― 歌・種・記・文 ― (うたたね きぶん)

日々の中で感じたことを書き留めた自分のための雑記帳。
記憶を鮮明にさせてくれる画像や思いが大事な宝物になっています。

ニャン達が元気なことに感謝する猫の日

2024-02-22 | ロック・ユキ丸・チャチャ丸 話
 
今日は 猫の日
猫好きさんだけでなく
今ではかなり知れわたってきている日となりましたが
ニャンニャンニャンという猫の鳴き声の語呂合わせから決まった
というものなので 日本だけで通用する記念日。
当の本猫たちにはあまり関係ないように思うところもありますが
多頭飼いをしている私にとっては
個々に祝うお誕生日とはまた別に
3匹が元気で傍にいてくれる幸せに改めて感謝する日となっています。


三匹一緒にいると とても微笑ましく見えます。

「そうですかー!」って言ってそうな顔です。


くっついたスリーショットは なかなか撮ることが出来ないので
見つけた時は ハッとしますが

携帯を取って戻って来た時には

位置が変わっていることも多々。 揃っていればまだいいほうと言えます。

あまり気にしないチャチャ丸くんに比べてずっと意識してるっぽいロックお嬢。      
美人に撮らないと怒る? だけど最近 みんなちゃんと撮らせてくれないんだもの!       

      ユキちゃんだって いまだ 反射的に逃げ腰になるし…!
      だけど それが可愛くて思わず笑っちゃいます。

いつまでも元気でいてほしい 我が家の大事な子たちです。



母のこともあって気持ちが沈みがちでしたが
この子たちの入れ代わり立ち代わりの甘えっぷりが
まるで慰めてくれているようで本当に癒されました。
ありがとう。
これからもよろしくね!


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旅立ちはやはりあっけないと感じるものですね

2024-02-08 | 孫・家族 に関するお話
 
母が天国へと旅立ちました。

   認知機能の低下で 今接しているのが誰なのか 自分が今どこにいて何をしているのか
   わからなくなることも増え 家にいても「帰りたいんですけど…!」などと言ったり
   足元が安定しないのに ひとりで歩いて 家の中で転倒骨折してしまったり、
   飲み込む力も低下して むせたり吐いたり…
   高齢者が抱える疾患が いくつか重なってきていました。
   そして あまり間が空かずに 誤嚥性肺炎で二度目の入院!

   飲み込んでは危険だからと入れ歯を外されていたので明解ではないものの
   初めは 「帰りたい!」「喉が渇いた!」という言葉が多めでした。
   でもこの日以降 記憶の線は繋がっているように思えました。
   しかし次の日には血中酸素濃度の低下で酸素マスクに…
   それでも意識ははっきりしていて 孫 (娘) たちが会いに来てくれた日には
   大丈夫なんだろうかと心配になるほど切れ間なくおしゃべり!
   時々昔と混同しているようなこともありましたが とても楽しそうでした。

   ところが 翌日からは 息が苦しくておしゃべりが出来なくなってしまって
   妹と交代でずっと付き添うようになりました。
   それでも 握る力は強く、聞いたことに応えてくれる対応はしてくれていました。
   入院から五日目、呼吸がかなり苦しそうでしたが モニター画面にさほどの変化はなく、
   妹の娘たちが会いに来たので ゆっくり夕食をとってきていいと自宅へ返し
   夕方からは私がひとりで見ていました。
   意識があるのかないのかはわからないながらもずっと話しかけ続けていたら
   薄目を開けて何か言いたそうにじーっと見つめている時間がありました。
   そして18時過ぎ 心臓の数値が少しずつ下がってきて…
   妹たちが到着して わずか10秒ほどで旅立って行ってしまいました。


その後 葬儀社に電話して 病院から見送り、翌日は早朝から打ち合わせ。
火葬場、お寺、葬儀社。
調整して 6日後にお通夜、7日後の早朝に告別式と決まりました。

それにしても 病院、葬儀社、火葬場の対応は どこも 慣れ過ぎ感が強いなー!  
父の時に思わされたことを 再び感じさせられた気がしました。  

   病院では 夜勤勤務の人の数が少ないのか
   ナースコールを連打しても看護師がなかなか来ず、
   ベッドサイドのモニターが危機を知らせているにも拘らず
   やっと来た看護師は「なんですか?」と言う。
   しかも危機的状況が見て取れるのに
   「あらお熱が高いみたいですね!」「氷枕持ってきて冷やしましょうね!」
   通常の患者さんと変わらない応対ぶりに愕然!
   〔今の今 緊急でやらなければいけない最大のことがそれなんでしょうか!?〕
   けっきょく 緊急時的対応らしきものはなく 先生がいらしたのも 死亡時間の確認の時。
   事前に無理矢理の延命処置はしなくていいとは言ったものの
   〔駆けつけて付き添って看取ってくれるのかと思っていたのに そんなものなんだ!?〕
   なんだか割り切れない切なさが残りました。

   葬儀社の営業マンは「お寺が関わっている場合 ここから下は使えません」と
   パンフレットに記載されている下半分ほどのランクをバッサリと切り、
   しかも「これだと遺影を彩るお花が淋しめですよ」とか
   「お通夜や葬儀までの間に排出物が出てもこれだと処理ができませんよ」とか
   上のランクに持って行こうとするあまり 家族には非情と思える対応ぶりとなり
   悲しみに暮れているのに腹が立つという矛盾を感じる結果となりました。
   その上 ランク別の額が父の時より格段に高くなっていたのにも驚愕!
   聞くと「お棺もお花代も上がっているので…!」と説明されました。
   どこもかしこも値上がりしているので仕方がないとは思うのだけれど
   やはり驚かされます。
  ※(今回コメントをいただいたことから 書き忘れていたことを追加しました。)
   不思議に思えたのは 父の時にあんなに勧められたエンバーミング。
   今回の営業マンからは なぜか「お勧めしていません!」と言われました。
   〔今はしなくなったの?〕と思ったら 葬儀社にはちゃんとパンフレットが
   置かれていて〔営業的にいったら これを勧めたほうがよかったんじゃないの??〕
   と思ってしまいました。
   母には何度も面会に行きましたが 母がお棺に入ったのはお通夜の前々日でした。
   それまでは病院から運ばれる際に着替えた浴衣のまま白い布で包まれての対面。
   触れられる状況でしたが 心配をよそに 当日まで とてもきれいな様相でした。
   そして式の際に遺影を彩ったお花たちも 女性らしい色合いが使われた いい仕上がり。
   営業マンの口ぶりからは不安が生じた点もありましたが
   現場との間には差があることもわかった気がしました。
   
   父の時にもお願いしたお寺のご住職がとても丁寧な方で、
   お通夜の時 現代語訳付きの仏遺教経をくださったり いろいろお話をしてくださったり…
   そのため告別式も長引いて 火葬の時間がギリギリに…!
   到着と同時に炉の前に運ばれて慌ただしいようなお別れとなりました。
   1時間半ほど待って収骨。
   その際 お骨を収集される方の動きがまるでパフォーマンスのようで 違和感!
   なぜ骨壺が置かれたテーブルの上だけ 灰まですべて集めました感を出すんでしょうか?
   そこまでするなら初めの段階でもっとしっかり集めてくれたらいいのに…!
   何度か立ち会ったけれど みんな同じ表現をされているのにも違和感を覚えてしまって
   とても切なく感じられました。


親族にとってはたった一人の家族だけれど
人は仕事の経験が増えていくうちに その場や職に慣れてしまって
寄り添うはずのお仕事であっても
通常仕事という気持ちになってしまうんでしょうか!?
みんながみんなとは思わないけれど 心が弱っている時なので
こういったことにはとても敏感になってしまいます。

   
口の中の細菌が肺に入り込むと肺炎に繋がるからと 日に数回行われる 口腔ケア。
起こして脱がせて拭いてなどが行われているものと思われる着替え。
オムツを取り替えるだけでも本人の負担は大きそうに思えました。
その時によって変わると思われる楽な姿勢。
ベッドの角度や枕の高さなどを看護師さんは本当にわかっているのだろうか?
疑問を感じることも何度かありました。
身内を外に出して いろいろやっていただくことも
チェックシートに従っているようなので
本当に苦しそうで大丈夫なのかと心配になる時には
今それは本当に必要なのかと思ってしまうこともありました。
息をするのも苦しい時の口腔ケアはどれだけきついことか!
数値も落ちてきてしまうためか 酸素濃度をいっぱいにあげたらしい痕跡を
亡くなった後で見つけ、それもまた苦しかったのではないかと思ってしまいました。
もちろん看護師さんも大変だろうなと思うので感謝はしていますが
いろいろと感じてしまう点があったのも事実でした。


娘が生まれてから、父と母のことは いつしか
おじいちゃんとおばあちゃんと呼ぶようになりました。
だから 母が天国に行ってしまいそうになった時も
何度も「おばあちゃん!」と呼びかけ、近くに置いてあった父の写真に向かって
「ちょっと おじいちゃん、まだ連れて行かないで!」と叫んでいました。
妹たちがギリギリ間に合うことが出来たのは
母が頑張ってくれたのか 父が頑張ってくれたのか…
とにかく私一人だけの寂しい見送りは回避されて
一時的でしたが安堵と脱力感に襲われました。
本当に みんなが驚くほど頑張った母でした。

(追加分)
葬儀社にいらした高齢の従業員さんの丁寧な対応ぶりにはとても好感が持てました。
今回の葬儀は あまりないという 早朝の8時から。
私が出向いたのはその1時間前で 従業員はその少し前にいらしたようでした。
告別式が始まりお経 そしてお焼香。
次に初七日の法要も行われ お経の後のお焼香へと流れていきました。
すると 住職が私たちに手で合図を送るという場面があって〔ん?〕となりましたが
後で聞いたら 従業員の二人がうたた寝をしていたそうで、
気づくのが少し遅れて 慌てて勧めにくるという状況になっていたようでした。
早朝とはいえお仕事なんだから…と思う点もありますが
良くしていただいたひいき目なのか
出勤時間とお経…は 親族でもなければ眠くなるだろうね!と
張りつめていた中でのホッコリとした笑い話になりました。


母は まだ父の元には行きたくないと言っていました。
まだまだこちらで楽しみたいと…!
だから父と再会する前に 好きなように動き回ってほしいなと願いました。


母は まだ父の元には行きたくないと言っていました。
まだまだこちらで楽しみたいと…!
だから父と再会する前に 好きなように動き回ってほしいなと願いました。


お骨になるのを待つ間 精進落としの会食をしていたら
ひっきりなしに収骨案内のアナウンスが聞こえてきて
亡くなる方の多さに驚かされました。
今は控室で収骨の案内があるまで待つ形式が増えているようです。
 

パソコンに向かいたくなくて 書いても投稿したくなくて…
このまま放ったらかしにしようかと思いましたが
父の時に書いていたので
その時の思いとして載せておくことにしました。


  
旅立ちは やはりあっけないと感じるものですね!
亡くなってしまったことは悲しいけれど
あの高齢であの頑張りには 心底 敬意を表したいと思います。
今は楽になって好きなことをしていると信じたい!


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