― 歌・種・記・文 ― (うたたね きぶん)

日々の中で感じたことを書き留めた自分のための雑記帳。
記憶を鮮明にさせてくれる画像や思いが大事な宝物になっています。

「ジェットストリーム」 に 思いを馳せれば …  ― 夜間飛行 ―

2011-03-05 | 懐かしいお話
 
前回、
イギリスから戻って来た マー君のことを書きながら
飛行機のイラストを見ていて フッと 想い出 し、
ぜひ 投稿 してみたいと思って書き始めていたら
3月1日、
   『JALのジャンボジェット機 (ボーイング747) が 本日引退!
という ニュース が 流れていました!

書こうと していたり 書いていたり …
自分が何かを思い浮かべた時、
<思っていることが 何らかの話題に上る> ということは 誰にでも あると思います。
それは 世間一般で取り上げられるほどの大きな話題 であったり、
ひとつの番組などで提供される話題 だったり、
極々 内輪、仲間内 での話題 だったり … と さまざまではありますが
そういったことで、 〔なんだか 不思議だな~!〕 と感 じて しまうことが とても多い気がするんです。
そんな時って もしかしたら
体内に静電気がいっぱい溜まっている なんていう理由(?)で、
不思議と<その話題に引き寄せられる!> ってことが起きたり しているんでしょうか!?

今回も JAL に関する話題!
なにかに 引き寄せられたの かも しれません!

前置きが長くなりましたが、
そんなわけで 今回のお話は、JALの提供番組である

≪ ジェットストリーム ≫



「昔 聴いていたな~!」 と 懐か しく思われる方は どれくらい いらっしゃるのでしょうか!?


飛行機の離陸音が徐々に大きくなってくる臨場感の中、
『ミスター・ロンリー』 が流れ始め、
耳に心地よい 城達也さんのナレーション で 始まる …
"ムードミュージック " から "イージーリスニング " という言い方に変わっていった時代の音楽番組。
要するに くつろいで楽 しめる 軽音楽 を 流 してくれていた番組 というわけです。

放送開始は 1967(昭和42)年7月3日、FM東海。
1970(昭和45)年 4月 からは FM東京 に移って 放送を続け、
2004(平成16)年11月25日 に 放送 10000回、
2007(平成19)年7月3日 には 40周年を迎え、
現在も記録を更新し続けているという 超 長寿番組です。

「懐か しいな~!」
「ずいぶん癒されたな~!」

… とはいっても、
実は 私、 この番組を 実際にラジオで聞いたことが ないんです!
「なんだ それ!」  そんな言葉が聞こえてきそうなくらい、 なんだか変なお話ですよね!
ジェットストリーム」 は 深夜零時から始まる番組です。
もともと 我が家は 父が厳 しく、
今と違って 私自体も 夜には弱かったこともあって
遅くまで起きていることはありませんでしたから
ずっと、そんな番組があったことすら 知りませんでした。
それなら 何故!?
私が 「ジェットストリーム」 を 知ったのは …             
その頃 知り合った友人が送ってくれた カセットテープ によって だったんです!
"友人" は、私の女友達<S>の 彼氏<H君>の友達 でした。

        <S>とは 中学からの付き合いでしたが、
        高校生になったあたりから 金髪、夜間外出など 大人な世界に入り込み、
        ちょっと距離を感 じるようになっていました。

        20歳の時、
        「女子だけで海に行かない?」 と誘われ、
        厳 しい父の許可をもらって、みんなでその子の家に泊まったら、
        朝、男友達が迎えに来て、総勢12名ほどで 海に行くことになりました。
           「○○(私の愛称)に 正直に行ったら、絶対来なかったでしょ!?」
        私の性格、厳格な父。
        それを見越 して立てた作戦に嵌まり、
        知らない男子が運転する車の助手席に座らされ、
        思いがけない緊張感の中で海へ行くことになっていました。

        <S>と男友達は みんな同 じ大学の仲間たち!
        女子は高校の同級生で、すでに働いている子も いました。
        みんなはすぐに打ち解けたようですが 私はなかなかそういうわけにはいかず …
        ずいぶん気を遣わせてしまったのではないかと思います。

        <H君>とも この時が初対面でしたが、
        <S>と同じように 外見からは判断できないほど とても気遣いのある優 しい子で、
        私はこのふたりに 映画の中の恋人たちのような憧れを感 じたのを覚えています。

        そして その時 運転 していたのが カセットを送ってくれていた<N君>だったというわけです。
        たぶん、<S>が私に紹介 しようとした子 だったのだと思います。


音楽 趣味 なんだ!」
そう言っていただけあって、<N君>は それが とても よくわかる人でした。
でも ちょっと プレイボーイ的な匂 い が して
当時 <超>がつくほど堅物人間だった私は
少 し距離を置いて接するように していました。
   (※) 当時の私には たぶん 半数以上の男子が そんな風に見えていたのではないかと思います!
それでも
とても マメ几帳面凝り性 な 性格の <N君>は
自分が気に入った曲を 10曲ほど収め、時々 送ってくれていて、
その初めと終わりには いつも
ジェットストリーム」 の 冒頭と最後のナレーション を 入れてくれていたんです。

絶賛 したら、何度か 一時間分を まるまる収録 して 送ってくれたことも ありました。
  思わず 聴き入ってしまう ナレーション!
  そして そのまま音楽へと 誘(いざな) われてゆく!
  情景が頭の中に浮かんでくるような…、
  時には その物語の主人公になっているような …
"ある日" の 「ジェットストリーム」 が
夢の世界で恋人に巡り会ったかのような感動を感 じさせてくれて、
陶酔するように聴き入っていたな~!
懐かしさが 込み上げてくるようです。

ただし、
JAL提供の 「ジェットストリーム」 が <音楽の定期便> だったのに対 して
私に届く 「ジェットストリーム」 は "不定期便!"
週に2度の時もありましたが 少し間が空くこともあり、
いつ届くのかが まったく わからないものでした。
それでも その不定期便は
私が結婚 してからも たま~に 着陸 してくれることがあり、
「子育て頑張れよ!」 などという 応援レターも添えて
いつも 「いいな~!」 と思うような曲ばかりを入れてくれていたので
届けば 擦り切れるのではないかと思うほど聴いたものでした。

もしかしたら、
届いた時の貴重さ は、"定期便" であるより 感 じられて
より聴くようになっていったのかも しれませんから、
ある意味、私の 音楽好き原点を作ってくれた人 と言えるのではないかと思っています。

ジェットストリーム」 への 憧れ は充分にあったものの、
カセットで知って以後も、日付を跨ぐ時間から … というのは
私には やはり 大人なイメージが強かったり、その時間にゆとりが持てなかったりで
"本物を聴く" という実現には至らぬまま過ぎてしまいました!
   二十歳を過ぎていたんだから 大人にはなっていたわけですが …!

だから カセットで いつでも聴ける というのは とても嬉 しいことでした。

目を閉 じて聴いていると         
野原に寝転がって 満天の星を眺めている頭上を 機体が飛んでゆくような想像!
そのまま 空想の世界の中でも目を閉 じれば
いつの間にか その機体で 自分が 外国へと飛び立って行くかのように思えて来る幻想!

矛盾の中にいても まったく矛盾を感 じない世界 が 頭の中に広がってゆき、
急に哀 しくなったり、
悲 しいわけでもないのに涙が出てきたり、
ロマンチック、センチメンタル、ノスタルジック …
曲によって 日によって、気分が変わる なんてことも あったな~!
などと、想い返せば また 胸が熱くなるようです。

忙 しい日々の中にあって 目を閉 じて聴くほどのゆとりがない時でも、
ほんのひと時の癒 しタイム!
言葉と声の持つ魅力 そして音楽は、耳を通って 心を浄化 してくれるが如くあり、
無駄な力が抜けるなど、きっと良い影響を与えてくれていたに違いない と思っています。

そんな想い出を辿りながら 目を瞑れば、
今でも想い出せるほどのインパクトを与えてくれている 城さんの
あの素敵な声のトーンと ナレーションの素晴ら しさ!
あれがあったから
どんな音楽も 目に浮かぶような心地よさで 体中に浸透 してくれたのではないか と 思えてきます。



飛行機の離陸音、 パイロットの交信音、 広がり行く宇宙を思わせるような効果音、
そんな中から聞こえてくる …

ジェッ トス トリーム
ジェットストリーム
"JET STREAM"

フランク・プゥルセル・グランド・オーケストラの 『ミスター・ロンリー』 と共に …

遠い地平線が消えて、
深々とした夜の闇に心を休めるとき、
はるか雲海の上を 音もなく流れ去る気流は、
たゆみない 宇宙の営みを告げています。

満天の星をいただく、果てしない光の海を
豊かに流れ行く風に 心を開けば、
きらめく 星座の物語も聞こえてくる、
夜の静寂(しじま)の、なんと 饒舌(じょうぜつ)なことでしょうか。

光と影の境に消えて行った はるかな地平線も
まぶたに浮かんでまいります。



これからの一時間、月曜から金曜までの 毎晩
日本航空が あなたにお送りする 音楽の定期便
"ジェットストリーム"

皆様の 夜間飛行の お供をいたしますパイロットは
わたくし、城達也です。


… で 始まって

穏やかな調べ と 共に …
(残念ながら、この時流れている曲が 何なのか わかりませんで した!)

    そろそろ お別れの時刻が近づいてまいりました。
みなさまのお相手は わたくし、城達也でした。



夜間飛行の
ジェット機の翼に点滅するランプは、
遠ざかるにつれ、次第に 星のまたたきと 区別がつかなくなります。

お送りしております この音楽が、
美 しく、あなたの夢に 溶け込んでいきますように …。



それではまた
来週の この時間に お会いいたしましょう。


… で 終わる!

   ※ これは 1980(昭和55)年 6月 3日(火) に収録 した <N君>のテープ からのものです。
      この時の収録は どうやら 金曜日だったようです。
                            (聴き過ぎていたせいで 悲 しいかな 音は フニャフニャ!)
      長い年月の間には 多少のナレーション変化があったり、パーソナリティが替わったり
      城さん担当後期の金曜日は 「Midnight Odyssey」 という名前で テーマ曲も変わる など
      時と共に移り変わりが あるようですが、詳 しいことは わかりません。




なんだか ゾクゾクするほど心地良かった! って 変な表現 で しょうか!?

  何の抵抗もなく ス~ と眠りに引き込まれてしまいそうな …
  余韻に浸リ過ぎて眠れないような …

こんな贅沢なひと時をくださった城さんのナレーションは
1967(S.42)年7月から1994(H.6)年12月までの27年間にも渡って続いたそうですが、
食道癌に侵され、「自分の納得できる声が出せない」 という理由で 自ら降板 し、
その2ヵ月後には その当時のエンディング曲 『夢幻飛行』(1985.03~1994.12) を連れて …
63歳という若さで 空のかなたへと旅立たれて行かれたそうです。
   ※ 『夢幻飛行』 は、アンドレ・バウアー&ジェットストリーム・オーケストラ演奏の
     放送5000回を記念 して作られた曲だそうですが、城さんの降板と共に封印されたようです。


それでも
その番組自体とは付き合いのなかった私でさえ
ジェットストリーム」 と聞けば 条件反射の如く 城さんの声が甦ってきて
       "ジェット機" どころか "タイムマシン"へと ひとっ飛び! 

本当に 素晴らしい番組であり 素敵な方だったのだと 思っています。

ジェットストリーム   さん  音楽 。  そして … 
それを 紹介 してくれた N君 感謝 です!


いまだに続いているという この番組!
私達の世代 には
   「城さんジェットストリーム」
              大事な"想い出"という宝物> だとするならば、
その時代時代 で、
その時の 「ジェットストリーム」 が、
その方にとっての 大事な宝物 になっている、そして なってゆく のかも しれません。


せわしなく生きている人たち、
イライラしたり 争い事の多い方たち、
いけないことを考えている人たち …
どんなに偉くなっても、いいえ 上に立てば立つほど
これを聴いて 穏やかな気分になり、
昔の、初心の、純粋さを思い出 してほしと思います。

私は、
フニャフニャ音源の乱気流バージョンを 楽 しむことにします!

                いつかまた、昼間で も 出来る 穏やかな夜間飛行 を してみた いな~!

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

城さんに誘(いざな)われて 夜空を旅 してみたい … ということで
1973(昭和48)年 6月25日発売、
       ちあきなおみ さん の  『夜間飛行』
              (作詞 = 吉田 旺 さん/作曲 = 中村泰士 さん)

   「翼に身をゆだね 私は旅立つ  遥か雲の下に 広がる街あかり」
「あなたは気付くでしょう  いつか 私のまごころに
                         だけど 哀 しい目を して 探さないで  もういいの・・・・・」
    「このままずっと どこへも降りずを この夜の果て
                         二度と帰らないの そして帰らないの」

   どこかで区切りをつけることや 無 く してから気づくこと!
     人生には いろんなことが起きます。
     <大事なのは何!?> って 考えながら 夢の中を 夜間飛行 してみたら、
     命あるものに伝えられるのは 生きている間だけであることや
     たくさんの大切なものに気づくことが出来るかも しれません。    
                                       (※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)

1969(昭和44)年6月10日発売の 『雨に濡れた慕情』 から
1991(平成3)年10月23日発売 『紅い花』 まで、オリジナル・シングル34枚。

1972(昭和47)年9月10日発売の 『喝采』 が 第14回日本レコード大賞を受賞 し、
第23回 NHK『紅白歌合戦』 出場後には、80万枚の売り上げを記録 したというのは凄かった!
けれど、この時 彼女は25歳。
アイドルという年齢ではなく、お化粧も濃い目。
充分な歌唱力はありながら、彼女の固定ファンというのはあんがい少なかったようで、
翌年の2月に 「私小説歌謡 第2弾」 という触れ込みで発売 した 『劇場』 は
『喝采』 人気がまだ続いているうちだったことなどもあって あまり売れず、
続いて発売 した15曲目、ポップス系の この 『夜間飛行』 も、
NHK『紅白歌合戦』 出場曲でありながら、私が思っていたほどには売れていなかったようでした。
それでも オリコンチャートでは15位、売上は13万枚以上は いったようです。

私は間奏に入っている よく聞き取れないフランス語と 最後に日本語が入る 機内アナウンスが
フランス便を連想させ、おしゃれな雰囲気が漂っていていいなと感 じていました。
………………     ボンボヤージュ、 メルシー、 さよなら …   
※ ボン・ヴォヤージュ(Bon Voyage) = 「よい旅を!」   メルシー(mer・ci) = 「ありがとう!」

ちょっと面白いと思ったのは、
当時 <"○○シリーズ "で行こう!> などというのがあったのか、
『喝采』 と同年の5月に発売された 『禁じられた恋の島』 が、桟橋 ・ ドラ ・ 出船 と <船>。
『喝采』 が <汽車>。
『劇場』 が <船> → <バス> → <汽車> の乗り継ぎ。
そしてこの 『夜間飛行』 が <飛行機>。
続けて "乗り物シリーズ" のようになっているという指摘でした。
ひとつの歌だけでなく、いろいろな歌を聞き比べてみると、
あんがい面白い発見があるのかもしれません。
現に、
『喝采』 『劇場』 『夜間飛行』 は、「ドラマチック歌謡」の三部作と言われているようです。

1978(昭和53)年、俳優の郷えい治氏との結婚を機 に
「ヒット曲を追うのではなく、自分が歌いたい歌にじっくり取り組みたい!」 と
充電期間 に入ったり、
歌の表現力を広げるために女優活動を したり、
いろいろなジャンルの歌をカバー したり …
自分ら しく歌うことに一生懸命取り組み、
1988(昭和63)年に、本格的に活動を再開 した時は きっと頑張ろうと思ったに違いないのに、
1992(平成4)年にご主人を亡くされてからは ずっと芸能活動休止状態!
愛する人を失ったショックによるものと言われ続け、
今でこそ その歌唱力が神の如く言われ、惜 しまれるようになっていますが、
ちあきさんは どこまで 歌いたい歌が歌えていたのかどうか!?
彼女の扱いが 本当に いいものであったのかどうか!?
そんな点を疑問に思われる方も多いと伺っています。

心から傷ついたのは <人> に対 してかも しれません。
真相は 本人 しか知り得ないものなのかも しれません。

復活を熱望 しながらも、
いつまでも癒えない傷もある … ということもわかるので、
複雑な心境のまま 望みを繋いでいます。

                  公式には無理だとしても 好きな歌は 歌っていてほしい!
                        一緒に カラオケにで も 行けたら良いのにな~ なんちゃって!






イラスト素材の一部は、下記を利用させていただいています。
   「イラスト工房」 「イラスト市場」


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コメント (2)
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駄菓子屋さん話  ― バス通り裏 ―

2010-04-25 | 懐かしいお話
映画 「三丁目の夕日」 でお馴染みの 1958(昭和33)年頃には
どこの町内にも <駄菓子屋>さん と呼ばれるお店の存在がありました。
販売対象者は 小学生くらいまでの子供たち。
そんな子供たちは、幼稚園や学校が終わると カバンを家に置き 小銭を握り締め、
自分たちが欲 しい物を求めて 駄菓子屋さんへと急ぐ … というのが
日課のようになっていたのではないかと思います。

                        

いつ頃出来たものなのか ということについては、 はっきりとは わからないそうですが、
江戸時代、飴を売り歩いていた商人が かざぐるまのような ちょっとしたおもちゃを扱ったり、
客引きのために 芸を見せることも あった ということから、 これが <駄菓子屋>さんの、
そして <チンドン屋>さんの 原型 ではないかとも いわれているようです。
明治・大正時代に入ると、日本の工業化が進み、
それに連れて タバコ屋さんや、文房具屋さんなどの 店舗のかたわらで、
駄菓子を販売するお店も 多くなっていったと いわれています。

私が知っている頃は もう駄菓子屋さんは 単独商売のお店 でしたが、
営業時間は 日の出から日没まで の <子供たちが外で遊ぶ時間> というのが 通常だったようで、
改めて、「そ~だったのね~!」 と感心 し、「そ~だったのか~!」 と納得!

お店を開いていたのは 何故か おばあちゃん ないしは おじいちゃん という場合が多く、
こういったお店の ほとんどは 自宅と繋がっていて、
お店の奥には 障子で区切られ ちょっと高くなっている居間が ありました。
おばあちゃんやおじいちゃんは、普段は そこにいて
子ども達が来ると お店に下りて来て 応対を してくれたものでした。

私が高校生の頃には
規則を破って 授業の合い間や 昼食時間に 菓子パンやお菓子を買いに 抜け出す生徒が続出 し、
問題になったことがあるくらい 高学年にも人気がありましたから、
子ども達の目につきやすい学校の近くなどに存在して 幅広い年齢に愛されていたのではないかと思います。
   私も お昼休みに 友人と一緒に パンを買いに走ったことがありましたが、学校を抜け出すというのは
   内心 かなりの勇気が必要で、今 思い返 してみても、 「この度胸無しの私がよくやれたな~!」、
   「まるで <度胸試し>みたいだったんだろうな~!」 と 苦笑 してしまいます。
   これも友人がいてくれたから できたこと! そんな彼女とは、今も 3代続くお付き合いを しています。


娘たちが まだほんの小さかった頃にも 駄菓子屋さんが一軒と、
パン屋さんを しながら 駄菓子も売っているようなお店が 二軒ほどありました。
けれども 娘たちの成長と共に、
パン屋さんの横で売られているのは きちんと包装されたお菓子ばかりになってゆき、
純粋に 駄菓子だけを売る というお店は 無くなっていって、
そのうちに、
もっと大きい子たちがタムロする、<ゲーセン>を兼ねたようなお店になってしまったところも出てきたりして、
小さい子は入り難く、大人から見ても あまり良い環境には思えなくて、敬遠するようになりました。

早いもので、<三丁目の夕日の頃>から 半世紀が経過 してしまいましたから、
日本全国 どこを探 しても もう あの頃のような駄菓子屋さんは 残っていないことでしょう!

今でも ショッピングモールや 駅ビルや 商店街のアーケードの中などに
<駄菓子屋> と書かれ チェーン店化 しているお店などが あったりは します。
けれども さすがは現代。
衛生面に気を配らないと売れないので 一つ一つ きちんと包装されていて きれいです。
華やかな彩りの品物が た~くさん。 陳列もきれいで、つい寄って見たい気持ちにはなるんですが、
昔の、あの雰囲気 が忘れられないから、<何か違う!>と感 じてしまいます。
   懐かしさはあるんですが、どこか違うと感 じるのは、 <商売>と<人情>の違いで しょうか!?
   それでも 今の子供たちにとっては これが駄菓子屋さんであり、
   ちいさな子どもたちには、やっぱりここが ワクワクする楽 しさを くれるお店なんでしょうね。


昔は 毎日もらう お小遣いや、一回のお手伝いで得たお駄賃で 何かしら買えたくらいの値段でした。
駄菓子だけでなく、おもちゃ や くじなどもあったので、それらを見に行くことも、貯めて買いに行く ことも、
おばあちゃんや おじいちゃんと お話することも 楽 しみのひとつでした。
友達も 誰かしら来ていたりして、あれやこれやと いじりまくっていた子も いたな~ と 思い返せば懐かしい!
   当時は、少ないお小遣いを体温が移るほど握り締めながら 何を買おうかと 迷って触りまくる子供たちを
   嫌な顔もせず 目を細めながら見守ってくれている 暖かさがありましたし、
   むき出しのお菓子の衛生面の問題も、砂埃にまみれになって遊んでいた当時の子どもたちからしたら、
   「そんなことで 病気になるほど 弱っちくないぞ~!」ってところだったことでしょう。
   活気があって セコセコ したところのない、あったかい時代だったな~! などと思い返すと、
   過保護は 弱い人間を作るもと なんじゃないかと思えてきます。




もう駄菓子屋さんから 遠退いてしまっていた頃、
「ビックリマンチョコ」 の話題が ニュースで流れて びっくりしたことがありました。
   「これぞ <ビックリウーマン>だ~!」 って …、つまらないシャレ!
シールが欲 しいために チョコを買いあさり、中味のお菓子は 食べずに 捨ててしまう!?
爆発的な人気となっていたため 売り切れも続出し、そのために お店のハシゴまでする!?
10円持って買いに行くことが嬉しかった 私の<幼かりし頃>とは大違い!
自分の大事なお金の中でやりくりするということが自然と出来ていた時代に育った人間から見たら
「なんて勿体ないことをするんだろう!」 と憤りを覚えるような信じられないお話でした。
   シリーズもの にすると 俄然 集めようとする人が増えるので 人気沸騰となります。
   販売側には嬉しい悲鳴でしょうが、子供たちの お金の使い方や 考え方の変化への影響を
   考えさせられました。

 ※ <ビックリマンチョコ>は、1977年、ロッテから 「どっきりシール」 入り 一個30円 で 発売され、
   1985年発売の 10代目 「悪魔VS天使シール」 から 特に全国的に大流行となりました。
    ・シリーズが進むにつれてキャラクターがパワーアップするというストーリー性とゲーム感満載の魅力。
    ・2ヶ月ごとに変わる <天使><悪魔><お守り> が 組となった 各12種ずつのカードのうち、
     悪魔の4分の1の割合でしか入っていなかったという キラキラ光る天使シールの魅力。
    ・更に 40個入り1箱に 1~2枚しか入っていない レアな <ヘッド> シールの希少価値。
   コレクションしたくなるような魅力は 十分にあったものと思われます。
   その後 50円、80円と値上げされ、現在でも 31代目?くらいになって発売されているようです!



お店の中は コマゴマとした商品で溢れ、
天井から吊り下げられていたり、アルミ蓋の丸いガラス瓶、紙の箱、ガラス板がハマった木の陳列箱 など 
いろいろな物に入れられていて 見て回るだけでも楽 しかったものでした。

  

駄菓子屋さんには どんな物が あったんだろう!?
考えてみたけれど、いざ書こうと思うと 正式名称が わからない物 だらけ!
特に お菓子類などは ???
年代的にも ゴチャマゼになっている気もしますし、
よく考えると 駄菓子屋さんに置いてあったものだったのかがよくわからなくなってしまった物もあります。
それでも 懐かしいので わかる物だけでも 挙げてみたくなりました。

                               
おはじき ・ お手玉 ・ 時計 ・ 糸電話 ・ ちえの輪 ・ 指輪 ・あやとりの紐 ・ ゴム飛びのゴム ・ 縄跳びの縄 ・
金魚すくいセット ・ 万華鏡 ・ キューピー人形 ・ 人形 ・ 空気を入れるビニール人形 ・ 羽子板と羽根 ・ お面 ・
ぬりえ ・ 折り紙 ・ モール ・ おもちゃのお金セット ・ おままごと道具 ・ お財布 ・ 紙せっけん ・ 水中花 ・
リリアン ・ チェーンリング ・ シャボン玉 ・ ロウ石 ・ 犬棒かるた ・ かるた ・ トランプ ・ スライド数字パズル ・
ビー玉 ・ メンコ ・ ベーゴマ ・ コマ ・鉄砲 ・ 銀玉鉄砲 ・ 水鉄砲 ・ 竹筒水鉄砲 ・ パチンコ ・ グライダー ・
しょうのう船 ・ ぽんぽん船 ・ ゴム巻きで飛ばす飛行機 ・ ブーメラン ・ 竹とんぼ ・ ヨーヨー ・ スプリング ・
でんでん太鼓 ・ はしごダルマ ・ マユ玉コロコロ ・ カタカタ ・ ダルマ落し ・ 輪投げ ・ かざぐるま ・ モーラ ・
吹き上げパイプ ・ マジックハンド ・ パンチングピストル ・ けん玉 ・ 南京玉すだれ ・ ぴょんぴょんカエル ・
カラーボール ・ スーパーボール ・ パンチボール ・ ポリバルーン ・ ブーブークッション ・ 吹き上げパイプ ・
ブリキのおもちゃ(金魚ジョーロ・バケツ・アヒル・カエル・車・電車・船・飛行機・ロボットなど) ・ 笑い袋 ・
ぜんまいおもちゃ(車・電車・船・飛行機・ロボットなど) ・ 紙風船 ・ ゴム風船 ・ 水風船 ・ ロケット風船 ・ 
笛 ・ 小鳥の水笛 ・ 巻き鳥笛[吹くと前方が伸びる] ・ ようかいけむり[親指と人差し指で触ると煙が出る] ・
ヘリコプター[竹とんぼのように羽根を飛ばす] ・ カチカチクラッカー[糸で結んだふたつの玉をぶつけ合う] ・
カメレオン棒[振ると伸びてまた戻るカラーテープを巻いたような棒] ・

花火
    ・線香花火 ・ ロケット花火 ・ へび花火 ・ カンシャク玉 ・ スモーク ・ 連発花火 ・ ドラゴン噴出花火
     絵柄がクルクルと回転する花火 など 1個売りからセットまで
く じ
    ・紙の箱に入っている三角くじの ミシン目を開けると、台紙に貼り付けられていたおもちゃが 当たる。
    ・30~40個に区切られた箱の好きなミシン目を押し開けると、中に入っている指輪などが 当たる。
    ・台紙に たくさん貼られている 紙を丸めて作った ちっちゃなクロワッサンのようなくじを引くと、
     別の台紙に貼り付けられていた お人形の付属品や おもちゃなどが 当たる。
おたのしみ袋
    ・天井から吊り下げられた 中身のわからない いくつかの紙の束。
     中には アイドル・野球選手・キャラクターなどのブロマイドやカード、刺青などの移し絵シール、
     ようかいけむり などが入っていて、それぞれの束は選べるが 買って開けないと中身は わからない。
紐くじ
    ・紐を引いて 水槽のようなカラスケースの中に入っているおもちゃを 引き当てる。
      ちょっと ウサンクサク見えてしまうのは 私だけ!?

  

                               
真っ赤な麩菓子 ・ 黒糖麩菓子 ・ うまい棒 ・ 飴(イチゴ飴・水飴・あわ玉・ペロペロキャンディーなど) ・
ビンのラムネ ・ ラムネ ・ 笛ラムネ ・ 金貨チョコ ・ 粉末ジュース ・ ソースせんべい ・ 梅ジャム ・ あんず棒 ・
1個ずつ箱に入った大きな玉ガム ・ 綿ガム ・ 酢イカ ・ 都こんぶ ・ さくら大根 ・ スモモ ・ よっちゃんいか ・
棒きな粉 ・ 串カステラ ・ 型抜き ・ ココアシガレット ・ 棒ゼリー ・ コーラゼリー ・ ムギムギ ・ カルミン ・
アイスキャンディー ・ ホームランバー[棒のヒットの刻印4本、ホームランの刻印1本で もう1本もらえる]

糸引き
    ・束ねられた糸を選んで引くと 大小差のあるイチゴ飴や、お菓子が当たるというものもあった。
きな粉まぶしのあんこ玉
    ・中に ピーナツだか 玉だかが入っていたら もう一回 選べ、当たれば何個でも もらえた。
    ・当たると 大きな物が もらえたものも あったような??
型抜き
    ・小さなピンク色の四角い板状菓子の表面に描かれた 動物などの<型>の周囲を、針など を使って
     割らずに抜き取 れば景品などがもらえるというもの。
     澱粉と砂糖で作られているので食べられはするが、本来 食べるために作られたのではなく、
     作り手には高度な職人技が、遊ぶ側にも高度なテクニックが求められた不思議なお菓子でした。

浅草に住んでいた旧友などは、
お店の一角に もんじゃ焼きを作れるコーナーがあって人気だったと言っていました。
一時期、 お店の端っこに 綿菓子機 が 置いてあったことも ありました。


そんな駄菓子屋さんも、 1980(昭和55)年以降、減少 していってしまいました。
  ・少子化の影響。
  ・子供たちの 遊びや嗜好の変化。
  ・子供自信が 経済的に豊かになった。
  ・コンビニエンスストアの増加と共に、スナック菓子など衛生的な商品が豊富に販売されるようになった。
  ・駄菓子やおもちゃが <程度の低いもの> として 保護者らに嫌われていった。
  ・住居兼用で営む おじいちゃん、おばあちゃんが減少し、後継者不足となった。
原因 には いろいろあったようです。

     ※ 子供時代に慣れ親しみ、残 したいものの代表のように思える 駄菓子屋さん。
       無くなってしまったのは残念だな~というお話でしたが、
       書いていたら ずいぶん時間がかかったわりには まとまらないものになってしまいました!
       なお、写真は 伊香保の 『おもちゃ博物館』 で撮ったものを使用 しています。


                     今はもう <昔のまんま>というのは 無理な時代です!
                 で も、いろいろ眺めて選ぶ楽しさは残してお いてあげた いですね!



      ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

3丁目の夕日 … の年には こんな歌が流れていたんですね~!
1958(昭和33)年、
     中原美紗緒、ダーク・ダックス 『バス通り裏』
                   (作詞 = 筒井敬介 さん/作曲 = 服部 正 さん)

「小さな花を まんなかに  おとなりの窓 うちの窓
                     いっしょにひらく 窓ならば  ヤー こんにちはと 手を振って」
    「こんなせまい バス通り裏にも  ぼくらの心が かよいあう」
「小さな花を まんなかに  おとなりの窓 うちの窓
                     むこうがとじた 窓ならば  なぜだろうかと ふりかえる」

   まったくの日常生活を描いたホームドラマ。
     当時は 朝の挨拶から始まって、ご近所を気にかけることが 普通に出来ていた時代でしたが
     今では プライバシーなどの問題もあって こんな<心の交流>が出来ていないことが多くなり、
     そういう心を取り戻すのも難しい時代になってしまいました!
                                       (※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)
                               
第1回 <日劇ウエスタンカーニバル>が開催され、<ミスター>が巨人軍に入団 し、
人気少年漫画のドラマ化 「月光仮面」や、2週完結のドラマ 「事件記者」 が放送開始となり、
<スーパーカブ> <スバル360>、<チキンラーメン> <プラッシ->、<フラフープ> などが発売され、
世界初の海底<関門トンネル>が開通 し、東京-大阪間で<特急こだま>が運転を開始。
浅間山が大爆発 し、 現天皇・皇后両陛下のご婚約が発表されて <ミッチーブーム>となり、
一万円札が発行され、 そして、東京タワーが完成 した この年。
NHK総合テレビで4月から生放送が開始された 全1395回(5年間)にも及ぶ ホームドラマがありました。
   ※ 初めは 月曜日から金曜日までの平日 19:15~19:30 に放送されていましたが、
     1960(昭和35)年からは土曜日の同時刻にも放送されるようになったようです。

様々な人が集う場所ということで、美容院の家族を設定した制作側には 道徳的教育番組としての意図が
あったそうですが、視聴者側はホームドラマとして観ていたようでした。
十朱幸代さん、岩下志麻さん、田中邦衛さん、米倉斉加年さん、常田富士男さん、荒木一郎さん、
佐藤英夫さん、宗方勝巳さんといった早々たる面々が出演されていますが、当時はまだ無名に近く、
連日拘束しなくてはならないことから、掛け持ちもさせないよう 有名でない人として選ばれていたそうです。
主題歌は、隔週で脚本を書いていた 筒井啓介氏が作詞を手がけていらっしゃいます。
ドラマは覚えていない私も、歌だけは覚えています。
なお、主題歌を歌っていらっしゃる中原さんはシャンソン歌手で、
人気少女漫画をドラマ化した 『あんみつ姫』で主演を演じている方です。
                (1958.12~1960.10)
            『あんみつ姫』 には憧れました ~! 好きだったものは ちゃんと覚えてるんですね!





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