが百円 といえども 販売している以上は 責任 というものがあり、
信用 は その上に成り立っているものなのだから、
お客様が納得できる商品を販売する のが 当然 だとは思うんです。
つまりは、 安くても 品質で胸を張れる商品しか作らない か
「量が多い分 若干 弱いです」 とか 「伸縮性とフィット性は少々劣ります」
などと 正しい記載 をすべき じゃないのかしら!?
胸を張れるものが50枚までなら 70枚なんて作らなければいいんじゃないの?
販売するなら ちゃんと 記載通りの商品 を お願いしたい。
<70枚入り> が 要望で作られたものだとしても、フィット性を欠いてもいいからと
思う人は少ないはず。 それならなおさら、ちゃんと納得 して購入 してもらうのが
筋というもので、納得ずく なら、生産者側も胸を張れるでは …!?
それでも もう一度
〔 もしかして、排水口の素材によって 使い勝手が違うのかな!? 〕 と考えてみました。
けれども 我が家のものは 一番一般的ではないかと思われる <ステンレス製>。
素材によってピシッと嵌まるとは思えない ゆるさが 首を傾げさせます。
<浅型>と<深型>という違いもあるようだけど、イラストを見れば <浅型>とは思えないし、
カゴの直径にも <規格> があるはずだから 大差が生じるとも思えません。
やはり、枚数を多くした分 薄くなってしまった ことが原因による 伸縮力欠乏 ということに
なりそうで、裏側の表記 は 他の枚数の物との 共通使用 なのではないか と思われます。
昨年、あちこちから 「これでもか!」 というほどの 偽装表記 が発覚 した 海老問題。
「ブラックタイガー」 や 「バナメイエビ」 が悪いわけじゃないのに、<プロとしての誇り>
より <カッコつけ?> が優先 してしまった方たちの 変なプライドや思い込みと コストとの
間に問題が生じ、誰もが信用 していた老舗 などからも 次々 「クルマエビ」 などといった
偽装表記が発覚 して、お客様に対する裏切 り だけでなく、海老たちのプライド までも
傷つけてしまったんで したよね。 「ブルータス、おまえもか!」 じゃないですが、
〔 みんな そんななの!? 〕、 〔 これじゃ~ 誰も信じられないじゃない! 〕
そんな風に思わされた とても寂 しい出来事でした。
そういったものでさえ 正直に記載されている という 信頼性 や 誇り。
「誰かが言うから …!」 なんていうことではない 自分の中の正直さ を
大事にしてほしい と思いました。
少々面倒くさい時はありつつ、今も このネットは使っています。
取り出す時も 今までよりは慎重に、両手を使うように しています。
失敗は繰り返さないよう、
〔 やっぱり ちゃんと選ばなくちゃダメね~! 〕 と思いながら …
見極めが難しい商品もあるけれど、
〔 こういったネットの場合は、ちゃんと枚数確認を して、
少なくとも <70枚入り> は 選ばないようにしよう! 〕 と思いながら …
ちなみに、
ネットを被せた後、水を流 しながら嵌め込むと やりやすくなることがわかりました。
次回 この商品 (70枚入りの物) を買うことはないけれど、
使っているうちに工夫することも覚えるので "失敗"も勉強のうち ということになります。
それに、 こういうことがあると、今まで何も考えずに使っていた物の 有難さ にも気づきます。
こういう物がなかった時のことを考えれば …、 "感謝" ですね。
ついでのお話ですが、 排水口のカゴ そのものに付く 嫌な<ぬめり>予防のため
私は 排水口とネットの間に 10円玉を 一枚入れています。
また、アルミホイルを捨てる際には 丸めてネットの中に入れるようにしています。
ぬめりは付かないようにするのが一番です。
以前買った ピーラー(皮むき器)も 使い難くて 嫌になりながら 今も使っています。
外見からじゃわからない物もあるから、選ぶのも難 しいわね!
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
今年、1月3日に亡くなられた たかじんさんを偲んで … ということで
2010(平成22)年11月24日発売、
やしきたかじん さん の 『その時の空』
「その時の空は大きいんや 失敗 したって何(なん)も言わない
ただ黙って見守るだけや 好きなようにしたらいい」
「人は愚かなもの いくつかの過ちと 弱さを持ち寄って 生きるんだ 頑張れ!
偉そうに言えないが 何とかなるだろう 頑張れ!」
「この街の空が好きなんや 晴れも雨もどれも好きなんや
ここに住む人が好きなんや 気にするな 空模様」
失敗 したって … 小さいことは気にするな。 もやもやなんか吹き飛ばせ。
こんな歌詞も 今回にはピッタリかな!
人生の水たまり 跨(また)いだらいいだろう。 前向いていないと しあわせを逃すよ。 etc
たかじんさんの歌からは 温かさが伝わってきます。
(※ ブログ内容や 歌詞から、その時 感じたことを書いています。)
関西を中心として カリスマともいえる人気を誇っていた たかじんさん。
歌も、社会に対する大胆なホンネトークを含めたおしゃべりも、人々の心を捉えて離さず、
「浪速(関西)の視聴率男」 と云われていたというお話は有名ですが、
彼のお金の使いかたの大胆さもまた、社会に貢献するものだったと
私がお手伝いを しているお店にいらしたお客様が話されていました。
「今日は追悼で歌いにきたの!」 とおっしゃる高齢女性は
彼の歌はすべて歌えると言われ、原曲キーで20曲近くも歌われて、
かなりの高音ながら、 〔 こんな歌いかたも 案外いいものだな~! 〕 と思わせてくださいました。
歌いながら、話しながら、みなさん
「きっと こっち(関東)の人にはわからない感覚だろうな!」 って涙ぐんでいらっしゃるのが
心に残り、彼に対する思いの強さを感 じて、〔 愛されていたんだな~! 〕 と、
こちらまで感動 し、ジワジワきてしまいました。
この 『その時の空』 は ポップで、彼らしい と云われるスローバラートではないことや
サビ部分で 100人もの子ども達によるバックコーラスが入るという異色作で、
彼がキャプテンを務める 「OSAKAあかるクラブ」 のテーマ曲となっているそうです。
※ 大阪の町を 明るく笑顔にしようと 有志が集まった部活。
… と同時に この曲は、『My memory』 以来 実に7年ぶりとなる
29枚目にして 生涯最後のシングル曲となってしまいました。
作曲を手掛けた小室氏は たかじんさんの <復帰作>を考えていらしたそうなので
今となっては聞けなくなってしまった <幻の30枚目>が残念に思えます。
1971(S.46)年に 自らの作詞作曲で レコードデビューするも、歌詞に問題があり発売禁止!
アルバム 『TAKAJIN』 と シングル 『ゆめいらんかね』 の同時発売で 1976(S.51)年に再デビュー。
コンサート活動、ラジオ・テレビのパーソナリティーとして 関西中心で活躍されていた たかじんさん。
1980(S.55)年と 1992(H. 4)年には 東京進出もされたようですが、2度目の暮れに発生 した番組内
トラブルが 彼の東京嫌いを決定づけたとされ、こちらに情報が入らず ほぼ<歌>でしか知り得ない
状況になってしまったのは そんなことがあったからだったようです。
1999(H.11)年10月、50歳の誕生日に大阪フェスティバルホールでメモリアルコンサートを行い、
コンサート活動の休止を発表しましたが、2001(H.13)年12月に歌手活動を再開。
しかし 2012(H.24)年1月末には、初期の食道癌治療のため芸能活動を休止することを発表。
翌年3月 仕事復帰 したものの 5月には再び休養。 以後 メディアに出演することはなかったそうです。
新年3日に亡くなられたことが発表されたあと、秋に3人目の奥様を迎えられていたことが明らかとなる
など、彼に関するエピソードは最後まで尽きなかったようです。
<関西の星>がひとつ消えてしまったのが残念です。
ご冥福をお祈り申し上げます。
お読みいただきましてありがとうございます。
ランキング投票に ご協力いただけると 嬉 しいです。
にほんブログ村
イラスト素材の一部は、下記を利用させていただいています。
「イラスト工房」