爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

巴波川とともに歩む、蔵の街「栃木市」散策・・・①

2014-12-27 10:17:56 | 日記
昔の面影を残す街並みも少なくなったが、栃木市には残っていた。東武日光線栃木駅を下車し駅前に出ると意外に広々しており、駅前から「蔵の街大通り」が延びる、

大通りの左側の通りを進み川沿いに歩くと巴波川をまたぐように「瀬戸河原公園」と「うずま公園」がある、支流に分岐する所に公園を造ったようだ。水が澄んで綺麗だ魚やカルガモがいる。昭和38年に3万匹の鯉を巴波川に放流しているが、こうした取り組みが今につながっているかと思われる。川沿いに遊覧船の発着所があった、川幅、水深を見ると遊覧できるのかと思うが、営業しているから出来るのだろう。

発着所から川沿いに黒塀が長く続く、ここが塚田歴史伝説館である。江戸時代に木材回漕問屋を営んでいた塚田家跡である。塚田家は、木材を筏に組、巴波川から利根川を経由し深川の木場まで運んでいた豪商である。館内には歴代の当主が集めた家宝の展示物、からくり人形山車、全国の銘木が展示され、奥には数寄屋造りの離れ庭園が豪商の勢をつくした雰囲気が伝わってくる。



※中に入ると、おばあちゃんのロボットが説明してくれるが、精巧にできている、側で座って聞いている人もロボットで先客の人かと見間違うほどだった。

さらに川沿いに歩くと大きい建物が、入り口に「TOBU」の表示があり、並んで「栃木市役所」の表示も、再開発の建物であった。栃木県内に店舗展開していた百貨店である「福田屋」の撤退跡に、1階が「TOBU」2階以上を市役所が入っている、メイーンストリートに双方のメリットが合致し再生した珍し例である。

市役所の先に「例幣使街道」の表示が、この街道は、徳川家康の霊柩が日光山に改葬され、毎年、朝廷から日光東照宮へ捧げ物を奉納する勅使(例幣使と言われた)が使わされ、勅使が通る道を例幣使街道と呼んだ。まさに当時の主要道であったと言える。街道の一部が現在の栃木市の蔵の街大通りや嘉右衛門通りである。

例幣使街道に「岡田記念館」がある。現在まで続く旧家で、古くは武士であったが、帰農し栃木に移住し、荒地を開墾し、その功績により徳川家より「嘉右衛門新田村」の名称を賜り、代々の子孫は「嘉右衛門」を襲名(現在は26代)例幣使街道開設にともない名主役、13カ所の陣屋、代官職の代行など地域に大きな貢献をし、屋敷跡には親交のあった著名人などの作品や事業でのかつて使用していた用品を展示しています。


道を隔てた川沿いには22代当主が別邸があります、用材はすべて銘木を使用し、木曽産の桧、廊下は欅の一枚板を使うなど大正期を代表する別荘が現存する。


※浴場は、松竹映画「定」(大林宣彦監督作品)の黒木瞳さんの入浴シーンに使われた。天井は、今では珍しいから傘天井造りになっている。

嘉右衛門の名は地区名として残り、一帯が「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 美味しい「いわて純情りんご”... | トップ | 巴波川とともに歩む、蔵の街... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事