昨年の10月、故郷の愛媛 に帰られた歌仲間のU女史と 1年半ぶりの再会を果たしました。
(以前の再会話の詳細については こちら で ご覧ください。)
早いもので、あれから 1年!
「みんなの歌を聞きたい! 自分の歌も聞いてもらいたい! そう思って働いているの。」
そう言い続けた彼女は 前回の約束どおり、今年もやって来ることになりました。
遠く離れていると諸事情により、
そのうち 「今年は無理!」 とか 「もう行けない!」 なんてことが あるかも しれない!
そういった可能性を否定できないなら、上京 した時くらいは 楽 しませてあげたい!
そんなことを思っていたら、彼女のほうから
「いつものお店の後、Kちゃんの所
(彼女の友人経営のスナック)に行かない?」 と連絡が入りました。
初めは、「前回みたいに また前日も 一緒にいっぱい歌いたいな!」 と言っていた彼女で したが、
次の日の昼と夜を一緒に過ごすとなれば、<2日連続でのスナック通い> は さすがに無理だろうと
察 してくれたようで、<前夜祭話>は自然消滅となりました。
彼女からの当日のお誘いは 何人かにメール送信されていたようで、
まとめ役は 今回も “主さん”が 引き受けてくださることになりました。
3年前
(帰郷当時)の心配が嘘のように、今では もうすっかり
愛媛県人 となっている U女史!
週に1度のカラオケ喫茶通いから、誘われて大会に出場するほどにまでなっているという
彼女の元気ぶりが、時々交換するメールから伝わってくるたび 嬉 しくなります。
そして、その <進化 した歌>を 聞いてもらいたいという思いを含め、
我々に会うことが一番の目的 と言ってくれる気持ちにも嬉 しさを感 じます。
<ジャンルの違う歌人達が集まるお店> というのが あちらにはないとはいえ、こちらに来ようとする
エネルギーは大変なもの! お金や時間など現実的な問題が含まれていれば、それを押 しても
来てくれようとする気持ちが有り難く思えます。
私達に会うため 900Km近くも離れた愛媛から年に一度やって来るという時に
待っていてくれる人が いるか いないか では
心強さ に 大きな差が生まれることで しょう。
いつでも行ける私達でさえ 顔見知りがいてくれることでの <安心感>があるのだから、
彼女の胸中には その何倍もの思いがあるものと推測されます。
だったら 気持ちよく迎えてあげて、「楽 しかった~!」 という思いで帰らせてあげたい!
たとえ少 し無理を したと しても、それを渋って友人を哀 しませる心苦 しさよりは 良い!
<年齢の衰え> は阻
(はば)めなくても、そういったことに鈍感になってしまう <心の衰え> は、
自分のためにも 阻止 したい!
顔見知り から 仲間 とか 友人 と呼べるようになるまでには <時間> が かかります。
理解できたり、<得るもの> が あったり、一緒にいて楽 しかったり …
そんなことがあるから 仲良くなります。
少 しずつ築いてきたものに しても、何かがきっかけで急に仲良くなったに しても、
友人との関係を大事に思う気持ちに <健忘症> になるようなことは したくないものです。
けれども 人にはそれぞれの考えかたや事情があって、 彼女を知る方に声をかけてみても
<あんまり親 しくないから> とか、<知り合って1年くらいのものだから> とか、
<歌うことに魅力を感 じなくなった> というようなお話をされる方までいら して、
その程度の思いの仲間 だったのかと 拍子抜け したり ガッカリさせられることも ありました。
「U女史とは親 しかったの?」 と聞かれたら、
彼女が帰郷するちょっと前に やっと少 しお話をするようになった!
彼女を知ったのだって まだ浅い!
ただ、歌を聞いてファンになり、帰郷する前の寂 しい胸の内や家の事情を みなさんと
同 じ程度に聞いて、その落ち込みかたの激 しさが心配で メールをするようになった!
私も そのくらいのお付き合いだから 二の足を踏んでいる方達と大差はないと思うんです。
自分の気持ちを優先させるか、ほんの少 し相手を思ってあげられるか、
ちょっとした考えかたの違い! それだけのことのような気はするんですけどね!
だけど、気乗り していないとわかるお話を聞いていると
頭数を集める ことの無意味さを感 じます。
こちらの気持ちを事細かく説明 しなくても
自分から、<彼女のために何とか都合をつけよう> とか <楽 しく盛り上げてあげよう> とか
そんな風に考えてくれる方達だけでいいのではないか!?
そう思えて、“主さん”にも そんなお話を しました。
そして、今回は
快く参加 してくれる人だけの会 に しようということになりました。
実際、私もこの日はS会の食事会と重なって しまっていましたが、
毎月行かれる可能性のある集まりと比べたら、迷う気持ちはありませんでした。
こちらに来ると決まってから、
何度か来た彼女のメールからは、最初のうち ちょっと心配な様子が窺
(うかが)えました。
「もう知らない人ばっかりなんじゃないかな! そうだったら心細いな!」
「来年は来れないかも しれない!」
〔 やっぱりね~! 離れていると 忘れられちゃったん じゃないか って 弱気にもなるわよね~! 〕
そこで私からは
「私はね、あなたの歌が聞けるのを楽 しみにしているのよ。
たとえひとりだとしたって 確実に 楽 しみに待っている人間がいるなら いいでしょ?
実際には もっといるはずだし …! だから心配することはないわ。
それにね、あなたが来てくれることで集まろうとすると いつもとはまた違って、
<もっと仲間意識が強い集まりになる> ってことになるわけだから、それも楽 しみに してるのよ。
だから出来る限り頑張って、毎年来てほしいと思ってるわ。」 と返信。
すると 彼女からは
「ありがとう。 私みたいなものを大事に思ってくれて感激です。
たった5年間の東京暮ら しだったのに すばらしい歌友達ができて
生きてるっていいな~と幸せを感 じています。 これからもよろしくね!」
完全にふっ切れた様子が伺えるメールが届きました。
たぶんこの時も 彼女は何人かに心中を話 し、みんなからも励まされたのでしょう。
それ以後は 楽 しみにしているという内容のメールが来るようになりました。
当日、
<昼の部> は 待ち合わせをせずに、それぞれが自由な時間に行くことになっていました。
早くから行くと連絡 してきたA氏に、U女史がひとりにならないよう 席の確保をお願いしました。
混むと思ったのに、この日は1時間遅れでも まだ10名ほどで、しかも全員男性という状況には
ちょっと驚かされましたが、余裕で座ることができ、彼女の到着を迎えることも出来ました。
久しぶりに聞く彼女の歌声は優 しい響きで、また腕
(歌のレベル)を挙げた感 じ!
聞いていることが心地良くて、お酒も飲まずに 酔いしれ気分 に浸ることが出来ました。
お仕事の関係で最近はお会いできなかった“主さん”の歌にも癒されました。
それに引き換え 私は1ヶ月ほど前にひいた風邪が治らず、すぐに咳が出るといった悲惨な状況!
「それでも私のために歌ってね!」 彼女からはそう言われていて、
私も 「何が何でも歌うからね~!」 と約束 していたので
腹筋で咳を我慢 しながら歌うといったことになり、人知れず苦 しさを感 じていました。
けれども 今年も、恒例のようになった 『真夜中のギター』 を ふたりで披露することができて満足!
1曲でも多く歌ってほしい彼女には 毎年 私の番が回って来た時に この曲を振ります。
彼女を紹介する意味も込めて、今年の前説も
「横浜と愛媛、遠距離恋愛中のウコンとゴーヤです。」 と入れました。
毎回 ぶっつけ本番なので ドキドキ しますが、今回は咳を我慢 しつつの成功ということも
あって、達成感を味わうことが出来ました。
昼の部、U女史のために集まったのは 結局 4人 でした。
初めは参加予定で欠席 した方が2名、夜からの参加に変わった方が1名。
主さん、Soさん、Aさん、私 の4名 だけとなりましたが、会えるまで不安があったら しい
彼女が大喜び してくれたことで、やっぱり 数 じゃないな と感 じました。
〔 <笑顔で集まってくれる仲間> って ホントに良いな~! 〕
普段も思うことですが こんな時には改めて感 じさせられます。
私達にとっては、<彼女の笑顔が何より> でした。
彼女は <
今回の思い出 と
また1年頑張るための材料 になるように …> と
ママに頼んで テープを録ってもらっていたようでした。
第一部の営業時間が終わると、
遠方へは行けないという1名
(Soさん)、そしてママとは ここでお別れとなりました。
この時、ママが 「飛行機代なら出すから またおいで!」 と言ってくれました。
そんな風に言われるなんて幸せなこと!
彼女はもちろん 「来年も来るからね!」 と答えていました。
第二部への移動メンバーは 近くの商店街で お寿司、から揚げ、おつまみを購入 し、
次のお店のある駅前で2名
(Sakさん・Qちゃん)と待ち合わせて、二次会
(夜の部)へと向かいました。
久しぶりにお会いするママさんは 本当はお休みの日なのにお店を開けてくれていました。
でも ちょっと気になったのは、“主さん”が 事前にお願い してあったはずの日本酒等の用意が
なかったこと!
そのため ここで手伝っていたことのあるU女子が2度ほど仕入れに行ってくれたようで、
私達のために かなり気を遣わせてしまったのではないかと気になりました。
ハウリングや音割れが直らず、修理の人を呼んで 手間取るなどということもありました。
それでも みんなで順番に歌を披露 し合ったことや
途中から加わった珍 しい方
(Kin ちゃん)の存在も 彼女には嬉 しかったと思われ、
隣に座っていたA氏に後日聞いた話からも 彼女が楽 しんでいた様子が伺えて、
二次会にまで参加 してくださった方々がいてくれたことが本当に良かったな と思えました。
まだ数回 しかお会い したことのなかった Kin ちゃんの 味わいのある歌が聞けて ラッキーでした。
私は 『真夜中のギター』 に次ぐ ふたりでハモれる歌 を 探 したいと思って、ザ・ピーナッツの
『恋のフーガ』 を振ってみたんですが、どこでどう分かれているのかがよくわからぬまま終了!
彼女が再び来る目標になればいいなという思いで、 <今後の課題>に しようと提案 しました。
だけど、ハモる曲は それぞれ単独のパート音源がないと 覚えるのが難 しい!
『恋のバカンス』 だとか あみんの『待つわ』 だとか、候補曲はあがっていても、
<パート別> はカラオケにもないと思われるため 問題はありそうです。
彼女が楽 しんでくれさえすれば、今回の集まりは成功 したと云えます。
だけど、総合的にいったら 二次会は ちょっと不本意さが残る結果となってしまったように思います。
たまたまこの日、<いつものお店> にキャンセルが出て、夜も使える状態でした。
それがわかっていたのなら、みんな<ここ>に 居残り したかったはずです。
だけど、<U女史の友人のお店だから> ということで、“主さん”が 彼女の顔を立てて
変更せずにいてくださったんだと思うんです。 (私でもそうしていたと思います。)
けれども 行ってみたら、
K(ママ)さんが U女史のために気を配ってくれている様子があまり見受けられなかった!
友達であるなら、やっと上京できた友人のために、
また その友人が、歌仲間達に気を遣わないで済むように、
もう少 し頑張ってあげても良かったん じゃない!? そう感 じて しまったことが残念でした。
出費が抑えられなかったとか 音にうるさいとか、思惑どおりにいかなかったこともあって、
ママさん側から見た我々は <面倒な客> の部類になって しまったのかも しれません!
<商売人> なら そのあたりは 態度に出 してほしくなかったな と思うのだけれど、
常連には成り得ない <儲からない客> だから、しかたがないのかな~~!?
だけど実際、「あれじゃぁ わざわざ遠出までする意味がない! 次もここなら来ないと思う!」
「いつものお店でやれたら ここまでは来れなかった人やママも参加できたわけだから
そのほうが良かった!」 など、多少の不満を感 じた方は いら したようでした。
彼女への気遣いが裏目に出て、誰も 得 した感がない(今夜は最高!と思えない) というのも、
何とも 口惜 しいことです。
それでも 帰郷する彼女には 良いことだけを伝えたいと思い、
今回も楽 しかったこと。 バージョンアップ した素敵な歌が聞けて嬉 しかったこと。
彼女がいつまでも仲間であること。 それを忘れないでいてほしいこと。
だから頑張ってまた来年も来てほしいこと。
何か励みになることがあると頑張りかたも違うから、ハモれる曲の選択を任せること。 etc
と メール しました。
彼女からも
本当に楽 しかったこと。
誰の歌を聞いても それぞれに感激 したこと。
みんなと同じ仲間に入れてもらえて 凄く嬉 しかったこと。
いつまでも仲間でいさせてほしいと思ったこと。
だから来年も絶対に来ようと思ったこと。
それまでにハモり歌を 探 しておくこと。 etc
すぐに返信がありました。
その後のメールで、
彼女が今また 大会に出るための準備を している ということを知りました。
ママに録音 してもらったテープを聞きながら 楽 しかった思い出に浸り、
来年に向けて頑張る決意を し、前向きに生きて行くとも書いてありました。
何とも パワフル! そのくらい 打ち込めるものがあったら幸せよね。
人との関わりを大事に して、楽 しみながら 頑張ってね~!
今回で見えたこと 学んだこと。
次回は それを踏まえ、それを生かして、
より良い状態で彼女を迎えてあげられたらいいなと思います。
歌仲間のみなさんも
その時はまた 優 しい気持ちで集まってくださることに期待 しています。
来年もまた、良い仲間達が集まってくれるといいわね~!
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
友人との繋がりを大切に したい … ということで
1972(昭和47)年 2月 5日発売、
トワ・エ・モア の
『友だちならば』
(作詞 = 山上路夫 さん/作曲 = 川口 真 さん)
「も しも涙とまらない時は いつも私がいること思い出 して」
「生きることがつらい朝来たら すぐに私を呼んでよ」
「あなたのもとへ私は急いで行くで しょ 二人は友だちなら すぐに飛んで行こう」
友人がいてくれるありがたさは 折に触れて感 じるものです。
ひとりでいる時間も 大好きだし 大切に したいとは思うけれど、
ひとりでは 決 して味わうことのできない時間の共有も 疎
(おろそ)かには したくない!
お互いが相手を思いやりながら繋がっていられる幸せ! 大事にしたいものです。
(※ ブログ内容や 歌詞から、その時 感じたことを書いています。)
これは フォークソングが主流の時代の歌謡ポップデュオ、「トワ・エ・モア」の 10枚目のシングル曲です。
初め、二人は別々にソロ活動を していたのだそうですが、
「ソロでは線が細い」 と判断 した事務所が 強制的にデュオに仕立てたためか、
良い歌を歌うのに仲が悪い という評判が立っていたのを覚えています。
そのためなのか活動期間も 1969(S.44)年~1973(S.48)年 と たったの4年間!
解散すると聞いた時には やっぱり噂は本当だったのかとショックを受けたものでした。
芥川澄夫さん は 解散後、
「トワ・エ・モワ・ファミリー」 という新ユニットを結成 したり、レコーディング・ディレクターを したり、
音楽プロデューサーとして活躍すると共に、自身の「ミュージックハウス」を運営し、
新人育成のためのボイストレーニング等にも力を入れていたそうです。
山室英美子さん は 解散前、
歌うことの意味を見失い、保育士になるという理由で解散を言い出 し、
一時期 歌から離れていた時期があったといいます。
25歳の時、元ブルーコメッツのベース 白鳥澄夫氏と結婚 して、渡米。
その時 また歌いたいと思い、1977(S.52)年、和楽器を取り入れた男女4人組「鴉鷺(あろ)」を結成。
しかし 方向性に問題を感 じて解散。
1982(S.57)年からはシンガーソングライター 白鳥英美子 として ソロ活動をなさっています。
なお、2001(H.13)年には 娘 白鳥マイカさんも J-POP系シンガーソングライターとしてデビュー。
そんな中 「トワ・エ・モア」 は、解散から25年が経過 した 1997(H.09)年、
NHKの『思い出のメロディー』に出演 したのをきっかけに再結成することとなり、
現在に至っているそうです。
今回行ったスナックは カラオケの機械が DAM ではなく、UGA でした。
いつもは カラオケ主流のお店なので 音が良いことと 最新機種であることが命!
スナックは 飲むほうが主流で歌を楽しむため 音も機種も望むほうに無理があると思われます。
それにしても …、音は悪すぎた~ぁ!
DAMにはあるのにUGAには無い曲があったりして ちょっとガッカリすることもあったけれど、
DAMには無い曲が歌えた時は 新鮮で ちょっとお得感も味わえました。
この曲も そんな中のひとつ。
昔聞いていた頃は 何も気にすることなく一緒に歌えていたような気がするのに、
初めて歌ってみたら キーが高くて びっくり!
風邪をひいて声が出ないこともあるとは思うのだけれど、
やっぱり年のせいなのかしら!? などと思えて ショック~!
<友達>、<仲間>、 良い響きです。
いつまでも響きを感 じ合い、共鳴 し合えるようでありた いわね!
お読みいただきましてありがとうございます。
ランキング投票に ご協力いただけると 嬉 しいです。
日記@BlogRanking にほんブログ村
(日記@BlogRanking は <投票>のクリック までを お願いします。)
イラスト素材の一部は、下記を利用させていただいています。
「イラスト工房」 「らぶらぼ」