どこの町内にも <駄菓子屋>さん と呼ばれるお店の存在がありました。
販売対象者は 小学生くらいまでの子供たち。
そんな子供たちは、幼稚園や学校が終わると カバンを家に置き 小銭を握り締め、
自分たちが欲 しい物を求めて 駄菓子屋さんへと急ぐ … というのが
日課のようになっていたのではないかと思います。
いつ頃出来たものなのか ということについては、 はっきりとは わからないそうですが、
江戸時代、飴を売り歩いていた商人が かざぐるまのような ちょっとしたおもちゃを扱ったり、
客引きのために 芸を見せることも あった ということから、 これが <駄菓子屋>さんの、
そして <チンドン屋>さんの 原型 ではないかとも いわれているようです。
明治・大正時代に入ると、日本の工業化が進み、
それに連れて タバコ屋さんや、文房具屋さんなどの 店舗のかたわらで、
駄菓子を販売するお店も 多くなっていったと いわれています。
私が知っている頃は もう駄菓子屋さんは 単独商売のお店 でしたが、
営業時間は 日の出から日没まで の <子供たちが外で遊ぶ時間> というのが 通常だったようで、
改めて、「そ~だったのね~!」 と感心 し、「そ~だったのか~!」 と納得!
お店を開いていたのは 何故か おばあちゃん ないしは おじいちゃん という場合が多く、
こういったお店の ほとんどは 自宅と繋がっていて、
お店の奥には 障子で区切られ ちょっと高くなっている居間が ありました。
おばあちゃんやおじいちゃんは、普段は そこにいて
子ども達が来ると お店に下りて来て 応対を してくれたものでした。
私が高校生の頃には
規則を破って 授業の合い間や 昼食時間に 菓子パンやお菓子を買いに 抜け出す生徒が続出 し、
問題になったことがあるくらい 高学年にも人気がありましたから、
子ども達の目につきやすい学校の近くなどに存在して 幅広い年齢に愛されていたのではないかと思います。
私も お昼休みに 友人と一緒に パンを買いに走ったことがありましたが、学校を抜け出すというのは
内心 かなりの勇気が必要で、今 思い返 してみても、 「この度胸無しの私がよくやれたな~!」、
「まるで <度胸試し>みたいだったんだろうな~!」 と 苦笑 してしまいます。
これも友人がいてくれたから できたこと! そんな彼女とは、今も 3代続くお付き合いを しています。
娘たちが まだほんの小さかった頃にも 駄菓子屋さんが一軒と、
パン屋さんを しながら 駄菓子も売っているようなお店が 二軒ほどありました。
けれども 娘たちの成長と共に、
パン屋さんの横で売られているのは きちんと包装されたお菓子ばかりになってゆき、
純粋に 駄菓子だけを売る というお店は 無くなっていって、
そのうちに、
もっと大きい子たちがタムロする、<ゲーセン>を兼ねたようなお店になってしまったところも出てきたりして、
小さい子は入り難く、大人から見ても あまり良い環境には思えなくて、敬遠するようになりました。
早いもので、<三丁目の夕日の頃>から 半世紀が経過 してしまいましたから、
日本全国 どこを探 しても もう あの頃のような駄菓子屋さんは 残っていないことでしょう!
今でも ショッピングモールや 駅ビルや 商店街のアーケードの中などに
<駄菓子屋> と書かれ チェーン店化 しているお店などが あったりは します。
けれども さすがは現代。
衛生面に気を配らないと売れないので 一つ一つ きちんと包装されていて きれいです。
華やかな彩りの品物が た~くさん。 陳列もきれいで、つい寄って見たい気持ちにはなるんですが、
昔の、あの雰囲気 が忘れられないから、<何か違う!>と感 じてしまいます。
懐かしさはあるんですが、どこか違うと感 じるのは、 <商売>と<人情>の違いで しょうか!?
それでも 今の子供たちにとっては これが駄菓子屋さんであり、
ちいさな子どもたちには、やっぱりここが ワクワクする楽 しさを くれるお店なんでしょうね。
昔は 毎日もらう お小遣いや、一回のお手伝いで得たお駄賃で 何かしら買えたくらいの値段でした。
駄菓子だけでなく、おもちゃ や くじなどもあったので、それらを見に行くことも、貯めて買いに行く ことも、
おばあちゃんや おじいちゃんと お話することも 楽 しみのひとつでした。
友達も 誰かしら来ていたりして、あれやこれやと いじりまくっていた子も いたな~ と 思い返せば懐かしい!
当時は、少ないお小遣いを体温が移るほど握り締めながら 何を買おうかと 迷って触りまくる子供たちを
嫌な顔もせず 目を細めながら見守ってくれている 暖かさがありましたし、
むき出しのお菓子の衛生面の問題も、砂埃にまみれになって遊んでいた当時の子どもたちからしたら、
「そんなことで 病気になるほど 弱っちくないぞ~!」ってところだったことでしょう。
活気があって セコセコ したところのない、あったかい時代だったな~! などと思い返すと、
過保護は 弱い人間を作るもと なんじゃないかと思えてきます。
もう駄菓子屋さんから 遠退いてしまっていた頃、
「ビックリマンチョコ」 の話題が ニュースで流れて びっくりしたことがありました。
「これぞ <ビックリウーマン>だ~!」 って …、つまらないシャレ!
シールが欲 しいために チョコを買いあさり、中味のお菓子は 食べずに 捨ててしまう!?
爆発的な人気となっていたため 売り切れも続出し、そのために お店のハシゴまでする!?
10円持って買いに行くことが嬉しかった 私の<幼かりし頃>とは大違い!
自分の大事なお金の中でやりくりするということが自然と出来ていた時代に育った人間から見たら
「なんて勿体ないことをするんだろう!」 と憤りを覚えるような信じられないお話でした。
シリーズもの にすると 俄然 集めようとする人が増えるので 人気沸騰となります。
販売側には嬉しい悲鳴でしょうが、子供たちの お金の使い方や 考え方の変化への影響を
考えさせられました。
※ <ビックリマンチョコ>は、1977年、ロッテから 「どっきりシール」 入り 一個30円 で 発売され、
1985年発売の 10代目 「悪魔VS天使シール」 から 特に全国的に大流行となりました。
・シリーズが進むにつれてキャラクターがパワーアップするというストーリー性とゲーム感満載の魅力。
・2ヶ月ごとに変わる <天使><悪魔><お守り> が 組となった 各12種ずつのカードのうち、
悪魔の4分の1の割合でしか入っていなかったという キラキラ光る天使シールの魅力。
・更に 40個入り1箱に 1~2枚しか入っていない レアな <ヘッド> シールの希少価値。
コレクションしたくなるような魅力は 十分にあったものと思われます。
その後 50円、80円と値上げされ、現在でも 31代目?くらいになって発売されているようです!
お店の中は コマゴマとした商品で溢れ、
天井から吊り下げられていたり、アルミ蓋の丸いガラス瓶、紙の箱、ガラス板がハマった木の陳列箱 など
いろいろな物に入れられていて 見て回るだけでも楽 しかったものでした。
駄菓子屋さんには どんな物が あったんだろう!?
考えてみたけれど、いざ書こうと思うと 正式名称が わからない物 だらけ!
特に お菓子類などは ???
年代的にも ゴチャマゼになっている気もしますし、
よく考えると 駄菓子屋さんに置いてあったものだったのかがよくわからなくなってしまった物もあります。
それでも 懐かしいので わかる物だけでも 挙げてみたくなりました。
おはじき ・ お手玉 ・ 時計 ・ 糸電話 ・ ちえの輪 ・ 指輪 ・あやとりの紐 ・ ゴム飛びのゴム ・ 縄跳びの縄 ・
金魚すくいセット ・ 万華鏡 ・ キューピー人形 ・ 人形 ・ 空気を入れるビニール人形 ・ 羽子板と羽根 ・ お面 ・
ぬりえ ・ 折り紙 ・ モール ・ おもちゃのお金セット ・ おままごと道具 ・ お財布 ・ 紙せっけん ・ 水中花 ・
リリアン ・ チェーンリング ・ シャボン玉 ・ ロウ石 ・ 犬棒かるた ・ かるた ・ トランプ ・ スライド数字パズル ・
ビー玉 ・ メンコ ・ ベーゴマ ・ コマ ・鉄砲 ・ 銀玉鉄砲 ・ 水鉄砲 ・ 竹筒水鉄砲 ・ パチンコ ・ グライダー ・
しょうのう船 ・ ぽんぽん船 ・ ゴム巻きで飛ばす飛行機 ・ ブーメラン ・ 竹とんぼ ・ ヨーヨー ・ スプリング ・
でんでん太鼓 ・ はしごダルマ ・ マユ玉コロコロ ・ カタカタ ・ ダルマ落し ・ 輪投げ ・ かざぐるま ・ モーラ ・
吹き上げパイプ ・ マジックハンド ・ パンチングピストル ・ けん玉 ・ 南京玉すだれ ・ ぴょんぴょんカエル ・
カラーボール ・ スーパーボール ・ パンチボール ・ ポリバルーン ・ ブーブークッション ・ 吹き上げパイプ ・
ブリキのおもちゃ(金魚ジョーロ・バケツ・アヒル・カエル・車・電車・船・飛行機・ロボットなど) ・ 笑い袋 ・
ぜんまいおもちゃ(車・電車・船・飛行機・ロボットなど) ・ 紙風船 ・ ゴム風船 ・ 水風船 ・ ロケット風船 ・
笛 ・ 小鳥の水笛 ・ 巻き鳥笛[吹くと前方が伸びる] ・ ようかいけむり[親指と人差し指で触ると煙が出る] ・
ヘリコプター[竹とんぼのように羽根を飛ばす] ・ カチカチクラッカー[糸で結んだふたつの玉をぶつけ合う] ・
カメレオン棒[振ると伸びてまた戻るカラーテープを巻いたような棒] ・
花火
・線香花火 ・ ロケット花火 ・ へび花火 ・ カンシャク玉 ・ スモーク ・ 連発花火 ・ ドラゴン噴出花火
絵柄がクルクルと回転する花火 など 1個売りからセットまで
く じ
・紙の箱に入っている三角くじの ミシン目を開けると、台紙に貼り付けられていたおもちゃが 当たる。
・30~40個に区切られた箱の好きなミシン目を押し開けると、中に入っている指輪などが 当たる。
・台紙に たくさん貼られている 紙を丸めて作った ちっちゃなクロワッサンのようなくじを引くと、
別の台紙に貼り付けられていた お人形の付属品や おもちゃなどが 当たる。
おたのしみ袋
・天井から吊り下げられた 中身のわからない いくつかの紙の束。
中には アイドル・野球選手・キャラクターなどのブロマイドやカード、刺青などの移し絵シール、
ようかいけむり などが入っていて、それぞれの束は選べるが 買って開けないと中身は わからない。
紐くじ
・紐を引いて 水槽のようなカラスケースの中に入っているおもちゃを 引き当てる。
ちょっと ウサンクサク見えてしまうのは 私だけ!?
真っ赤な麩菓子 ・ 黒糖麩菓子 ・ うまい棒 ・ 飴(イチゴ飴・水飴・あわ玉・ペロペロキャンディーなど) ・
ビンのラムネ ・ ラムネ ・ 笛ラムネ ・ 金貨チョコ ・ 粉末ジュース ・ ソースせんべい ・ 梅ジャム ・ あんず棒 ・
1個ずつ箱に入った大きな玉ガム ・ 綿ガム ・ 酢イカ ・ 都こんぶ ・ さくら大根 ・ スモモ ・ よっちゃんいか ・
棒きな粉 ・ 串カステラ ・ 型抜き ・ ココアシガレット ・ 棒ゼリー ・ コーラゼリー ・ ムギムギ ・ カルミン ・
アイスキャンディー ・ ホームランバー[棒のヒットの刻印4本、ホームランの刻印1本で もう1本もらえる]
糸引き
・束ねられた糸を選んで引くと 大小差のあるイチゴ飴や、お菓子が当たるというものもあった。
きな粉まぶしのあんこ玉
・中に ピーナツだか 玉だかが入っていたら もう一回 選べ、当たれば何個でも もらえた。
・当たると 大きな物が もらえたものも あったような??
型抜き
・小さなピンク色の四角い板状菓子の表面に描かれた 動物などの<型>の周囲を、針など を使って
割らずに抜き取 れば景品などがもらえるというもの。
澱粉と砂糖で作られているので食べられはするが、本来 食べるために作られたのではなく、
作り手には高度な職人技が、遊ぶ側にも高度なテクニックが求められた不思議なお菓子でした。
浅草に住んでいた旧友などは、
お店の一角に もんじゃ焼きを作れるコーナーがあって人気だったと言っていました。
一時期、 お店の端っこに 綿菓子機 が 置いてあったことも ありました。
そんな駄菓子屋さんも、 1980(昭和55)年以降、減少 していってしまいました。
・少子化の影響。
・子供たちの 遊びや嗜好の変化。
・子供自信が 経済的に豊かになった。
・コンビニエンスストアの増加と共に、スナック菓子など衛生的な商品が豊富に販売されるようになった。
・駄菓子やおもちゃが <程度の低いもの> として 保護者らに嫌われていった。
・住居兼用で営む おじいちゃん、おばあちゃんが減少し、後継者不足となった。
原因 には いろいろあったようです。
※ 子供時代に慣れ親しみ、残 したいものの代表のように思える 駄菓子屋さん。
無くなってしまったのは残念だな~というお話でしたが、
書いていたら ずいぶん時間がかかったわりには まとまらないものになってしまいました!
なお、写真は 伊香保の 『おもちゃ博物館』 で撮ったものを使用 しています。
今はもう <昔のまんま>というのは 無理な時代です!
で も、いろいろ眺めて選ぶ楽しさは残してお いてあげた いですね!
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3丁目の夕日 … の年には こんな歌が流れていたんですね~!
1958(昭和33)年、
中原美紗緒、ダーク・ダックス の 『バス通り裏』
(作詞 = 筒井敬介 さん/作曲 = 服部 正 さん)
「小さな花を まんなかに おとなりの窓 うちの窓
いっしょにひらく 窓ならば ヤー こんにちはと 手を振って」
「こんなせまい バス通り裏にも ぼくらの心が かよいあう」
「小さな花を まんなかに おとなりの窓 うちの窓
むこうがとじた 窓ならば なぜだろうかと ふりかえる」
まったくの日常生活を描いたホームドラマ。
当時は 朝の挨拶から始まって、ご近所を気にかけることが 普通に出来ていた時代でしたが
今では プライバシーなどの問題もあって こんな<心の交流>が出来ていないことが多くなり、
そういう心を取り戻すのも難しい時代になってしまいました!
(※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)
第1回 <日劇ウエスタンカーニバル>が開催され、<ミスター>が巨人軍に入団 し、
人気少年漫画のドラマ化 「月光仮面」や、2週完結のドラマ 「事件記者」 が放送開始となり、
<スーパーカブ> <スバル360>、<チキンラーメン> <プラッシ->、<フラフープ> などが発売され、
世界初の海底<関門トンネル>が開通 し、東京-大阪間で<特急こだま>が運転を開始。
浅間山が大爆発 し、 現天皇・皇后両陛下のご婚約が発表されて <ミッチーブーム>となり、
一万円札が発行され、 そして、東京タワーが完成 した この年。
NHK総合テレビで4月から生放送が開始された 全1395回(5年間)にも及ぶ ホームドラマがありました。
※ 初めは 月曜日から金曜日までの平日 19:15~19:30 に放送されていましたが、
1960(昭和35)年からは土曜日の同時刻にも放送されるようになったようです。
様々な人が集う場所ということで、美容院の家族を設定した制作側には 道徳的教育番組としての意図が
あったそうですが、視聴者側はホームドラマとして観ていたようでした。
十朱幸代さん、岩下志麻さん、田中邦衛さん、米倉斉加年さん、常田富士男さん、荒木一郎さん、
佐藤英夫さん、宗方勝巳さんといった早々たる面々が出演されていますが、当時はまだ無名に近く、
連日拘束しなくてはならないことから、掛け持ちもさせないよう 有名でない人として選ばれていたそうです。
主題歌は、隔週で脚本を書いていた 筒井啓介氏が作詞を手がけていらっしゃいます。
ドラマは覚えていない私も、歌だけは覚えています。
なお、主題歌を歌っていらっしゃる中原さんはシャンソン歌手で、
人気少女漫画をドラマ化した 『あんみつ姫』で主演を演じている方です。
(1958.12~1960.10)
『あんみつ姫』 には憧れました ~! 好きだったものは ちゃんと覚えてるんですね!
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